吹田市にある病院の前で杏子は多美と別れた。
病院は、民生委員の助けを借りて、新しい施設に移してもらっている。
白く綺麗なお菓子の様な建物であった。
ここに着くまで、杏子も多美もお互いの事情を掘り下げて聞くまいと心に決めていた。
この旅は二人にとって鬱屈からの解放ではない事が分かったからである。
これから、一人で今まで目を背けていた現実と向き合うのだ。
覚悟を決めて杏子は待合室にいる。
母に似合いそうな淡い藤色のパジャマと鳩サブレを手土産にしている。
不安気な杏子の視界に看護師に手を引かれた母の姿が飛び込んできた。
79歳になる母美佐子は一回り小さくなって可愛らしく見えた。
ピンクのエプロンをしておかっぱにした姿は遠目に小さな子どもの様に見える。
元気そうな姿で憂いのない顔だったが、いかにも貧しい老女の姿をしている。
かっての上品な奥様の面影は跡形もなく消えていた。
杏子を激しい後悔が襲った。
「お母さん、お母さん、ごめんね。
こんなにしてごめんね」
熱い衝動がわいて、杏子は泣きながら母に抱きついた。
「おうおう」声を上げて母はニコニコしている。
「私の為になぜ泣くの? 看護婦さん、この方どなたですか?」
美佐子は無邪気に聞いた。
美佐子の錯乱はすっかり収まったが、記憶障害が始まった。
それはおそらく認知症によるものだと思われる。
「私のせいだ」杏子は初めて自分が加害者だった事に気づいた。
今まで家族の為に犠牲になったという恨みがきれいに消えて、シンとした思いになった。
その日は難波の従姉妹の家に泊まった。
「杏子ちゃん、おばさんのそばにおらんと一生後悔するわ。なあ、仕事はわてらで見つけるさかい、一緒に暮らさんか」
お好み焼き屋のチェーンを経営する彼女はしっかりと手を握った。
店長の夫の死後、子育てをしながら店を広げた遣りてである。
全く世界の違うと思っていた彼女の温かい手の温もりが杏子の心を揺さぶる。
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