週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#293 -’24. ノリタケの森

2024年11月01日 20時55分24秒 | 国内旅行

トヨタの次はノリタケの森にお邪魔しました。トヨタの受付でノリタケの森への行き方を尋ねてくると、徒歩でも近い距離である事が分かりました。丁寧に教えた頂きメグールバスに乗る事無しにお邪魔しました。

2024.11.01.20.55.24

素敵な空間と言った感じのひろばでした。開放されて空間と対をなす建物などノリタケの工場の跡地なのでしょうか。

ノリタケの森の楽しみ方です。

1 イオンモール脇から公園に入ってきました。

2 ノリタケの森を造る時に寄附などした篤志家のプレートです。

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4 6本の煙突が工場の面影を残しています。撮影時は煙突に蔦がからまっていました。

5 ノリタケの森です。我が家が洋食器を集めだしたのはこちらのノリタケのポーンチャイナからでした。

6 こちらの看板の上部にあたるイオンモールからはいってきました。撮影場所は看板一番下の右の現在地の表示の所です。

7 小川と言うよりセセラギと言った方良い感じの水の流れです。この時は水面上をミズスマシが沢山いました。

8 噴水公園です。

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13 六本の煙突側からイオンモール眺めて。

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15 平成ですから今上天皇が皇太子時代に雅子様と行啓を祈念して梓の木を植樹した事を祈念して設置したものです。

16 素敵な洋食器が並ぶ店内に。

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18 孫達も喜ぶのではと思った次第です。

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21 こちらは大倉陶園のものに見えたので近づいて確認したら

22 素敵な物ばかりなのでしたが、即却下されました。

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24 耐火煉瓦(たぶん)が歩道の一部に敷き詰められえていました。

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29 時代を感じさせる赤レンガ棟です。

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31 建物の二階で絵画展が開催されていました。

32 次回の催事が告知されていました。

33 ネコバスの行き先は名古屋でした。

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#292 -’24. トヨタ産業技術記念館

2024年11月01日 20時04分11秒 | 国内旅行

名古屋旅行の二日目です。最初に訪れたのがトヨタ産業技術記念館です。

2024.11.01.20.04.11

二日目は市内バス&地下鉄乗り放題(ドニチエコきっぷ)に乗っての観光です。尚且つ名古屋市内の地下鉄バスの地理が不案内の我が身にとっては利用しやすいとの事でこちらを購入しました。店舗や施設での割引が受けられる特典もついています。

早速、名古屋駅からトヨタ産業技術記念館まで乗車です。こちらのドニチエコきっぷを販売する係員の方から始発の名古屋駅バスターミナルで購入しました。

なごや観光ルートバス メーグル ガイドを利用して歩き回りました。

正直に言って、車大好き人間です。富士スピードウェイも友人とレース観戦にいったり、学生の時には大学主催のラリー競技にナビゲーターをして参加したりしていました。だからと言ってスピード狂では無いと思っています。

そんな自分が期待してお邪魔した『トヨタ産業技術記念館』でした。自動車に特化している筈も、名前からしてあろうはずがありません。トヨタ自動織機など産業の姿を投影した施設です。なのに、自分としては・・・・でした。

1 この機械が織機なのかは知れませんが、横に製品を出すのではなく、自重で落下する事で製品の質を高める画期的な発想を思えてなりません。だからこそ、ミュージアムの一番の席に鎮座しているのだとおもいました。

2 綿花を紡いで糸にする貴重な姿です。でも、誰よりも先にどんどん進みました。

3 糸を紡ぎ布に織り上げる。

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5 自動車館に到着です。

6 ロボットなど未来のトヨタです。

7 クランクシャフトが展示されていました。EVに取って変われば無用な金属部品になります。素人目では四気筒のものかと。

8 木型でモックアップ(?)モデルを作り板金で外形を造っている途中かと。 

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10 正式に販売されたトヨペットの前の試作車のような感じを受けます。何処かRRのルノーにも似ている雰囲気を感じます。ラジエーターグリルがありますから、FRであることは間違いありませんが。

11 TOYOTA 2000 GT と パブリカをボアアップして排気量を 800㏄ にした空冷のスポーツ・カーです。買えるお金はありませんでしたが、欲しくてほしくて堪らなく好きだったTOYOTA 800 でよた八とも呼ばれていました。空冷ですから独特のパタパタ音の排気音でした。トヨタが世に送って国民車のパブリカです。

