笑日和

わんこと楽しく

笑ちゃんの父ちゃんの事。[12]

2023-05-29 19:56:04 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

2021年 12月3日。

この年のツリーは、本物の木にしてみました。

願いも込めて。

 

12月3日。

キッチンで何やらガサゴソしていた父ちゃんでした。

調子が良かったんだと思います。

 

12月6日。

笑ちゃんの散歩に後ろから遅れて来る父ちゃん待ち。

 

やっと来たー。

 

12月6日。

県内にある神社へお参りに。

ヘビちゃんを撫で撫ですると、

願いが叶うんだとか。

 

銀杏の落ち葉きれいな季節でした。

 

13月20日。

免疫力上がってきて、

移植以来、初めてお刺身が食べられて。

とても嬉しそうでした。

スーパーのものではなく、遠くの魚屋さんまで買いに行きました。

 

12月20日。

デパートへ。

母ちゃんの弟に頼まれたもの。

これでいいかな?の写真を撮りました。

 

12月20日。

同じくデパート地下へ。

お菓子作りの道具を楽しそうに選んでいました。

 

12月27日。

福島県はサンディーズへ。

すごい雪でした。

元気に父ちゃん運転して来ました。

 

このすり流しのスープがとても美味しかった。

 

どれどれー。

 

おー、、

 

びっくり‼️するほど美味しかったみたい。

 

お魚の刺身は許可が出ましたが、

獣肉は最後までNGで。

ここの宿、馬刺しが必ず出ますが、

その代わりにこの日はフグ刺し。

 

いつかは馬刺しを食べるぞー。

そんな目標もあった父ちゃんでしたが。

 

お酒も少し。

なんだかね、ふざけると必ずこれしてますね。

 

笑うことも免疫を上げるので

 

もっと、もっと、たくさん笑っていて欲しかったなあ。

 

12月28日。

移植で抜けてしまった髪の毛。

少しずつ復活してきました。

 

2021年 12月3日から12月28日までの事を載せてみました。


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[11]

2023-05-22 19:54:19 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

2021年 10月16日。

母ちゃんの手伝いをしてくれる父ちゃんです。

 

油がはねて火傷でもしたら血が止まらなくなるので、

父ちゃんなりに↓こんな方法で。

本当に病人なの?

そんな光景でした。

 

これが美味しいのだ。

 

10月22日。

寝転んでこんな事していますけど。

 

この日は入院ですから。

 

また、母ちゃんと笑ちゃんだけの生活です。

 

10月23日、父ちゃんいないうちに、

自宅の病室の大掃除を。

 

笑ちゃんもお手伝い。

 

窓掃除もしておいたり。

 

掃除し終わると、、

 

気持ちいいみたい。

 

10月24日。

笑ちゃんを連れて。

 

父ちゃんの入院する病院の駐車場へ。

 

コロナな日々でもあるけれど、

そうでなくても会えないので、

駐車場から応援しに行きました。

 

通常の抗がん剤治療では効き目が悪くなり出して、

造血幹細胞移植と言う、

自家移植をするために、無菌室への入院をしました父ちゃんでした。

 

先日、大学病院で自分の造血細胞を採取しました。

10月25日から2日間、

強烈な抗がん剤を大量に投与する父ちゃん。

トイレやシャワー室も部屋にあり、

一歩も部屋から出られない生活をしました。

 

副作用の、

下痢、嘔吐、脱毛、、

死ぬかと思った。

そう言っていた父ちゃんでしたが、

11月19日、退院する事が出来ました。

家に帰れる事が本当に嬉しそうでした。

 

退院はしたものの、

自分の身体の中で血液がまだまだ作られません。

酸欠、貧血、とても辛い日々が続きました。

 

それでも、体力をつけたくて、

頑張っていました。

 

11月26日。

車を運転して、点検のためにディーラーへ。

車が大好きな父ちゃんなので、

ここへ来ると生き生きしていました。

 

この移植をして、

何年も無治療になる人もいるのですが、

笑ちゃんの父ちゃんは、

そうはなりませんでした。

 

