彼の山あり谷ありの人生の中で、最大の分岐点となったのが、最愛の人、夏目雅子との死別だったのではないでしょうか?
長い苦しい恋を経てやっと結ばれて直ぐに、1985年9月妻は白血病を患って亡くなりました。
彼は仕事を投げて、看護に努めたのですが、結果は虚しいもので、以後数年間放蕩無頼の生活に入ってしまいました。
幸い彼は友人に恵まれ、立ち直るキッカケになったのが、1990年上梓された『乳房』です。
この作品が吉川英治賞をとり、後に『受け月』で直木賞受賞しました。
人生経験豊かな熟年作家として黄金期を迎えたのは最近の事ですね。
『乳房』は題名を裏切って、何処か清純さが漂う作品です。
あくまでも創作で事実そのまま描いたものではないですが、著者の妻を想う一途な思いが伝わってきます。
病んだ妻を看病する中年男の姿を、飾らない文章で淡々と描いているのに好感が持てます。
現在の彼には奥さんがあり落ち着いた家庭生活を送っています。
27歳の命を散らし、文字通り「佳人薄命」だった夏目雅子ですが、私はこの人程美しいと思った人は居なかったのです。
切れ長の目、透き通る様な肌、華奢なのに柔軟で伸びやかな肢体、目鼻立ちの優雅な事、花なら芙蓉と言ったところでしょうか。
こんな美人があんな汚いおじん(10歳以上年が離れてます)に恋するなんて、嫌だと当時思いました。
彼女はどうも世間知らずでボワーとしたところがあって、思った事そのままを口にしてしまうので、かなり誤解を受けていた様です。
伊集院との恋も、瀕死の病いも、世間では我が儘、怠け癖の現れと酷い悪口を言われてました(当時の週刊誌が叩いてたのを私はツブサに読みましたので)
ひとことの弁解も事情説明も無いままに、彼女は幻の様にこの世を去ってしまいました。
私が見た彼女の最後の映像は、紫陽花の咲く鎌倉を歩く姿です。
新婚時代を鎌倉の家で過ごしたのです。
坂道を歩く彼女のロングスカートが風にふんわりと広がって、振り向いたその笑顔が忘れられません♪
本当に美しい人でした。
と言っても死んでしまったら、もう二度と紫陽花の咲く道は歩けません。
生きてこそ見られるこの世の花でございます。