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15 サニーに100㏄の差をつけて販売上手の片鱗をみせていました。

16 BC戦争と言われたブルーバードとコロナです。

17 初めて手にした車です。勿論、中古品ですが。GTでもありませんし新車でもありません。色々と手直ししてもらって乗れるようになった車です。

18 ハイソカー(ハイ・ソサエティーカー)の元祖と言われるソアラです。

19 セルシオがベンツを凌駕しだした最初の車かも。

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21 トヨタが出した超高級なスポーツカーと言うより、・・・・ですが、スーパー・カーとして人気が出たのは分かりません。でも、V10型でDOHCです。

22 トヨタのAA型のストラップを造る装置です。樹脂を整形してもらいます。

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28 次のバスが来るまでまで時間があったので、歩くことにしました。

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トヨタを後にして、ノリタケの森に向かいました。トヨタの受付で懇切丁寧な道順を教えて頂きました。

動画で知る自動車館【トヨタ産業技術記念館】

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#290 -’24. 名古屋城本丸御殿(その二)

2024年10月31日 14時09分17秒 | 国内旅行

名古屋城本丸御殿その一の続きです。

今回は、対面所~身内だけが立ち入れる豪華かつ私的な社殿~ 藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた建物です。上段の間’(18畳)・次之間(18畳)・納戸一之間(24畳)・納戸二之間(24畳)の四部屋からなり、上段之間と次之間の障壁画は『風俗図』と呼ばれ、京都や和歌山の四季の風物や名所が穏やかな筆致で描かれています。

上洛殿~細部まで絢爛豪華。技術と贅の粋~ 1634年(寛永11年)の三代将軍家光の上洛に合わせて増築された建物で、上段之間(15畳)、一之間(18畳)、二之間(22畳)、三之間(21畳)、松之間(20畳)、納戸之間(10畳)の六部屋からなります。襖絵・天井板絵や、絢爛豪華な彫刻欄間、飾金具等で彩られ、贅の限りをつくしていました。王の正しい行いを描いた障壁画『帝鑑図』は、当時33歳の狩野探幽によるものです。

〇 名古屋城本丸御殿・対面所

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2   対面所納戸次之間です。

3 撮影位置を少し左に寄って、柱が画面を二分割しますが。

4   対面所納戸上之間です。

5    対面所次之間から上段之間を

6   上段之間です。

7   上段之間と次之間の障壁画は、風俗画と呼ばれ、四季の風物や名所が描かれています。

8   対面所次之間の天井は、黒漆の格天井です。

9 対面所から上洛殿に通じる鷺之廊下です。

 

10    鷺之廊下の金箔の壁にはシロサギが飛び交わっています。

〇 名古屋城本丸御殿・上洛殿

1634年(寛永11)、三代将軍家光が京都に上洛する途中、名古屋城に宿泊します。それに先立ち増築されたのが、本丸御殿で最も絢爛豪華な上洛殿です。江戸時代には御成書院と呼ばれていました。

11 京都のお寺などで見かける梁の上の工作物を良く見かけます。案内の方に聞いて結界を意味する竹節欄間だと教えてもらいました。普通に見かけるのは、白木ではなく漆で塗られています。建物の強度を保つものだと勘違いしていました。

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15    上洛殿の釘隠しですが、かなり立派なものです。

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21    上洛殿上段之間です。最上格の格天井には、板絵も描かれています。

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23  上洛殿一之間です。豪華絢爛な彫刻欄間で贅の限りを尽くしています。

24  上洛殿二之間です。

25    上洛殿三之間です。

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27  梅之間です。

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29   天守閣木造建築復元の立派な募金箱です。

湯殿書院と黒木書院につづく

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#289 -’24. 名古屋城本丸御殿(その一)

2024年10月30日 21時52分54秒 | 国内旅行

今回訪問した本丸御殿は第二次世界大戦の戦火で焼失した物を再建したものです。取り外しが可能なものは乃木倉庫などに戦火を逃れ焼失を免れました。その努力によりレプリカですが、障壁画をみる事が出来、写真撮影も可能なのです。文化も芸術作品も世界に誇れる素晴らしいものが後世に残ったのです。文化芸術の進歩したヨーロッパ諸国に勝るとも劣らない素晴らしい日本の芸術品の数々です。 