2021年 10月16日から11月26日までの事を載せました。

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。⑩

2023-05-18 21:26:00 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

2021年 10月4日。

長野県は東御市にある、海野宿へ。

 

近くには、千曲川が流れ、

程よい距離に、キレイなトイレもある駐車場があり。

朝一で行くと、人も少なくて。

 

免疫力の無くなった闘病中の父ちゃんには、

本当に有り難かった場所でした。

静けさも身体にはとても良かったです。

 

母ちゃんのために、花屋へ寄ってくれて、

その後に行くのは、

長野県北佐久郡御代田町にある、

《地粉や》さん。

素晴らしく眺めの良いお蕎麦屋さんです。

 

父ちゃんもここを気に入っていました。

次来たときは、くるみそばを食べようね。

そう約束していましたが、

その願いは叶いませんでした。

 

紅葉の始まりの頃でした。

 

その翌週、10月11日。

山梨県は小淵沢へ泊まりました。

母ちゃんが仕事から帰って来てから、

父ちゃんが車を走らせて、宿に泊まりました。

 

あくる朝の散歩で、近くにある神社でお参りをしました。

 

とてもキレイな朝でした。

 

朝の散歩をしてすぐに出発しました。

本当の目的地は、長野県の奈良井宿。

 

朝一番、感染のリスクを減らすために、

人の少ない時間を選んで行動していました。

 

ここにも神社があり、お祈りしました。

大木からもパワーを頂きました。

 

空の青が本当にきれいでした。

 

父ちゃんの気分が少しでも晴れたらいいなあ、

後ろから写真を撮っていても、

ずっとそう思っていた母ちゃんでした。

 

また車を走らせて、

長野県諏訪郡にあります、

万治の石仏へ行ってみました。

凄くパワーがあるんだそうです。

 

大きな治療前に、

父ちゃんの不安が少しでも無くなりますように。

またみんなでここへ来よう、先に目標が持てるように。

いろんなパワー集めて、

病気なんてどこかへ行ってしまうように。

 

10月22日から移植のために入院になる父ちゃん。

 

今の体力が戻るのには時間がかかる。

 

移植直前ギリギリまで、たくさんいろんなところへ

行ってきました。

 

2021年 10月4日〜10月11日までの事を載せました。

 

体力も、反応も、この頃はまだまだ良かったときでした。

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。⑨

2023-05-17 19:40:29 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2021年 7月29日

抗がん剤の副作用は、けっこう夜に来たりする。

しゃっくり一晩中とか、

2〜3日も痛みが取れないような足の攣り。

それに加えて骨の痛み、

そして、そして、骨が溶けるのでカルシウム血症とやらに。

たちまち腎不全へとつながるので、

夜から朝にかけてもずーっと水を飲む。

なのでトイレへ起きる。

結果寝不足。

だから昼間に眠くなる。

8月5日

 

そして調子が良くて頑張れそうになると、

甘いものを作ってくれる。

8月10日

買い物へも運転してくれて

だけど感染怖くて車からは出ませんが。

 

笑ちゃんも父ちゃんの様子を見ながら、

おもちゃで遊んでいました。

 

色白だと言われる母ちゃんの手が、

黒く見える

 

抗がん剤治療のあとの父ちゃんの肌は、

まさに血の気が引いてしまう。

 

死体みたいになるので、

最初の頃は見ていて怖かった。

これだけ身体に負担をかけながら治療をしているんだなー。

そう思いました。

 

8月24日

あんみつもよく作ってくれました。

 

8月25日

父ちゃん1人の事でも大変なのに、

そこへじいちゃんまでもが癌になる。

しかも同じ病院へ入院した。

このあとじいちゃんは、

長く入院して、連続して5回も手術をする事になる。

 

どちらも大変だったなあ。

 

9月18日

父ちゃんが棚を磨いてくれました。

 

ピカピカになりました。

 

9月21日

笑ちゃんのおめめの調子が悪くなり、

 

父ちゃんの運転で病院へ行きました。

 

もう、父ちゃんが病院へ連れて行ってくれることは、

ありません。

 

