ロマンチックさが欠ける印象があったのです。
自分とは肌が合わない気がして、長いこと作品から遠ざかっていました。
ただ一冊、『十二人の手紙』は忘れられない小説です。
一口に言えば、十二組の人生を、手紙を通して描いた作品です。
上梓されたのは、1978年、メールもメッセージも無い時代、連絡手段として手紙を書くのはごく当たり前の事でしたね。
正確で整った個性豊かな文字、整った長い文章、手紙全体の論旨の一貫性は、贔屓目ではなく、その頃の方が遥かに優れていた気がします。
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十二組の人生は一律でなく、それぞれハンデやアクシデントを背負った人達ばかりです。
小説の中には何らの思想も主張も込められていないのですが、豊かで順調に育った人が見忘れている、不運に見舞われた人への温かい理解に満ちたものです。
井上ひさし自身が家庭の事情で孤児院で育っています。
それゆえに、普通の人が鈍感になりがちな部分がよく見える人だったのでしょう。
この小説は、彼らしく奇をてらったものでは全くないですが、あっと驚くどんでん返しの仕掛けが待ってます。
「ああ、あの話はそういう事だったのか」とストンと納得出来るのです。
種明かしすると、終章で、十二の物語の登場人物が雪国のホテルで、乗っ取り犯に閉じ込められます。
そこからの展開の巧さは作者ならではのものです。
ここで、ヒューマニックな物語と見せたミステリーだと気付くのです。
最後に種明かしされた真実にも驚かされます。
当たり前の小説に飽きた方に一読していただきたい小説です。
今回読み直してやっとこの本の真価が分かった気がします。
コロナ禍を忘れられる一冊ですよ。