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読書の森

夕映えの中にいた

しばらくお休みしてブログを覗くと、お馴染みのブロガーさん変わらずお元気のご様子、嬉しくなりました。
勇ましく「仕事探し」を宣言したものの、道程遠しでございます。
中途半端で見っともないですが、又時々お邪魔させていただきます。

秋の訪れと共に夕焼けが澄んで美しくなった気がします。
私にはずうっと忘れられない夕暮れの光景があります。
現実の体験ではなく、
TVドラマの世界の夕暮れなのです。
それも白黒テレビの世界です。

黄昏の田んぼの畦道を幼い子守りの娘が赤子をおぶってひたすら歩いてます。
俯いた娘の細い首筋に夕陽がかかっているようです。
牧歌的で、遠い昔を思い出す様な日本の風景でした。
白黒の画面は余計に想像力を増してくれるようです。
この画面は静かなバックミュージックと共に流れ、出演者の名前が出ていました。

出演 大空まゆみ、江原真二郎
原作 有馬頼義

このキーワードを頼りに題名も忘れたこのTVドラマの思い出を再現したくなりました。

悪戦苦闘の結果、このドラマが1968年4月初めから9月終わりまでTBS系で月9に放映された事が分かりました。
(写真は1968年当時の世相を紹介したものです)
題名が『夕映えの中にいた』です。

原作者の有馬頼義は旧久留米藩の第16代の藩主に当たる人です。戦前の生まれだからこう書かれてますが、その為かなり窮屈な思いをしたようです。

一家は頗るつきの家柄で、戦前であれば有馬頼義は伯爵家の後継になります。
ただ、母方(祖母は岩倉具視の非嫡出子)の複雑な事情があります。
母親は実母を女中さんとして扱わねばならなかったようです。

有馬頼義が記者として活躍する内に芸者と熱烈な恋に落ちて周囲の反対を押して結婚したのも、旧華族の息苦しさから逃れる気持ちが後押ししたのかも知れません。

戦後家は没落、財産没収された貧困の中で始めた執筆活動が陽の目を浴びて、有馬頼義は社会派推理小説家として名を馳せます

彼の奥様が幼い頃、家の事情で子守に出された時の思い出を『夕映えの中にいた』のオープニング画面に再現させたのでしょう。

このドラマはほぼ私小説に近い、生涯連れそう妻との純愛物語でした。
粗筋はきれいさっぱり忘れているのに、何故かモノクロの画面が私自身の思い出のようにくっきり残ってます。

多分私もとっても幼い頃、広々した田んぼが夕陽に輝く光景を目にしているのでしょうね。

今、ひどく切なく懐かしいです。
大阪へ行く新幹線の車窓で浜松から西に行くと、夕暮れの穀倉地帯の情景が広がっていきます。
自分や血縁の人々の故郷である名古屋、岐阜、滋賀あたりでポロポロ涙が出て止まらず恥ずかしくなりました。
色っぽい思い出では全くなく、私の両親も目にした思い出なのか、DNAがそうさせるのか、感慨がやたらと込み上げてくる不思議な情景でありました。歳のなせるものでしょうね。

有馬頼義は社会派と言いましたが、一貫して反戦を訴えた人です。
彼が反戦を訴えた戦後社会は平和の気運が盛り上がってました。

今現在は、自分がお休みしてる間も、国内の政情も変わり、海外ではきな臭い匂いもしてきました。
来る総裁選、どなたが総理大臣になられたにしても平和な日本を維持される事だけを祈ってます。

いつの世も世界的な感染症が流行後、自国の立ち直りの為焦って世情が不安定になりがちです。
どうか、穏やかな日常が蘇りますように!

文芸作品の思い出が飛躍してしまいました。

最近の夕飯(不細工な画面ですが)紹介します。夕飯が美味しく食べられて、それで良しと出来れば上々でございます。


読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

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