2021年 7月29日から9月21日の事を載せました。

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。⑧

2023-05-07 19:14:40 | 笑ちゃんの父ちゃん。

父ちゃんの血液の癌の治療は、

抗がん剤治療が中心です。

それで効果があれば良いのですが、

その効果は一瞬で、長続きしませんでした。

 

2021年の秋には、移植、と言う、

もう少し強い治療をする事になりました。

誰しもが出来るわけではなく、

65歳以下の比較的若い患者さん、

それ以上でも体力がある人。

 

そんな話も聞いていたこの頃。

やがて歳をとったら、それもできなくなるのか、、

などなど、先行きの不安もかかえた毎日でした。

 

2021年5月末に、

大学病院へ行き、説明を聞いて来ました。

 

2021年 6月3日。

↑ 大学病院でこんな話を聞いてきた3日後には、

レンジの前で、にっこ にこ な父ちゃんで、

 

どんな精神力なのか、、

説明を、自分の病気を、

本当に分かっているのか?

 

ま、本人がご機嫌でアップルパイを

焼いているんだから、いいじゃないか。

 

会社の人が時々お見舞いに来てくれる。

必ず手作りのおやつを作ってご馳走してあける。

美味しいのが口コミで広がり、

会社の仲間から注文が入るようになり。

体調の良いときには、よく作っていました。

 

ちょっとお店っぽく、、

母ちゃんも袋詰めを手伝いました。

 

そうそう、こんなアップルパイ焼いてる場合では

ないのかもー。

 

6月8日。

骨の痛いところにコルセットを巻いて、

房総半島の先の方へ車を走らせました。

 

秋に、移植と言う大きな治療をすると、

髪の毛抜けちゃってー、、、

じゃあ、その前に、

髪の毛あるうちに、

皆んなで写真撮っておこう。

三脚立てて、母ちゃん走って

ギリギリセーフで間に合って、

笑い過ぎちゃった一枚です。

 

6月12日。

父ちゃん、53歳の誕生日。

この写真が、後に遺影になりました。

↑笑顔の父ちゃんですが、、、

 

秋の大きな治療の移植には、

強烈な抗がん剤を投与するので、

いろんな細胞が死んでしまうのだそうだ。

 

その強烈な抗がん剤を投与する前に、

今のうちに幹細胞を採取して、

大学病院で保存しておく。

 

骨髄液は大人の骨髄液にならないと、

血液中に出て来ないとのことで、

4日間、毎日病院へ行き、

赤ちゃんの骨髄液を注射の作用で、

血液中に溢れさせると言う、

なんとも無理矢理な事をしていた、

2日目の誕生日でした。

 

母ちゃんに、

『53歳の誕生日を迎えられて良かったな』

なんて言ってもらえての笑顔でした。

 

さすがに、無理な事を身体にしてもらっているので、

やっぱり、、、こうなりますよ。

 

どんなに辛かったか、、、

 

抗がん剤の副作用は、いろいろありましたが、

父ちゃんが毎日気にするのは、便秘の事。

強烈な下剤を出してもらっても、

びくともしませんでしたねえ。

 

もはや、気休めでしたが、

野菜中心に、

 

そうこうしていると、

また次の抗がん剤治療に変わる。

 

新しい抗がん剤は、

どうやら心臓への副作用があるらしい。

となると、、6日間の入院をしながら様子を看る。

入院前に、ナポリタン。

 

そして6月23日入院。

 

 

母ちゃんの心配をよそに、

指に巻かれたテープが犬だよー。

こんな写メも来たりする。

 

心配かけないようにしていたのかなあ。

 

久しぶりの入院で笑ちゃんは、

 

父ちゃんの枕から離れず、

 

外へ行けば探しまくり、

 

階段から父ちゃん来るのを待つ。

 

2021年 5月末から6月23日のことを載せてみました。

 

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。⑦

2023-05-01 20:31:52 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2021年 5月17日

福島県、サンディーズへ。

 

今月末から、治療が変わるため、

頑張ってもらいたくて。

我が家には少しお値段高い宿だけど、、

『特別だよ〜』

と母ちゃんに言ってもらえて、

とても嬉しそうでした。

 

