その男の人は灰色のソフト帽を被り、同じ色のコートを着ていた。
上等のタバコをちょっと眉を顰めて吸っていた。
それはひどく粋で颯爽としていて、焼け跡のバラックに不似合いだった。
まるで映画スターの様だ、と陽子は思った。
上田陽子は母と共に大森のバラックで終戦を迎えた。
叔父の手を借りて建てたバラックは、およそ人の住処とは言えなかったが、5歳の陽子は冒険でもしている心持ちで気を張っていた。
父は南支に出兵して、終戦前に帰国の便りを寄越したきり半年過ぎても戻らなかった。
母の咲はか細い身体で生活の為に必死で働き、食料を得るのに懸命である。
毎日続く味の薄いカボチャや芋づるの煮物に陽子は辟易としていた頃である。
昭和21年11月10日、母の誕生日に訪ねてきた謎の男に陽子は小さな胸をときめかした。
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