会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

上海・蘇州・無錫の旅7

2010-04-04 18:59:58 | 旅行
4月4日(日) 春が来たと叫びたい日   
         = 町内会総会を終えて =

 
 昨夜 城西コミセンで平成22年度の町内会総会を開催。新旧の組長と諸団体の役員がほとんど。それ以外の方も数名。平成21年度の事業報告・収支決算報告、監査報告、平成22年度の事業計画案・予算案を審議。幾つかの質問など審議応答があり議事は承認された。
 役員改選の年。これがなかなか大変であった。70代の副会長2人、顧問2人、60代の監事2人の6名が退任されたので、役員組織を作るのに苦労した。役員になる人がいなくてもう1期会長を引き受けることになった。2期4年を終えて3期目になる。思い切って60代、50代を起用した。
 昨年からの懸案だった役員札と組長札を新しくした。すばらしい書家に書いてもらった会長札を今朝玄関に表示した。16人の組長札と8人の役員札もそれぞれの玄関に表示したことだろう。気持ちも新たに町内のことに微力ながら奉仕していきたい。
今日はお天気もよく梅も一輪咲いていた。
春が来たと叫びたいが明日のお天気はどうなるだろう。????????。


2002.12.8 「上海・蘇州・無錫の旅7」 

 ツアー観光では、民芸展、工場、実演などの見学が組み込まれている。2000年の歴史を持つ蘇州の刺繍工場へバスで移動した。ここでは、繭から糸を紡ぎ、各種の色糸で刺繍をしたり、絹布団を作ったり、衣装を作ったり、ファッションショーなどを実演。いつしか一連の流れに組み込まれ、出口の売店では妻と嫁への土産として絹のスカーフを買った。
 中国四大刺繍に数えられる蘇州の刺繍は、三国時代に端を発し、明代にはすでに刺繍の研究所が設けられ、清代末期にはパリの万博にも出展。両面刺繍が特徴で、絵柄は糸の結び目がない精巧さを誇っている。
 この工場を見学して多くの錦糸を使い分けながら、一針一針図柄にそって針を通している姿に職人の技をみたような気がした。当時の日本人の感覚としては、為替レート1元16円だったので日給が100~200元と低賃金(記憶が定かではありません)と聞いて驚いた。

  

上海・蘇州・無錫の旅6

2010-04-03 22:11:14 | 旅行
4月3日(土) 春の天気は続かない本当だ    
         = 新年度は総会が続く =

 午前中はすこぶるよい天気。身体も気持ちもルンルンのはずだが、総会が二つある。
一つは「会津葦名一族研究会総会」午後2時から北会津公民館で開催。監査報告をし総会は終了。引き続いて記念公演「七代 葦名直盛の時代」。13世紀から領主20代 約400年の中世の会津を治めた葦名一族については資料も乏しく研究も深まっていなかった。
 
 昨年4月に発足し2年目の総会であった。この会は「葦名睦の会」として活動し、叔父が会長をしていた。叔父が倒れてから20数年活動を停止していた。衣替えをして新たな姿で活動をはじめた。会の活動に関わるようになったのも何かの因縁かなと思う。

 

2002.12.8 「上海・蘇州・無錫の旅6」 

 蘇州は水の都「無錫」の大湖から流れ込む河川や運河、水路が入り組み、白壁の家々が軒を連ねる。野菜を洗う人、洗濯する人など庶民の生活や河岸の景色をみることができる。
 今回は蘇州の運河は利用しなかった。写真だけでもアップします。
 ものすごい勢いで発展を続ける中国。10年前の写真をアップするのは躊躇した。
 酷な写真であるかもしれない。蘇州の表と裏の写真。現在はこんな貧困な生活はないであろう。あってはならない。


上海・蘇州・無錫の旅5

2010-04-02 18:51:09 | 旅行
4月2日(金) 春の天気は続かない    
         = 食卓に青菜を =

 
金曜日は豊齢研ITサロン会津のパソコンの日。午前9時30分~午後3時30分までパソコンと向き合う。目が疲れる。新鮮な青菜を食べて疲労回復したい。畑には、山東菜、小松菜、ホウレン草が大きくなっていた。頭が立ち、花が咲かないうちに収穫しないと食べれない。今夜はホウレン草を食卓に! 