少々、お酒も飲んだりして、

こんな、ふざけた事もしていた父ちゃんでした。

大好きな宿にまた来れて、

はしゃいでいました。

 

お菓子作りの参考にでもしたかったのかな。

 

ここにいる時は、

自分が大変な癌患者であることを、

忘れられた貴重な時間でした。

 

母ちゃんの大好きな、クリン草を、

一生懸命にカメラしてくれました。

 

宿の中でも1番好きな部屋がありました。

窓からの風景も、よく眺めていました。

 

5月25日

軽井沢のタリアセンで散歩しました。

免疫力が無いと言うのが、どんな感じかと言うと、

帯状疱疹の予防薬を毎日飲んでいても、

帯状疱疹になる。

そんな感じでした。

特に大きな治療前は、母ちゃんも神経質になり、

子供の多い近所なんて、とても父ちゃんを外に出せなく、

遠くても人が居ないところ。

 

こんな生活をしていました。

 

そして、5月31日、

大きな治療前検査で大学病院へ。

血液内科 輸血部にて。

採血、レントゲン、心電図、採尿。

 

毎日、部屋の天井を眺めながら過ごす父ちゃんを、

少しでも気晴らしに、

少しでも楽しい事を、

一瞬でも癌の事を忘れるように。

 

2021年 5月17日〜5月31日の事を載せてみました。

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。⑥

2023-04-29 08:12:47 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2021年 4月9日。

近くの菜の花畑へ散歩へ行きました。

 

家でゴロゴロしていたら、

近くにこんなところがあるよ、と連絡きて。

直ぐに散歩へ行ってみた笑ちゃんちでした。

 

すごく静かな場所で、

こんなところなら、引越しして来てもいいな。

現在の住まいもかなりな田舎ですが、

もっと静かな場所への憧れもあった、

そんな父ちゃんでした。

 

葉っぱを、

 

炒めて、味付けして、

 

ふりかけにしました。

 

ふきを炊くにも楽しそうで。

 

 

 

 

 

血液を作る材料の元になるものが癌化しているので、

この頃は時々でしたが、

今日は赤血球、

今日は血小板、

交互に輸血をしていた父ちゃんでした。

 

えーっ? 包丁やりたいのー?

 

まあ、言う事を聞かない父ちゃんなので、、

 

隣で見守り。

 

たけのこ。

 

 

料理は手伝い程度でしたが、

おやつは、全部父ちゃんです。

中のあんこも、小豆から。

大判焼きに、

 

ガトーショコラ。

美味しかったよ。

 

みんなでキッチンに立って、

本当に楽しい日々でした。

笑ちゃんも嬉しそうで。

 

なのに、今のキッチンは、

火が消えたように静まり返って。

 

本日の笑ちゃん。↓

今日は早朝も歩きたくなくて、

さっきも散歩へ行こうと出かけましたが、

直ぐに帰って来て。

ゴロ〜ん。

 

数キロ先の高速道路、

今頃は大変な事になっているのかな?

 

今日の千葉県は曇り空。

風があるけれど、

過ごしやすい気温です。

 

2021年 4月9日から5月13日の事を

載せてみました。

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。⑤

2023-04-25 20:19:34 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2021年 2月22日。

こんなお願い事もしましたねえ。

 

 

 

木のコブに触ると良いとかで、、

 

でも、この日は乗り気じゃなかった父ちゃん。

なぜなら、笑ちゃん入れない神社だったから。

 

2月24日。

房総半島も南の方。

菜の花を見に行きました。

 

行きたいところ、

行きたい日、

したい事、

何でも言うんだよ。

父ちゃんには、そう言っていました。

 

体調良い日はやっぱりドライブがしたかったようです。

2月24日。

 

午前中の治療を終えて、

ランチへドライブ。

腎機能落ち気味?顔が浮腫んでいても、、

嬉しそうでした。

3月16日。

 

3月19日。

春彼岸。わんこたちのお墓参りへ。

 

3月20日。

父ちゃんのコルセットが少し写っていますが、

ドライブの次に好きな事、

キッチンに立つこと。

 