近世城郭御殿の最高傑作

本丸御殿は、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として1615年(慶長20)に完成しましたが、初代藩主徳川義直は1620年(元和6)に二之丸御殿へ移り、以後は徳川将軍専用の宿館になりました。御殿の内部は障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られ、江戸時代の先端技術を注いだ近世城郭御殿の最高傑作とたたえられるほどでした。1930年(昭和5)には、城郭では天守とともに国宝第一号に指定されましたが、1945年(昭和20)、空襲により残念ながら焼失しました。その後、第一級の史料をもとに復元工事を開始。2018年(平成30)、往時の姿を忠実に復元した優美な空間が完成しました。(特別史跡 名古屋城 観覧ガイド 本丸御殿から引用です。)

〇 名古屋城・本丸御殿玄関

1 本丸御殿の復元手法

 

2 本丸御殿復元の資料

3    「竹林豹虎図」には豹も描かれています。これは豹が雌虎と思われていたためです。

4   玄関一之間です。床の間や違い棚などの正式の座敷飾りを揃えています。

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6    玄関二之間   壁一面に「竹林豹虎図」が描かれています。

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9 本丸御殿の入口からは入れません。その右側通って中之口部屋出入口に向かいます。

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10    表書院三之間です。

〇 表書院

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12   表書院二之間です。

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14    表書院一之間です。

襖の上の長押と天井との間に格子がはめられています。

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17   表書院上段之間です。表書院の中では、最も豪華な造りです。

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本丸御殿その二につづく

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#285 -’24. 熱田神宮宝物館・剣の宝庫 草薙館を観賞して

2024年10月27日 17時03分06秒 | 国内旅行

あつた蓬莱軒の予約時刻まで思った程なく、1時間20分後に戻らなければなりません。予定では2時間をみていました。

熱田神宮の参拝と熱田神宮宝物館と草薙館の鑑賞ですから、自ずと速足に成ってしまいます。ゆったりと時間を掛けてまわるべきですが、食後には名古屋城見学が待っています。予定は目白押しです。

最初に訪問したのが熱田神宮宝物館です。

宝物館は撮影禁止でしたので、HPから全体像を借用させていただきます。

1 宝物館で草薙館との共通拝観券が有るとの事で、割引になるのでこちらを購入しました。

2 名古屋コンシェルジュのHPから借用させて頂きました。

3 外観は校倉造りを模している感じの佇まいでした。

4 熱田神宮宝物館で頂いた三つ折りのリーフレットです。

5 こちらが展示されていたのかすら、既に記憶にありません。宝物館は写真撮影禁止でした。

6 今回は、館所蔵の 『美濃と尾張の刀剣』展でした。どちらの館も刀剣でした。

7 時間が無かった事を言い訳にはできませんが、ジックリとは、拝見できませんでしたが、日本刀の素晴らしさには感嘆しました。

8 出典リストです。刀剣に興味がある方には外せない展示かと。

9 草薙館の前には宮きしめんのお店と池が在り帆掛け舟のモニュメントがありました。

10 共通拝観券でこちらから草薙館に入ります。

11 剣の宝庫 草薙館展覧のご案内。10月『刀身彫刻の種類』でした。見ごたえも、触り応えもありました。

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13 体験コーナーがあり、実際に、持ち上げたり、少ししか動かせませんが、触る事もできます。

14 真剣に触れたのは生まれて初めての体験です。

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16 長身の刀です。佐々木小次郎もこれでは燕返しは出来ないと思った程の長身で重かったです。

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#278 -’24. 今朝の朝食(10月19日)

2024年10月19日 12時08分55秒 | 国内旅行

本日の朝食は和食です。

宿泊したホテルは名古屋マリオットアソシアホテルです。

今回の名古屋の旅は一泊二日の短期間ででしたが、家内の企画立案で訪問箇所は多く無いものの盛沢山でした。自分の気持ちの中でも存在の薄かった名古屋。でも、見どころ満載の素敵な街でした。

1 15階のラウンジで朝食を頂きました。献立は和食の定食でお任せですから、合理的です。外には東京方面から名古屋駅に入ってくる各種列車がみえます。

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3 新幹線が名古屋に到着します。

4    天井の高いコンシェルジュラウンジでの朝食です。

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6  ザクロ酢です。

7 朝の一杯は牛乳を頂くのが常ですが、牛乳はなく豆乳でした。健康に気を使い方には人気の投入です。個人的には牛乳に比して豆乳はそれ程好きではありません。

8 朝食の献立です。立派なものです。

9  和食膳です。

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12 一品づつ手を掛けてあるのが分かる料理でした。

13 最後に頂いたデザートです。

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15 南高梅の肉厚の梅越しは大好きなので、家内の分もいただきました。