2002.12.8 「上海・蘇州・無錫の旅5」 


虎丘でのハプニング(一行に置いていかれた)があっったが、タクシーで追い付き「寒山寺」の観光には間に合った。

天監年間(502~519)に建立された禅宗の古刹。唐代の僧・寒山が住んだことから寒山寺と呼ばれる。創建当時の物は焼失し、清代末期に再建。唐代の詩人の張継の七言絶句「楓橋夜泊」で「月落ち鳥啼いて霜天に満つ 江楓の漁火秋眠に対す姑蘇城外の寒山寺 夜半の鐘声客船に到る」と詠まれている。

   
  

上海・蘇州・無錫の旅4

2010-04-01 18:44:06 | 旅行
4月1日(木) 全国的に気温上昇    
         = 新年度スタート =

 本当に久しぶりの暖かさ。生ごみ出しの日だったので昨日まで剪定しておいた枝をまとめて指定場所にだした。新年度がスタート。近所の保育園には入園する幼子が保護者とともにやって来た。迎える保母さんと親子の交流が微笑ましい。年子の孫を数年前 保育園に送り迎えしたことを思い出す。その孫も中学生と6年生になる。あっという間だった。
 
 6年生になる孫はまだ嫁の実家に居る。中学生になる孫は先生方の離任式に出席のため昨日早朝帰宅。午後は友達と野球をして楽しんだ。今日も野球をしたかったようだが友達が集まらない。身体をもてあまして居るようなので“バッテングセンター”へ連れていく。
 プリペードカード 2000円で13回打てる。1回20球。春休みなので混んでいた。
スピード80kmのマシンでバッテング。小生も打ってみたが、思うように当たらない。結構難しい。もっとスピードのあるマシンのほうがよいのかも知れない。

 生意気になってきた孫も今日は“お爺ちゃん、お爺ちゃん”と声かけをして来た。孫との交流が図れた日であった。
 

   2002.12.8 「上海・蘇州・無錫の旅4 」 

初めての海外旅行者も多く、バスの中では少し興奮状態。添乗員や現地ガイドの話しも上の空で車窓からの風景に夢中。我々仲間5人も同じだった。ハプニングの第2の予兆のはじまり。



はじめに訪れたのが「虎丘(8角7層の雲岩寺塔は中国版ピサの斜塔)」である。

紀元前、春秋時代の呉王・王差が父「こうりょ」 のために築いた陵墓。埋葬して3日後に白い虎が現われて墓を守ったという伝説からこの名前が付いた。敷地内には約400の名所がある。中でも北宗時代の961年に建てられた雲岩寺斜塔が有名である。高さは47.5m。

 駐車場から塔まで一緒に登った。9時40分に丘の上の塔に着く。20分自由時間。知人と二人で周辺を散策し写真を撮った。塔の下に10時集合のはず。誰も居ない。駐車場が真下に見えたので降りていけばみんなと合流できると思った。足取りも軽く駐車場へ。誰も居ない。バスもない。二人で??????。
中国語が話せない。簡単な英語は話せるが相手が理解できない。一時パニック状態。しかし、そこは大人。冷静になり一人は駐車場で待つ。一人は戻って丘の上で待つことにした。
10分後 我々を探していた現地ガイドとめぐりあう。よかった。

 この旅行のため、わざわざ「日中友好旅行団」の黄色いジャンバーを作り着用していたのが功を奏した。虎丘は有名な観光地。多くのガイドが旅行客を引率している。ガイド同士の情報から、黄色いジャンバーを着た日本人が居ると現地ガイドに伝わり遭遇できたのである。
 旅行団はバスで次ぎの見学場所へ移動していた。我々二人と現地ガイドはタクシーで移動した。タクシー代の請求はなかった。
 この虎丘は東の駐車場から上って西の駐車場へ降りるルートであった。
 このハプニングとなった原因は説明がなかったこと、人数確認がなされていなかったこと、解散場所を動かないこと・・など迷子になった我々二人とガイド・添乗員で反省した。