母ちゃんの手伝いを、よくしてくれました。

 

3月22日。

時はコロナで、免疫の無い父ちゃんは、

人混みNGなので、

スーパーやコンビニへも行かせませんでした。

この頃の軽井沢、本当に人が居なくて、

有り難かった。

軽井沢のタリアセンにて散歩を。

 

軽井沢の行き来、サービスエリアにも寄らず、

まっしぐらに。

サービスエリアも人がいるので、

感染が怖くて。

そんな事をしていました笑ちゃんちでした。

 

3月26日。

家の近くの遊歩道。

人のいない時間を選んで、歩いていました。

何年先も桜を見られますようにと願いながら。

 

3月29日。

父ちゃんが大好きな福島の宿へ。

 

ここに来ることが1番嬉しそうでした。

ですが、名物の馬刺しは、

免疫力がないのでNGでした。

いつか食べられるかなー、、と思っていましたが、

最後までOKが出る事はありませんでした。

それでも、宿のオーナーさんが様々工夫してくれて、

有り難かったです。

 

2021年2月〜3月の事を載せてみました。

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。④

2023-04-22 19:19:14 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2021年 1月19日。

退院してから初めての外来通院が始まりました。

検査で病院内を結構歩くので、

車椅子で移動したりしていた頃です。

この頃は週に2回の抗がん剤治療。

 

この日は、午後父ちゃんの治療終えて、

家に父ちゃんを送り届けて寝かせたあと、

母ちゃんまた病院へ戻りました。

栄養指導を受けるために。

 

ご飯の量やら、

 

魚ならこれくらい、

 

などなど、

大変だったのは塩分の量。

ほんのわずかな量で、、、

あとは出汁とかで味を誤魔化す感じ。

 

家にある調味料は全部、減塩に変えました。

 

それと、これ、

MCTオイル。

 

入院して痩せる、

皮膚がほろほろと剥がれ落ちる。

 

このオイルを、味噌汁にもたらしました。

 

この栄養指導の日の事をよく覚えています。

 

まだ病院も通い始めた頃の事で、

勝手がよく分かっていなかった母ちゃん。

 

午前中に父ちゃんの治療で、

その治療終えたらお会計をしてしまったのだ。 

それから父ちゃんを家へ送り、寝かせて、

また病院へ戻り栄養指導を受けたのだが、

栄養指導にもお金が発生するのは知らなかった。

またまた会計へと言われ、受付へ行くと、

大きな声で叱責されました。

 

『まとめて会計して下さい❗️』

 

なんだかね、、、

お昼も取らずに1人で駆けずり回っているのに、

情けないやら、悲しいやら、

車に乗ってから涙が溢れて。

なかなか家に帰らないでいたら、

父ちゃんから電話きた。

『まだ終わらないの?』

 

これこれ説明したら、父ちゃん、

『ごめんね、俺のせいで嫌な思いさせて』

『早く帰って来なー』

 

癌患者の父ちゃんに、ごめんね、

なんて言わせてしまった。

もう、自分が嫌で嫌で、

情けなくて、情けなくて、、、。

余計に泣けた、そんな日でした。

 

免疫を上げて欲しくて、

ゆっくり入浴もしてもらいました。

 

昼夜関係なく、ほとんどは寝ていました。

抗がん剤治療は、キツイんだと思います。

この頃はまだ、この程度でしたが、、、

 

それでも母ちゃんの手を借りる事なく、

お風呂も、トイレも、洗面も、

自分で出来ていた父ちゃんでした。

 

そしてまた治療、

 

2月。

↑の治療のあとに、

父ちゃんがドライブへ行きたい。と言いました。

 

この日、退院して初めて、

笑ちゃんのリードを持つ事ができました。

 

大丈夫?の問いに、

『こうしてみたかったんだよ』と、

とても嬉しそうでした。

 

2月6日。

この日は調子が良く、

小豆を炊いていました父ちゃんです。

 

その2日後には、

また寝る。

体調には波がありました。

 

2月9日。

またドライブへ行きました。

 

県内ですが、神社へ。

息を吹きかけて、

 

えい!っと投げて割る。

 

