2005年5月5日(木・祝)
メンバー 山の神と私
コース 飛鳥駅--猿石、鬼の俎・鬼の雪隠、天武・持統稜、亀石--石舞台古墳--甘樫丘--飛鳥寺--入鹿の首塚--万葉文化館(昼食)--岡寺
山の神の意見を取り入れダイヤモンド・トレイル歩きは葛城山でいったん打ち切り、飛鳥を散策することにした。二上山も行ってみたかったのだが、まあ次回か。
飛鳥といえば、6~7世紀の古代日本の政治の舞台だ。当時は朝鮮半島から先進文化を導入し、みやびやかな文化が栄えていた。現代まで残されている遺物を見ていると、どんな生活を送っていたのだろうかと想像が膨らんでいく。
この頃は石の文化とも言うべき時代なのか。彫像や石舞台など数々の遺跡は石が基本だ
蘇我氏の邸宅があった甘樫丘にて。左のこんもりとした山が耳成山
役小角に始まり、聖徳太子から大化の改新あたりまで、古代史に一時期すごいハマっていた。文献を渉猟し、黒岩重吾の古代小説で想像をたくましくしていた。この時代は歴史の記述もあいまいなことが多く、研究者ですらまだ解明できていないことが多い。この時代を舞台にしたNHKのドラマ「大化の改新」がまさにこの飛鳥訪問の年、2005年に放送されていて、興味津々で見ていたのを覚えている。このドラマは、当時の最新の時代考証に基づいてつくられていて、衣装にしても、言葉にしても初めて見聞きするものだった。これが本当に日本なのかといった趣だった。とはいえ、その異質な日本にちょっとしたロマンを感じていた。
というわけで、飛鳥を歩いていると、いろいろな古代史の断片が頭のなかを駆け巡り始めてしまった。そうした断片と深く結びつき印象深かったのは、天智天皇がつくったといわれる大規模な漏刻(水時計)、そして飛鳥寺の飛鳥大仏(鞍作鳥作)だった。とくに飛鳥大仏の顔のでかさ、そして不気味なアルカイックスマイルは強烈すぎて、眼に焼きついて離れない。
話し変わって、飛鳥散策中、山の神が黒いカーディガンを紛失して騒ぎになった。ない、ないと来た道を引き返し、休憩した亀石あたりの茶屋で無事それを発見した。それももう9年前、いい思い出だ。これを書くにあたって、山の神にこのことを聞いてみると、そうそう、カーディガンはてっきり失くしたと思っていたのに、クローゼットに入っていた……。そりゃそうだ。無事発見したのだから。