家でネット碁を楽しむには、少なくとも我が家では「食事」「風呂」の時間に気をつけなくてはいけません。
ネットで対局中に「ご飯ですよ」と声がかかった場合も、まさか対局相手に「食事につき、囲碁は中断」と言う提案は出来ませんし、形勢と関係なく投了など論外です。
仮に形勢不明あるいは当方が少しでも有利な状態で投了した場合、必ずしも相手が喜んでくれるとは限らないと思うのです。
もし私がそう事に出会ったら「キツネに騙されたような・・・」いや何かしら「小馬鹿にされたような」そういう印象が残る筈です。
そうせざるを得ない事情があったらしいと想像はしても・・・
一旦始めた勝負事は「親が倒れても止められない」みたいな気持ちでやるわけで、ザルの遊びでも「親の死に目に会えない」覚悟(オーバーですが)。
そう言う事なので我が家で対局中に「ごはんですよ」の声がかかった時の返事は「今、試合中」と言う一言に決めている。
気持ちは「大事な対局中なので今は無理ッ!、後で」と言う事であるが、「大事な」と言う部分は「素人のネット碁くらいで・・・」と思われるのが気恥ずかしいので口には出さない。
「対局」という言葉も囲碁を理解していない家族に使っても馴染みが薄いと思うので使いません。
結局分かりやすく「試合中につき手が離せません」みたいな表現。
長年の習慣でこれで結構通じてはいるが。
但し、後で食卓についた場合、ご飯もみそ汁もおかずも冷えていても文句は言えない。
夏ならまだしも冬は困る・・・いや季節はともかく「出来たて」で無いとおいしくは無い・・・自業自得みたいな感じですが。
ともあれ、遅れて食卓に着く、あるいは一人で食事を取るにしても家族から文句は言われませんが、特別待遇も無し・・・不満があるなら自分で何とかしなければいけない。
風呂の場合は、家族の入浴順が決まっているわけです。
これが、長年の習慣と言うのが不思議で、たった家族3,4人なのに融通が利きません。
順番など入る人の都合で入れ替えれば良いのに、何故か順番が変えられない。
こういうことってどこの家庭でもそうなんでしょうか?それとも家族全員B型だとそういうことも起こり得るのか。
考えてみると共通の湯船に入るから入浴の順番が固定化されるのでしょうか。
もしシャワーで済ませるなら順番などどうでも良いように思うのですが、どんなもんでしょう。
ともかく我が家では「順番通り入る」か「その日はパスして入らない」のどちらか。
あるいは早朝にシャワーを浴びたり。
そう言う事なので、自分の部屋で一見孤独にネット碁を打つと言っても、実は部屋の外の気配をうかがいながら打っているわけです。
食事のタイミングを時計を見ながら測って碁を観戦か対局か決めたり・・・台所の物音に注意を払いながら。
まるでお婿さんみたい・・・イヤ何にもしない婿さんですが、これでも結構自主的に気を使っている・・・家族には絶対そう思われていないのですが。
こういう事って、長年暮らしている家族でもお互いに理解できない部分かもしれませんね。
単純な年数ではなく、囲碁を打つか囲碁を知らないかの違いが大きい筈。
ということは私は家族とって理解できない謎の部分を持っているということであり、私から見たら「囲碁の楽しみを理解できない」という謎を持っている人たちという事で、お互いに謎を持っている事になります。
ネットで対局中に「ご飯ですよ」と声がかかった場合も、まさか対局相手に「食事につき、囲碁は中断」と言う提案は出来ませんし、形勢と関係なく投了など論外です。
仮に形勢不明あるいは当方が少しでも有利な状態で投了した場合、必ずしも相手が喜んでくれるとは限らないと思うのです。
もし私がそう事に出会ったら「キツネに騙されたような・・・」いや何かしら「小馬鹿にされたような」そういう印象が残る筈です。
そうせざるを得ない事情があったらしいと想像はしても・・・
一旦始めた勝負事は「親が倒れても止められない」みたいな気持ちでやるわけで、ザルの遊びでも「親の死に目に会えない」覚悟(オーバーですが)。
そう言う事なので我が家で対局中に「ごはんですよ」の声がかかった時の返事は「今、試合中」と言う一言に決めている。
気持ちは「大事な対局中なので今は無理ッ!、後で」と言う事であるが、「大事な」と言う部分は「素人のネット碁くらいで・・・」と思われるのが気恥ずかしいので口には出さない。
「対局」という言葉も囲碁を理解していない家族に使っても馴染みが薄いと思うので使いません。
結局分かりやすく「試合中につき手が離せません」みたいな表現。
長年の習慣でこれで結構通じてはいるが。
但し、後で食卓についた場合、ご飯もみそ汁もおかずも冷えていても文句は言えない。
夏ならまだしも冬は困る・・・いや季節はともかく「出来たて」で無いとおいしくは無い・・・自業自得みたいな感じですが。
ともあれ、遅れて食卓に着く、あるいは一人で食事を取るにしても家族から文句は言われませんが、特別待遇も無し・・・不満があるなら自分で何とかしなければいけない。
風呂の場合は、家族の入浴順が決まっているわけです。
これが、長年の習慣と言うのが不思議で、たった家族3,4人なのに融通が利きません。
順番など入る人の都合で入れ替えれば良いのに、何故か順番が変えられない。
こういうことってどこの家庭でもそうなんでしょうか?それとも家族全員B型だとそういうことも起こり得るのか。
考えてみると共通の湯船に入るから入浴の順番が固定化されるのでしょうか。
もしシャワーで済ませるなら順番などどうでも良いように思うのですが、どんなもんでしょう。
ともかく我が家では「順番通り入る」か「その日はパスして入らない」のどちらか。
あるいは早朝にシャワーを浴びたり。
そう言う事なので、自分の部屋で一見孤独にネット碁を打つと言っても、実は部屋の外の気配をうかがいながら打っているわけです。
食事のタイミングを時計を見ながら測って碁を観戦か対局か決めたり・・・台所の物音に注意を払いながら。
まるでお婿さんみたい・・・イヤ何にもしない婿さんですが、これでも結構自主的に気を使っている・・・家族には絶対そう思われていないのですが。
こういう事って、長年暮らしている家族でもお互いに理解できない部分かもしれませんね。
単純な年数ではなく、囲碁を打つか囲碁を知らないかの違いが大きい筈。
ということは私は家族とって理解できない謎の部分を持っているということであり、私から見たら「囲碁の楽しみを理解できない」という謎を持っている人たちという事で、お互いに謎を持っている事になります。