機会があれば、よくこんな事をしていました。

少しは気が軽くなるように。

 

2021年 1月から2月の事を載せてみました。


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笑ちゃんの父ちゃんの事。③

2023-04-19 19:50:26 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2021年 1月1日。

笑ちゃんの父ちゃんは年末年始お休みですが、

母ちゃんお仕事。

 

なので早朝の散歩がてら、

事が事なので、近くの神社に初詣。

と言うか、神頼み。

 

笑ちゃんを抱っこしてお参りしましたが、

この直後には、痛みでリードも持てなくなりました。

 

1月4日。

朝一番で、大きな病院へ行き。

夕方まで検査をしました。

ピースなんてしている父ちゃんですが、

この時の状態は、

夜中にトイレに行くときに、

起き上がるまで30分かかるほどの痛みがありました。

このあとの説明で、この日から入院する事になりました。

血液検査へゆっくり歩いて行き、

CT検査へも歩いて行き、

まる1日歩いていた父ちゃんの元に、

車椅子が用意されました。

その車椅子に乗るように促されて、

その車椅子の後ろを母さん着いて行きました。

 

着いたところは一般病棟ではなく、

ICU(集中治療室)でした。

 

一旦先に入った父ちゃん、

その間に、書類の記入をする母ちゃん。

事の重大さに、母ちゃんの弟も駆けつけました。

 

ここに来る前に、

症状を入力するとある病名にたどり着く。

全くもって、その通りな症状で。

 

そして、先生からの説明でも、

その病名が告げられました。

 

多発性骨髄腫。 

血液の三大癌、なのだそうだ。

 

ん?何なのこれ。

腫ってついてるけど、え?癌なの?これ。

 

父ちゃんも母ちゃんも初めて聞きました。

 

調べてる段階で、

漫才師の宮川大助・花子の名前が出て来る。

 

あ、特番で見た事あるよ、これ。

花子さんが、痛い痛いって言って起き上がれない。

そんな場面をテレビでやってたやつだ。

 

やっぱり癌なんだ。

 

無言になる父ちゃんがいました。

 

ただ、先生からは、

『今日来てもらって良かったですよ』

と、言われた父ちゃんでした。

 

すでに腎不全を起こしていたのだ。

 

直ぐにでも抗がん剤をスタートさせたいところですが、

先ずは腎臓の機能を回復させてから。

 

そんな流れで、透析からのスタートをした父ちゃんでした。

 

母ちゃんと弟がICUへ入れてもらえました。

父ちゃんの目から涙が流れていました。

てっきり、悲しくて泣いているのかと思ったら、

首からの処置があまりにも痛くて、

それで泣いていたんだと。

 

一日中検査、そして父ちゃんを病院に置いて帰る寂しさ。

帰りの車の中で、母ちゃん弟に言いました。

『みんなのために頑張る人なのに、

この世に神様なんていないね』って。

 

ばあちゃんと留守番をしていた笑ちゃんを

迎えに行って、我が家に帰って来ました。

 

笑ちゃんは不思議そう。

ずっと父ちゃんの布団から離れません。

退院したときの事を考える母ちゃん。

介護ベッドをレンタルするか、

父ちゃんに聞くと、要らない。と。

 

まあ、でも、

トイレ含めて水回りが近くないと。

 

母ちゃん、一階の寝室から布団を、

2階リビングへ運びました。

リビングが病室に変わったときです。

どこに布団が来ようと、

笑ちゃんは父ちゃんの場所を守っていました。

 

 

仕事終えてから、洗濯物の持ち運びをする生活になりました。

笑ちゃんと一緒に。

 

1月9日。

1つの山を超えた父ちゃん、

一般病棟へ移動する事が出来ました。

 

年末の記憶がなかったのは、

腎不全を起こしていて、尿毒症が起きていて、

それで、記憶がなくなった。

 

この病気は、血液の病気なのに、

骨を壊してしまうという、

厄介で治る事がない病気でした。

 

治る事が無いので、高額な医療費が一生続きます。

ありがたい制度を使います。

これを初めに提出すると、

限度額までの支払いで済みます。

 

ただ、複雑で、

病院ごと、、診療科ごと、の限度額なので、

父ちゃんみたいに、いろいろな科にかかると、

まあまあそれなりに。

 

やがて父ちゃんは破格な治療をする事になりましたが、

それは、それなりの請求額でした。

 

さあ、笑ちゃんが父ちゃんを探し出します。

どこー、父ちゃん。

 

ねえ、父ちゃんはどこなの?

