「点数差の疑念」という話をしましたが、その続きみたいな話で、見方を変えて・・・「上手には勝ちにくく、下手には比較的勝ちやすい」ということです。
何かのデータがあっての証明ではないのですが、気持ちの中では確信に近いものが有るのでそれをお話しましょう。
(コミの半目は話が煩雑になるので省略して話します。半目つきとかジゴ白勝ちという条件を省いています)
段級差1つなら向う先・点数で6点差と同じです。
つまり互い先で先番コミ6目出しの「コミ6目」分の特典が無くなっている
それで、6目はどの程度の大きさ・着手としての価値かと言うと、どこかで2,3目得をして、ヨセの手順で立ち回って1目得の手を数箇所打てば、そこで形勢不明ということです。
決して大石を御用にしなくても良い(出来れば簡単だけれど)
向う2子局でコミ無しは点差=コミ分で言うと18目差に相当します。
だから先ほどの向う先のようなことが起きて、且つ4線の地を3線に押さえるとか、どこかで石を切って、生きるための手を打たせるとかできれば、概ね追いつけそうです。
3子局の白の態度もその延長でしょう
このくらいの手合いの相手では、読む力というところではそんなに大きな差は無いでしょう。
こちらが読んでいる「生死」「定石」などは時として相手のほうが読みが深くて鋭い時だって有ります。
それでは上手とか下手と呼ぶのは変です・・・何処が違うのか?
読みの力ではプロと私みたいな普通のアマでは雲泥の差が有りますが、アマの中で3子差くらいなら、ドングリの背比べみたいなもので大差は無い。
差があるとすれば「総合力」でしょうか
例えば「生き死に」を読む力は同じでも、意識的に相手をそういう形に導くとか
定石そのものの知識はあっても、その組み合わせという構想力
部分の損得だけでなく、全体で判断する大局観
そういう力ではないだろうか
勿論相手よりミスが多くては話にならない。
そういうことのほかに、”意志””立場”みたいな面から見ると
「上手としては追いかける立場ですから、ぬるい手は打てない」と思っています
これは、駅伝で前のランナーを追う気持ちに似ているかも知れない。
同じペースなら永久に追いつけないから、オーバーペースを厭わずに「行け行け」です。
勿論ゴール前でキッチリ差せる自信があれば、ゆっくり行けるのですが、それが出来るとしたら、相当読めるか余程強い人でしょう>
難しい局面で「ここは切る一手」とか「手を抜くしかない・受けていられない」という場面が有ります。
読み切れなくても、「ともかくそう打って、後は後のこと」・・・こういう手を境に局面は更に険しくなりますが、相手からの追求がゆるかったり、局面を5分以上に乗り切れたら・・・
「ここでこう打たれたら難しい」と思いながらも打たざるを得ない時に、相手からの反撃・追求が無かったら・・・
「上手のズーズーしい手」を「そういうものだ」と見過ごしてくれたら・・・
そういうことの積み重ねでもあるような気がする。
マア素人ですから、上手と言っても「ひどい手」「変な手」は有りますが、それを咎められるかどうかが問題です。
下手は上手以上にそういう手を打つ可能性が有り、その時上手の方がそれを咎める可能性が高いのです。
勝負はミスの回数ではなくて、決定的なミスを犯すとか、追求のチャンスを生かすというところで決まるかもしれないので、勝敗から見ると上手有利だと考えるのです。
そういうことで、上手・同格・下手などとバランスよく打つ人と、下手しか打たない人とでは、棋力のバロメーターのはずの点数が違ってくるように思います。
本来同格の棋力の人が対局相手が先程のように両極端だったら、多分ですが表に現れる点数という表示では2子くらいに差になるかな・・・つまり15点くらい違ってきそうな気がします。
何かのデータがあっての証明ではないのですが、気持ちの中では確信に近いものが有るのでそれをお話しましょう。
(コミの半目は話が煩雑になるので省略して話します。半目つきとかジゴ白勝ちという条件を省いています)
段級差1つなら向う先・点数で6点差と同じです。
つまり互い先で先番コミ6目出しの「コミ6目」分の特典が無くなっている
それで、6目はどの程度の大きさ・着手としての価値かと言うと、どこかで2,3目得をして、ヨセの手順で立ち回って1目得の手を数箇所打てば、そこで形勢不明ということです。
決して大石を御用にしなくても良い(出来れば簡単だけれど)
向う2子局でコミ無しは点差=コミ分で言うと18目差に相当します。
だから先ほどの向う先のようなことが起きて、且つ4線の地を3線に押さえるとか、どこかで石を切って、生きるための手を打たせるとかできれば、概ね追いつけそうです。
3子局の白の態度もその延長でしょう
このくらいの手合いの相手では、読む力というところではそんなに大きな差は無いでしょう。
こちらが読んでいる「生死」「定石」などは時として相手のほうが読みが深くて鋭い時だって有ります。
それでは上手とか下手と呼ぶのは変です・・・何処が違うのか?
読みの力ではプロと私みたいな普通のアマでは雲泥の差が有りますが、アマの中で3子差くらいなら、ドングリの背比べみたいなもので大差は無い。
差があるとすれば「総合力」でしょうか
例えば「生き死に」を読む力は同じでも、意識的に相手をそういう形に導くとか
定石そのものの知識はあっても、その組み合わせという構想力
部分の損得だけでなく、全体で判断する大局観
そういう力ではないだろうか
勿論相手よりミスが多くては話にならない。
そういうことのほかに、”意志””立場”みたいな面から見ると
「上手としては追いかける立場ですから、ぬるい手は打てない」と思っています
これは、駅伝で前のランナーを追う気持ちに似ているかも知れない。
同じペースなら永久に追いつけないから、オーバーペースを厭わずに「行け行け」です。
勿論ゴール前でキッチリ差せる自信があれば、ゆっくり行けるのですが、それが出来るとしたら、相当読めるか余程強い人でしょう>
難しい局面で「ここは切る一手」とか「手を抜くしかない・受けていられない」という場面が有ります。
読み切れなくても、「ともかくそう打って、後は後のこと」・・・こういう手を境に局面は更に険しくなりますが、相手からの追求がゆるかったり、局面を5分以上に乗り切れたら・・・
「ここでこう打たれたら難しい」と思いながらも打たざるを得ない時に、相手からの反撃・追求が無かったら・・・
「上手のズーズーしい手」を「そういうものだ」と見過ごしてくれたら・・・
そういうことの積み重ねでもあるような気がする。
マア素人ですから、上手と言っても「ひどい手」「変な手」は有りますが、それを咎められるかどうかが問題です。
下手は上手以上にそういう手を打つ可能性が有り、その時上手の方がそれを咎める可能性が高いのです。
勝負はミスの回数ではなくて、決定的なミスを犯すとか、追求のチャンスを生かすというところで決まるかもしれないので、勝敗から見ると上手有利だと考えるのです。
そういうことで、上手・同格・下手などとバランスよく打つ人と、下手しか打たない人とでは、棋力のバロメーターのはずの点数が違ってくるように思います。
本来同格の棋力の人が対局相手が先程のように両極端だったら、多分ですが表に現れる点数という表示では2子くらいに差になるかな・・・つまり15点くらい違ってきそうな気がします。