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本著は2002年、皆に親しまれたお天気おじさん、倉嶋厚氏によって上梓された。
内容を一口で言うと最愛の妻を癌で亡くした著者の鬱病との闘いを描いたものだ。
題名の止まない雨はないの意味は、文字通り晴れない鬱は無いという事である。
著者の誠実な人柄が伝わる非常に読み易い本で、少なからず突然妻を亡くした方、鬱に苦しむ方の共感を得ると思う。
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実は、私は鬱との悽愴な闘い以上に、頼りにしていた家族が死を宣告された人の心理に打たれたものがある。
知的かつ高潔な人柄で知られた著者にして、実に市井の人間と同じ反応をされたのである。
いや、寧ろこういう時に市井の人の方が腹が座った人が多いのかも知れない。
倉嶋厚氏の奥様は優しい賢夫人だった。
氏は純愛を貫かれた訳で、殆ど遊びを知らないらしい。
奥様に家政全てを任され、自分の得意とする気象学を極めていた。
ところが、苦しい事を訴える事の少なかった奥様が、調子が悪いと医師の診断を仰いだ時は末期癌だったのである。
突然聞かされた倉嶋厚氏は、ショックで頭が混乱状態になった。
愛しい人の死に自分は絶対直面したくない、そのまさかに襲われてしまった。
彼はまず尊厳死の誓約書を妻に書かせた。
苦しむ状況を見たくないのだった。
当の奥様は身体が苦しいのに、素直に彼に従い、延命治療を受けない。
そしてそれから間も無く呆気なく亡くなってしまう。
よく分かるのだが、最愛の人のお荷物と悟った時生命力がガタッと落ちる人がいる。
我の強くないとても良い人に多いと思う。
あまり苦しまないで欲しいと願った筈なのに、妻が死んでしまった夫の喪失感は相当なものがあった。
身を切る孤独感と妻を死なせた罪悪感が苦しめる。
かてて加えて、倉嶋厚氏は家事に無知である。
別のパニックが彼を襲う。
とうとう、彼は死にたい病に取り憑かれてしまった。
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瀕死の病人が側に居ると、非常な矛盾に悩むものである。
介護や看護は介護者自身の心身を蝕む。
私も朝母が息をしてるのを確認するとホッとする。
好物で栄養のある食事をさせたくなる。
それは全く本能的なものである。
しかし、常時メチャクチャな事を言いだすと混乱して嫌になる。
いっそ楽に死んでくれて自分も楽になりたいという気持ちが湧いてくる。
物凄い矛盾があって、そこのバランスを取れなくなる。
他の親族は極めて呆気なく亡くなった人が多かったし、その死に居合わせた事は皆無だった。
エゴイズムそのものだが、なるべくなら誰の死に際だろうとその場に居たくなかった。
何度か母は死を乗り越えたが、その時も母子共にかなり甘く考えてた。
母によく似た祖父がポックリ逝ったので、多分そうなるだろうとか思い込んでた。
ところが来てしまった。
我慢出来なくなる程の介護の時が。
私が移転を繰り返したのもボケの明らかな原因なので、自責の念に苦しむ事も含めてだ。
その時襲った焦りやパニックはまさにこの著者の心境そのものである。
こじつけに近いが、痴呆と癌はまさか身近な人が冒されると思わない点で同一に思える。
楽になって欲しいのと死なれたら困るという気持ちの葛藤は、かなり不安定なものである。
この修羅について本書は癒しを与えてくれた。
誰でも、近しい人の突然の病にオタオタするものと思えば、かなり楽になれるからだ。