 

始めの頃は、本当に大変でした。

散歩も歩かない、家の中でも探しまくる。

耳を澄まして父ちゃんを探す。

 

1月14日。

退院の1日前。

病院のコンビニにて。

 

このときも、

免疫ないのにコンビニ行くなんて。

母ちゃんに小言を言われた父ちゃんでした。

 

でも、嬉しかったんだろうな。

家に帰れるのが。

つい、はしゃいじゃったんだよね、父ちゃん。

 

このときは小言を言ってしまって、

ごめんね。

 

みんなに送るための写真は、

母ちゃんが『笑って』と必ず言ってました。

みんなが心配するといけないので。

 

でも、退院して普段の父ちゃんはこうでした。

 

 

笑ちゃんは、帰って来た父ちゃんに、

飛びつき喜びました。

 

1番痛みの強い肋骨めがけて、

ジャンプ ジャンプしてしまって。

 

帰ってきて嬉しい、

笑ちゃんと会えて嬉しい、

でも、強烈痛い。

 

そんな1度目の、入院と退院でした。

このときから、1年3ヶ月の休職をする事になりました。

 

2021年 1月の事を載せてみました。

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。②

2023-04-15 08:56:40 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2020年10月。

部屋の厚手のカーテンを変える事にしました。

無地のものから、

 

木々に小鳥のものに。

後に、『あのときこれに変えて良かったなぁ』と、

父ちゃんがしみじみと言う事になるとは。

 

11月。

父ちゃんの肋骨の痛みは、一向に治らず。

それでも、まだ普通の会話はしていた頃。

 

父ちゃんの洗濯物、

カゴにも入れず、ほんと、何度言っても頭にくること。

 

『ねえ?足の指は1本しかないの?』

 

そんな事も言っていた母ちゃんでしたよ。

 

デパートへ買い物へ行って。

一枚の敷物にスーっと引き寄せられて。

どこに敷くのかも想像もつかないのに、

お持ち帰り。

 

家に帰ってから、いろいろと置いてみるけれど、

イマイチしっくり来ない。

 

これが後に、ぴったりの場所を見つける事になるとは。

このときは想像もできませんでした。

 

11月、この年はこれが最後の病院かな?

笑ちゃんの病院の近くのお煎餅屋さんへ。

おばあちゃんが1人で頑張っているお店。

コロナなので、行くたびに応援も兼ねて、

よく立ち寄りました。

 

笑ちゃんもこのときは元気に、

問題なく過ごしていた頃です。

 

12月。

点検だったのかなぁ?

車屋さんへ。

待っている間も、車好きの父ちゃんは、

あっちを見たり、こっちを見たり。

このときだって肋骨は痛いだろうに、

笑ちゃんを抱っこして。

 

コロナのこの年は、皆さん自粛生活をしていて。

その家にいるときに使うもの、

の会社に勤めていた父ちゃんは、

毎日残業続きで、

暮れに向けて益々残業になって行きました。

 

家では笑ちゃんまったり、

お散歩も、母ちゃんと2人で行く毎日になりました。

 

父ちゃんどこかな?

