1977年、IT企業なる言葉も無かった頃私は外資系のコンピュータ会社に入った。
本社に配属され、秘書としてスタートを切ったが、見掛け倒しとはこの事を言うのだろう。
会社のカメラは壊すし、英文タイプ(だった!)は遅いし間違えるし、愛想を尽かされ、営業所に配置転換となった。
「まっ、きっといい事あるって」
上司は実に温情がある人で、いわゆる永久就職が出来るだろと、独身男性の多いこの職場に回してくれたのだ。
花の六本木、最先端の企業、精鋭揃いの営業所は、自動車や鉄鋼業がお客様だった。
電話応対、経費の計算、コピー、ファックス、事務用品の発注、その他雑事は本当に楽しかった。
それは、毎日がめくるめく取引の電話の刺激があったからだ。
スピードと気転が要求されても、全て手作業である。
大型コンピュータの時代で、一台一億を超える。
リース会社で借りるケースが多かった。
ホンダ、日産、三菱、IHI、三菱重工、
そうそうたるお客さんと営業の駆け引きは、面白過ぎた。
つまり私はちょっと出過ぎた意識を持っていたらしい。
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