5月16日児玉清さんが逝かれた。
ほんの一か月前にクイズ番組でお顔を拝見し驚き、4/12のブログに書いていた。
既にこの時は、胃がんが肝臓に転移して重症だったと聞かされた。
36年も「アタック25」の司会を務められ、ラジオのパーソナリティー、新聞の書評家として
生活の中に入り込んでいた。
私は児玉さんの博識で、お人柄、品の良さ、ダンディーさ全てが男性として格好よく大好きだった。
声のトーンがいつも同じで精神状態が安定しているのも快感だった。
児玉さんのクイズ番組は最初からファンで観ていた。
当時クイズ番組は各局で盛んに放映されどれも人気があった。時と共に全ては消え去って行った。
民放は何と言っても、スポンサーの力が大事でそこが降りてしまえば全ては終わりと言う厳しい世界。
勿論スポンサーもチェンジしながら36年も続いたと言うのは、凄い事だ。
有る時、スポンサーが一番嫌うアシスタント女性とのスキャンダルが有った時も、
スポンサーはたじろがず、児玉さんを取った。その女性は俗に言えば即くびになり番組から降りた。
そんな時でさえ、その女性が羨ましかった。児玉さんの近くに居られたなんて・・・・・。
「きっと児玉さんを大好きだったに違いない、仕方ないよ」なんて思わせる魅力が有った。
日常はそうじゃないけどね、私。
児玉さんのお人柄は万人に愛されて来た。スポンサーさえ生涯彼を放さなかった。
大抵は飽きが来てチャンネルを変えるのに、児玉さんの魅力で、日曜日の午後は楽しみだった。
あの声で、テンポの良い話術を聴くと、何となく私まで元気が出るものだった。
回答者が正解を答えると「はいそうです、良くご存じで・・」と賞賛される回答者が羨ましかったり。
あの児玉さんが褒めるんだもの大したものだと当方も思ってしまう。
それが嫌みで無くタイミングも良い。
お歳を重ねる毎に、その年齢その年齢の魅力を醸し出していた。
今の時代77歳って、未だ未だお若い。英語は元より、ドイツ語も原書で読め、会話も専門的な
内容にまで及んだと。
切り絵も趣味だったそうだが、勿論ソフトな絵柄等はお人柄そのもの。ふわーんと丸みが有り
夢のある作品だった。ご自身は器用貧乏だとおっしゃっていたらしいが
器用では有るが、決して貧乏では無かった。心の豊かさがその立ち姿から、滲み出ていたもの。
本当に惜しい方が亡くなった。ご長女を36歳?の若さで亡くされ(胃がん)悲しみが
深かった時でも、お仕事をされた。ご長男の声が児玉清さんにそっくりで、すくわれた。
随分楽しませて頂きました。どうぞ安らかにお休み下さい。永遠のファン、合掌
奥様も同じ病い?それは存じませんでした。
昭和を活躍した人達がどんどんあちらの世界に行ってしまうのよね。本当に。
悲しい、淋しいと一寸力が抜けました。
本当に素敵なダンディー氏でした。
私も悔いのない様に精一杯生きます。
私は、昔から大好きでした。この後あの番組はどうなってしまうかしら?・・・無理かな~?
お嬢様を36歳で失うなんて・・・ご自分もそして同じ病いで、なんてお気の毒になこと。
この様な個性の方はもう出て来ないかも。私とても悲しいのです。悲しくて
ドラマでときどきおみかけしてました。
博識でダンディーで素敵な男性でしたね。
奥様もガンに侵されてるというお話をTVで知りました。
素敵な方がどんどん天国に逝ってしまう~~
淋しいです。
今 生きてる私たちは悔いのない人生を送りたいですね。