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18 食事の最後に飲み物を訪ねられたので我が家コーヒーをお願いしました。

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20 席とは離れていますが、フェーク暖炉に寄ってかえりました。それにしても良く出来ています。

21 46階の自室に戻ってきました。雨になるとの事でしたがこの時点ではそんな素振り全くかんじませんでした。でも、しっかり午後から雨に遭遇しました。

22 遠い方角に雨を振れせている雲が有る感じでもありました。

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#277 -’24. 1泊2日の名古屋旅行の第1日目

2024年10月18日 22時02分00秒 | 国内旅行

マリオットアソシアのホテルからのアップです。

1   今日は朝食を摂らずに我が家を出発です。新幹線改札口近くでおにぎりを買って。

2     午前8時18分の新大阪行きののぞみに乗って名古屋に出発です。

3    ホームに上がった時には、既に入線してました。

 

4     国際フォーラムに送られて!

5   高輪ゲートウェイ駅を横に見て。

6     今日の朝食です。

7 富士山の上部は雲の中です。

8    名古屋駅に到着。

9   名古屋 マリオット・アソシエのレセプションは15階ですが、荷物の預りは2階でも行ってくれます。

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11   2階です。

 

12    名古屋駅の待ち合わせ場所金時計です。

13    東海道線で 熱田神宮へ

14    ひつまぶしを食べに、あつた蓬莱軒神宮店に。11時で、すでにこの行列です。20分並んで、12時40分に予約ができたので、熱田神宮に向かいました。

 

15   熱田神宮正門(南門)です。

 

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#162 -’24. グランヴィア京都での朝食後に宇治へ

2024年06月23日 13時13分47秒 | 国内旅行

朝食込みでの予約ですが、朝食会場でもラウンジでも食事を摂る事が可能でした。

我が家が選択したのは、ノンビリしたラウンジでの食事より料理の種類の多さとボリュウムで会場を選びました。家内はパン好きですから、ラウンジでユッタリした朝食でも良かったみたいですが、自分は質より量と言うか種類の多い朝食会場を選択させて頂きました。

1 今回はカフェレストラン  ル・タン(LE TEMPS)で頂く事にしました。ル・タンでもパンやシリアル等、欧米人の好む食事も準備されていました。こちらの朝食会場では8割~9割方欧米人でした。それも少し歳を召された団体客の様です。知っている方同士あちこちで挨拶していました。

2 朝食会場の一つです。

3 定番の納豆はご飯にかける事無く単品で頂きました。

4 案内された席が窓側ではありませんでした。窓と言ってもエレベーターが見える窓側です。京都タワーのビルが見える位置です。

5 最近、必ずしも朝食時に牛乳を頂きませんが、ホテルなどだと必ず手が伸びます。

6 朝から鯛茶漬けを頂きました。ゴマや海苔は自分の好みでトッピングしたと思います。だし汁を掛けて美味しく頂きました。大好きですし、美味しかったですし、大満足です。

7 二人分の別腹です。

8 めちゃ混みするバス乗り場もこの時間帯ですと空いています。

9 部屋に戻りチェックアウトして荷物を預けて、奈良線に乗って宇治の平等院の鳳凰堂の拝観に伺います。

10 こちらの改札から入ると奈良線は反対側でした。

11 奈良線には各駅停車とみやこ路快速が並んで電車は入っていました。普通ですと快速が混む筈ですが、観光客の目当ては伏見稲荷大社のようです。大人気の最寄り駅でも各駅停車しかとまりません。既に各駅は激混みでした。9分後に出発する快速ですが、二人掛けで座る事が出来ました。それも関西はボックス席が多いです。JRの宇治に到着しました。

12     駅前のポストは、小さくて分かりにくいですが、茶壷でした。

13 宇治と聞けば、宇治の平等院と宇治抹茶です。写真を一枚撮らせて頂きました。

  1. 14 鳥居を潜り平等院に向かいます。

15 橋の袂に紫式部が佇んでいます。

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#119 -’24. 一乗院に荷物を預けて金剛峰寺に向かいます。

