この本の冒頭に、いじめの例えとしてイソップ物語が紹介されている。
子供たちは池のカエルが怖がるのを見て喜んで石をぶつける。
カエルは「自分たちの命にかかわる問題だからそれだけは止めてください」と懇願する。
しかし、子供たちは「何も悪い事をしていない。ただ遊んでるだけだ」と面白がって石を投げ続けるのである。
これは、学校で起きるいじめの構図そっくりである。
イソップ物語の書かれた昔から、このようないじめが存在して、それが普通だった。
いじめという「社会的排除は、人間という生物種が生存率を高めるために進化の過程で身に着けた機能」という研究が進んでいるという。
つまり、「いじめが止まらないのはやめられないほどいじめる側にとって楽しいものだからなのではないか」と考えるのである。
この本は、人間のどうにもならない本能的な感情が原因で起きるいじめを客観的に分析し、回避策を示した一冊である。
いじめの対象になる人は、自分たちから見て違和感を感じる人と大ざっばに言う事が出来る。
差別の対象や、弱く劣った者だけでなく、ちょっと目立って気に入らない人も、集団の虐めの対象になるのだ。
著者は脳科学者の立場から分析しているが、特定の環境に置かれれば誰もがバッシングする事の快感を求めて叩く相手を求めて集まるという。
つまり、集団で歩く蟻の真ん中に砂糖を落としたような感じだと実感したと。
極端に肥大したいじめの例として、私は連合赤軍の印旛沼事件を思い出す。
1971年、その過激な暴力と思想の為に市警に追われる身となった学生運動家たちは、当時赤軍派と呼ばれたが、東京近辺の山岳アジトに身を隠した、
風呂も入れず、水や食べるものにも事欠く中で、幹部からの命令で連日不毛な思想論議をしている。
この中で仲の良い男女学生が脱走を企てた。
結果、二人とも惨殺された。これを総括と仲間内で称した。
規律はますます厳しくなる。
逃げたい、怠けたいという者は、それだけで粛正されるようになった。
やっと発見された時、惨い殺され方をして山中に埋められた学生は12名に及んだという。
目をそむけたくなるような事件で、その翌年の連合赤軍浅間山荘事件の陰に隠れて、今話題になる事は殆どない。
こんな、嘘みたいに残酷な話は記憶の外に置きたくなるが、事件当時の報道は連日このニュースばかりだった。
いつの時代もどこの国でも、規範に外れた者を徹底的に虐め、かつ正義のためと思い込む形は変わらないようだ。
今の時代は、たとえ集団が規範を守り優秀な集団であったとしても、彼らから異分子をはじき出す虐めが起きる。
個人の人格を全面的に否定する前に何が自分たちの気に入らないのか、立ち止まって考えたい。
著者は流動的な人間関係が望ましいという。
大学時代の人間関係がそうだ。
しがみつく必要もなければ、従う必要もない、合わなけれ避け、好きな時に会える、そういう心の自由がある場にはいじめが発生しにくいようである。
決まり切った空間だけを正しいと思い込まずに、のびのび自由な空気が吸える空間を持つ事はとても大事だと思う。
息苦しくない空間を一人一人が持てる社会を望みたい。
読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️
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