大地震の復旧も済まない内の大雪、裏日本は散々です。ご無事を祈ります。
儘ならぬ世の中、中でも儘ならないのは「恋の成就」じゃないでしょうか?
コロナ禍や戦下においてだけでなく、お互いに好きなら、それでめでたしめでたしという訳にいかないケースは結構多いようです。
およそ、タイミングのずれた話題で申し訳ないのですが、今日は実らない恋に迷った若者の怖ーい話をします。
見出し写真の可愛い女性は、この話のヒロイン愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい)さんです。
今から63年前の昭和32年12月10日、伊豆山中の百日紅の木の下で若い男女のピストル心中死体が発見されました。
女性は満州国貴族の血を引く愛新覚羅慧生(19歳)、男性は青森の裕福な旧家に育ったO(20歳)、共に学習院大学二年生という若い命を散らしたのです。
これがO君の写真です。愛らしい女性に比べて思い込みが強くて怖いものを感じさせる男性です。
これがO君の写真です。愛らしい女性に比べて思い込みが強くて怖いものを感じさせる男性です。
事実、彼は武骨で内向的、ストーカー的な激しい愛情の持ち主だったそうです。他の学生と異なり、一途な愛情をぶつける彼に対して、最初は冷静に観察していた彼女も惹かれるようになるのです。
どうにもならない歴史の波に揉まれて父の愛を知らず、世が世ならお姫様として育った彼女にとって、なりふり構わぬ彼の愛情が非常にピュアなものに思えたのでしょうか?
彼女の家庭でこの恋の悩みを打ち明ける訳にはいきません。当時、身分違いで猛反対されるに決まっているからです。
友人たちも皆非難してます。
周囲に反対されればされるほど燃え上がるのが恋の常です。
それに昭和30年当時の大学生は信じられないほど、禁欲的であり、各自心の内部での男女交際の縛りも強かったのです。戦前からの道徳観が根強く残る時代でありました。
O君は自分の父親の多情さを強く憎み、自分に起こる欲望をも異常に抑制していたと言います。彼女も健康な年ごろの女性ですがかなり世間知らずだったらしいです。
思いつめた二人は若いだけに結論を急ぎ、共に死ぬことを決意するのでした。
「彼を一人で死なすことはできません。あとのことはくれぐれもよろしくお願いします」これが最後に彼女が知己に送った手紙です。
歯がゆいほどに情の深い心優しい女性だったと思います。
死後二人の遺体は引き離され、愛新覚羅家ではストーカー的な男の一方的な犯罪として始末されたと言います。
「二人とも健康で経済的にも困ってない大学生だったのよね。嘘みたい、もうちょっと冷静になればいいのに、バカみたい」と受け取るのが普通かも知れません。
ところがです、この事件当時高校生だった私の感想は「羨ましい!」でした。「こんなに美人で命をかけるほど愛されて二人で一緒に死ねるなんて!」と本気で思ったのです。
これは実際の経験皆無で読んだ恋愛小説の悪影響だと思います。
それにしても、若い内は簡単に絶望する事は多いようです。
もう少し待てば、もう少し事情が好転するまで動かず騒がずいれば、最悪の事態は防げたのに、なぜか悲劇へ一直線に向かいがちです。
そこで、この誤解だらけの心中物語を紹介いたしました。今や、若い命はダイヤモンドでございます。無駄にしないでください。