2024年05月23日 17時12分28秒 | 国内旅行

南海電車、ケーブルカーそしてバスを乗り継いて高野山に上がってきました。

本日(5月18日)宿泊する一乗院に荷物を預かって頂き金剛峰寺に向かいます。

1 一乗院の前で写真を撮って。

2 天皇家や公家などと所縁のある門跡寺院を示すお寺の築地塀に五本の線です。

3     藤の花が、まだ残っていました。

4 クロバナロウバイです。

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6 一乗院の道路の反対側に普賢院があります。

 

7 遅いランチになりましたが、金剛峰寺に向かう食堂でカレーライスを頂きました。英文のメニュー表を撮影してしまいました。半数の方が外国の方でした。

7 こちらのオダマキの咲いている土塀は宿坊の蓮花院です。塀の外はここまで歩道がありました、この先の所は道路に白線が引かれています。

8 塀の中は蓮花院の境内になります。

9 宿坊の蓮花院です。

11 堀の流れの上の架かる橋の所を右に入ると金剛峰寺です。その正面の左側は駐車場です。

いよいよ、参拝と観光の開始です。

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#118 -’24. 高野山へ(極楽橋から高野山)

2024年05月22日 21時12分07秒 | 国内旅行

行動順から言えば #110 -’24. 高野山へ(新幹線・地下鉄御堂筋線・南海高野線))の続きです。南海電車の終点の極楽橋からのスレッドになります。改札口を出る事無しに、そのまま自動的にケーブルカーに乗るシステムです。

1 外国人に人気の高野山ですから、欧米人が多いな~と感じた次第です。

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3 極楽橋の駅の天井には色鮮やかに色彩でアイコンの如く描かれていました。

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5 はじまりの聖地、極楽橋。ここ極楽橋からは聖地の入口のようです。極楽鳥も空を舞っているようです。で、ところ天の如く押し出されてケーブルカーに向かってしまいました。極楽橋を拝む事も渡る事もなかったような、曖昧さが心に残ります。

俗世と聖域を、結ぶ橋。極楽鳥が橋を渡るが如くに舞っています。

6 傾斜のある坂の途中から駅が見えます。極楽橋には気が付きませんでした。極楽橋は何処で渡る事が出来たのは今となると気になります。それとも地獄が定めでしょうか。

7 既に沢山の方がケーブルカーに向かっています。

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11 ケーブルカーの天井の絵です。

12 上の高野山に着いて降りた後、撮影しました。色々ケーブルカーも乗っていますが、海外を含めて傾斜が一番きつい感じでした。ラックレール式ではなくケーブルカーです。

13 ケーブルカーを降りた高野山駅からバスに乗車です。行き先はことなりますし、バスの乗車券を海外の方は購入しています。自分たちはPASMOでもスイカでも利用できますから大変便利です。バスは全席が埋まっている訳でもなくでもなく、次も直ぐに出発しているようでした。

14 丈6でしょうか? 

15 女人堂直前の車内からです。

16 女人堂です。

17 一心口波切不動前のどちらかのバス停だとおもいます。

18 翌日雨の中、こちらのバス停で京都駅八条口直通バスに乗車した高野警察前バス停が止まったので撮影したものです。

19 一乗院には高野警察前と自分たちが下車したこちら、千手院橋バス停と同じ位の距離に感じました。この画像の正面は本覺院右に曲がり本日の宿坊の一乗院を通ります。

20 この交差点(千手院橋)を左折して直ぐにバス停です。今回の高野山の旅で思いましたが、スーツケースを転がしている方よりバックパッカースタイルの大きなリックを背負っている方が多く見受けられました。と、言う我が家も家内も自分も小ぶりのリックと斜め掛けのバックです。

21 先に見えるバスは乗ってきたものです。その少し手前が千手院橋バス停です。

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#113 -’24. 今朝の窓の外は (5月20日)

2024年05月20日 07時39分23秒 | 国内旅行

高野山で一泊して京都で一泊しての今回の二泊三日の旅の最終日です。目覚めホテルの窓から、帰る三日目の朝です。

 

京都東山方面に雲海がたなびいています。

 

特に山の尾根に架かる雲海です。

 

 

東本願寺が良く見えます。

 

 