探しながらの毎日でした。

 

12月27日、父ちゃん仕事納めの日。

近くの整形外科の終わる30分前に、

家に帰って来ました。

 

肋骨にひび。

たったそれだけの事なのに、

痛みは増すばかり、かすれ声になる、

顔が黒ずむ。

 

それまでも、絶対にこれおかしいよ、

普通じゃないよ、病院へ行きなさい。

何度も父ちゃんに言いましたが、

言う事を聞かず。

 

それでも、もやもや感あり、

これでは新年すっきり迎えられないからと、

『今、このまま整形外科へ行って来て』

父ちゃんに言いました。

 

渋々、面倒くさそうに1人で行きました。

 

整形外科にいる父ちゃんから電話かかってきました。

『背骨にたくさん穴が開いてるんだって』

『これは整形外科じゃなくて、内科なんだって』

『明日、近くの病院に○○大学病院から内科の先生来るから、

朝一で行ってみて、だって』

 

えーっ⁉️

 

コツコツと1つずつ積み上げてきた、

幸せの積み木の山が、

ガタガタと頂上から一気に崩れてしまった瞬間でした。

 

翌日、その紹介された病院へ父ちゃんを連れて行きました。

 

血液検査、尿検査、諸々して。

結果、大きな病院へ紹介された父ちゃんでした。

 

仕事納めの日、その翌日の病院の出来事。

ときは、年末年始。

もちろん大きな病院もお休みに入りました。

 

年末年始をこの状態で家で過ごすことになりました。

気休めでお灸を、、

なぜかドヤ顔の父ちゃんです。

 

そのドヤ顔は、浮腫んでいました。

鼻血も出ていました。

 

大晦日、

貧乏暇なしな母ちゃんは、

暮れも正月もありません。

 

そんな母ちゃんをいつも父ちゃんは車で送ってくれました。

大きな月が見えた大晦日でした。

 

しかし、後から聞くと、

年末年始の記憶は父ちゃんにはありませんでした。

 

2020年10月〜12月までの事を載せてみました。

生活が一変した頃の事です。

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。①

2023-04-13 10:03:39 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2020年1月31日。

ときはコロナで、ドラックストアーの棚から、

マスクが無くなるという現象が起きました。

 

世間は自粛ムード漂う日々が延々と続いていました。

2020年7月。

庭のガーベラがキレイに咲く頃。

 

いつものように、まったりとした休日を過ごしていました。

笑ちゃんと母ちゃんは庭木の手入れです。

 

家の中でも普通の日常で、

笑ちゃんもおもちゃで遊んでいました。

 

まだその頃はじいちゃんも生きていて。

顔見せに、父ちゃんと笑ちゃんと母ちゃんとで、

よく行ったものです。

 

笑ちゃんの父ちゃんは、

1月と7月と、年に2回健康診断を受けていました。

その7月に受けた直後の、8月に、

肋骨が痛い、と言うようになりました。

そこで、近くの整形外科へ行きました。

 

ふむふむ、なるほど、

肋骨にヒビがある事がわかりました。

 

その晩、布団に入ってから母ちゃん聞きました。

『どこかに肋骨ぶつけたの?』と。

すると、父ちゃんの返事は、

ぶつけた記憶はないね。

との返事。

 

背骨を骨折した事のある母ちゃんは、

まあね、骨は骨折したって3ヶ月で治るんだから。

ヒビくらいならね。

 

そんな軽い感じで、その時は過ぎました。

 

父ちゃんは軽めのコルセットを巻くようになりました。

こうすると楽だから、そう言いながら。

 

母ちゃんに娘がいればこのくらいの年齢かな?

そのくらい歳の離れた母ちゃんの職場仲間。

いろんな悩み事を、よくうちに来て話してくれました。

夕ご飯食べて行ってくれたりしました。

 

またには外へ出かけてみよう。

房総の海の近くへ、みんなで行きました。

父ちゃんも、その子に元気になってもらいたくて、

一生懸命でした。

 

コロナな千葉県は、直ぐ近くの高速道路に入ると、

ほとんどが都内ナンバーの車で。

 

何となく、人の少ないところで歩きたい。

そんなときがありました。

9月。

長野の鬼押し出しへ散歩へ行きました。

何より運転な好きな父ちゃんは、

ドライブのときは痛みを忘れるらしい。

と、言っていたけれど、

痛みはさておき、行きたかったんだろうなーと。

今にしてみれば、そう思います。

 

10月。

長野の海野宿。

ここも人が少なくて、心置きなく散歩ができた場所です。

 

 

 

 

今から、2年10ヶ月前の、

2020年5月〜10月までの事を、

振り返りながらなので重複しますが、

載せてみました。

 

 

 


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