さて、かの籠池さんが流行らせた「忖度」という言葉に、東海林さだお先生は目を付けた。
彼の事だから政治問題を正面から論じたものではサラサラない。
最後に行き着く忖度はちょいと懐かしい忖度のお話となる。
忖度という言葉は昭和10年以前から辞書にひっそりと載っていたそうだ。
この意味を引くと「他人の心中を推し量る」ということである。
今日まで辞書の上でこの意味は変わらない。
活用される事もなく埋もれた語彙だった。
私も戦後間もない頃から長く生きて、忖度という言葉を使うのは今日が初めてである。
忖度によく似た言葉に「斟酌」がある。
これは「他人の心中を推し量った後良い方向に取り計らう」意味だ。
この斟酌という言葉を、私の青春時代の大人はよく使った。
「彼の立場を斟酌して、良きに計らう」
これぞ、昭和の美学だった。
思いやりを持って部下に処遇する事が上司たるものの美徳とされた。
余裕があったのですよね、昭和中期は。
思うに、忖度も斟酌と似た意味を持ち、相手の心を思い遣るというのが本来の意味を持っていたのではないか?
ところが、今や
「国会周辺には忖度五段とか忖度十段などという猛者がうじゃうじゃいる。
(中略)
どうしても暗闘ということになる。
暗闘あり、死闘あり、裏切りあり、仕返しあり、あびせ倒しあり、ひざ蹴りあり、送り出しあり、何でもありのドロ仕合がくり広げられてあたり一帯はドロ沼化していく」
ここら辺、まさに東海林さだお先生の文章の独断場である。
つまり、忖度って他人の心の探りあいなんですね。
ホントに世も末の気がする。
清らかな乙女だった言葉は泥沼に堕ちてしまい、世の人の心は魑魅魍魎に塗れたと、清純な積もりの私は嘆いちゃう。
読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️
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