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#101 -’24. 金沢から東京への帰路

2024年05月06日 08時53分44秒 | 国内旅行

以前に立山アルペンルートを通り富山からの帰路で美しい雪を戴く立山連峰を見て感動したのを思い出した。

今回の金沢からの新幹線の帰路でも美しいスカイラインを仰ぎ見る事ができた。

1 浅野川大橋脇のバス停から乗車して預けてある荷物を受け取りに東急ホテルに向かいます。浅野川大橋脇の満開の桜も見納めです。

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4 ホテルで荷物を受け取り金沢駅に向かいます。心理的肉体的にゆとりがあれば市場によって食事をして帰る所ですが。金沢駅に直行しました。金沢のバスは東京と比べると、少し・・・であると痛切にかんじました。一般的に関西方面は列がしっかりしていない面は否めませんが。

5 時間は少し早いですが、ホテルで荷物を引き取り金沢駅に到着しました。ホームに入り駅弁を買って入ります。

6 JALのホテルです。

7 待合室に入ると金沢駅の正面を見えるカウンター席があいていました。

8 それではと言う事で少し早い昼食を頂きます。

9 わっぱ飯で良いのか名称はわかりませんが、美味しかったです。

10 PASMOと紐づけされているので紙の切符が一切ありません。PASMOをタッチするだけです。

11 新幹線の中でもこの車両が一番好きかも。

12 帰路は只の座席指定です。

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16 美しい立山の稜線を眺めながら。

17 大宮周辺かと。

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19 神田駅を通過してNTTの電波塔が見えますから大手町周辺です。東京駅に到着直前です。高架に成った中央線快速ホームが未だ上がってきていません。途中までは上がって来ているはずです。

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#094 -’24. 金沢市立安江金箔工芸館を見学して

2024年04月25日 21時16分44秒 | 国内旅行

ひがし茶屋街の街歩きの次に訪れたのが、金沢市立安江金箔工芸館です。漆器と金箔で頭に浮かぶのが金沢です。延性率の高い金ですから、凄い薄さまで金の延べ棒が伸びる事は知られています。

次にHPから金箔工芸館の概要を引用させて頂きます。

金沢市立安江金箔工芸館の概要

現在、わが国で生産される金箔のほとんどが金沢で作られています。
当館は、金箔職人であった安江孝明氏(1898~1997)が、「金箔職人の誇りとその証」を後世に残したいとの思いから、私財を投じ金箔にちなむ美術品や道具類を収集し、北安江の金箔工芸館で展示したことが始まりとなっています。その後、館は、本市に寄贈され、国内で唯一の金箔の博物館として運営されてきましたが、周辺の状況の変化や館の老朽化のため、平成22年秋に東山に移転しました。町屋の蔵をイメージした新しい館には、金箔が使われている箇所がいくつかあります。外壁に表示した館名や入口の館名ロゴ、ホールの天井にあるドームには、純金3号色といわれる金箔が貼られています。館内には、新しく金沢箔技術振興研究所が設置され、金沢箔の振興のために金箔に関する調査研究に取り組んでいます。藩政期には、幕府により厳しく生産を制限されていた金箔ですが、今日の金沢で100パーセントに近い生産量を誇る背景には、金箔に対する金沢の人たちの並々ならぬ情熱と努力があったからにほかなりません。工芸館では、金箔に関する美術品や金箔の性質の紹介とともに、厚さ1万分の1ミリメートルの金箔に込められた、先人たちの熱い思いを紹介していきたいと思っています。
皆様のご来館を職員一同心からお待ちしています。

1     美術館等は、月曜日が休館のことが多いのですが、こちらは火曜日でしたので、見学することができました。

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4 金銀銅と三品目が展示されていますが、勿論価値の高い金のみレプリカです。

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7 延性の高さゆえに出来る薄さの金箔です。

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9    金と他の金属との重さの比較が体験できます。 自分もこちらを持ち上げて重さを実感する事が出来ました。重さは図にある通り、イリジウム 密度(比重) 22.56 /㎤  > 白金(プラチナ)密度 21.45/㎤  >金 密度 19.3/㎤  >鉛 密度 11.35/㎤  >銀 密度 10.5/㎤  >銅 密度 8.96/㎤  >鉄 比重 7.87/㎤  > ・・・・・。黑い丸いぼっちが付いている所は引き上げて重さを体感する事ができます。

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13    「100枚の金箔」と名付けられたオブジェです。流石に照明が当たっていても、そのあたり場所に因り金の箔の透過具合により明るさが異なります。

14    金箔が、惜しみなく使用されている金沢仏壇です。

15    リーフレットの表紙を飾る、洛中洛外図屏風です。(伝  岩佐勝重   江戸時代初期)

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17     能装束の代表ともいえる豪華な唐織の装束です。

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19 洗面所の花瓶が倒れ、金箔が流れています。その上を歩いたのは?

我が家のナナちゃんの悪戯ではありません。念の為

20     床や階段にも

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22      入口にある金箔を張ったテーブルと椅子です。テーブルには、金箔が140枚、椅子には53枚使われています。

最期にこちら金沢市立安江金箔工芸館を見学しての個人的な感想です。

沢山の方がひがし茶屋街等を探索していましたが、こちらに見学に訪れて居たのはヨーロッパ系のご夫婦一組だけと日本人が数名でした。落ち着いてみることが出来、且つ低料金でした。拝見したVTRそして、そこには四季の金沢が美しく描かれており素敵な奥深い金沢の工芸の歴史を、垣間見る事ができました。

時間が許すんであれば、ひがし茶屋街からも主計町茶屋街からも近いですから、是非立ち寄る事を強くお勧めします。

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#093 -’24. ひがし茶屋町そぞろ歩き

2024年04月25日 11時12分33秒 | 国内旅行

金沢文化を代表する茶屋街のひとつ。和の趣を感じるフォトジェニックな写真を撮影するには最適なスポットです。着物をレンタルした女性観光客が伝統的な町並みをバックに撮影している姿が多く見られます。また、格式ある割烹や、お洒落な町家カフェ、伝統工芸品を扱うセレクトショップなどが立ち並び、金沢らしいグルメやショッピングが楽しめます。作家・五木寛之作品『朱鷺の墓』の舞台としても有名。外国人観光客も多く、情緒溢れる古い町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。金沢旅物語から引用させて頂きました。)

1 柳が風になびき弁柄色(べんがらいろ)の外壁と奥に続く茶屋街などをと相俟って、この広場は観光の集合離散場所としてフォトジェニックな装いを呈している。

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3 お茶屋さんでアップした志摩の建物内でも多用されていた弁柄色が退色に強い事で外装が独特の風情を醸し出している。

4 創業寛永二年の加賀藩御用菓子司の森八です。

5 持ち帰りし易い葛きりを買い求めました。

6     ひがし茶屋街の入口にある明治創業の老舗の洋食店です。

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8 我が家はこちらの懐華楼さんではなく同じお茶屋さんですが、志摩さんに入り見学しました。時間があればこちらの懐華楼さんにもお邪魔したかったですが、パスして次に進みました。

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13 造り酒屋なのかも、新酒が出来ると杉玉を軒先に吊るして新しいお酒が出来た事を知らせる役目を果たします。

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15 麩と言えば・・・・・です。

16 玄関脇になど沢山の玄関先で見かけたこちらのトウモロコシを飾った物。気になり調べてみると『魔除けになると言うトウモロコシ。古くは雷避けのお守りが転じて、家内安全や無病息災のお守りにもなった』そうです。

17 こちらも石川の地酒です。ひがしやま酒楽さんです。

18    東山菅原神社です。

19      桜が満開の宇田須神社です。

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24 桜が咲きこぼれる境内には、沢山のサクラの花びらならぬ桜の花一輪毎おちていました。桜の花が開花した後に低温に成ると花一輪ごと落ちる事もあるようですが。いたずらする小鳥さんがいるようです。正確には盗蜜する為に一輪丸ごと口にくわえるそうです。嘴の関係か上手く蜜のみを吸い受粉を手助けする事が出来ないようで、丸ごと一輪嘴で千切り盗蜜するとの事。椿ではありませんが、桜吹雪も素敵ですが、桜の花の絨毯も素敵です。

25 ウエザーニュースからの引用です。

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28 真宗大谷派の藤島山と号する円長山です。

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#092 -’24. 志摩・ひがし茶屋街(その二)

2024年04月24日 09時38分04秒 | 国内旅行

ひがし茶屋街の志摩のそのニです。1階に降りてきました。

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2      階段を降りると、石室がありました。石室は、石組み造りの地下貯蔵庫です。工事中となっていました。

3    台所です。

4     料理は、仕出し屋から取り寄せていました。棚にある徳利などの道具類は、ここで使われていたのでしょう。

5    井戸、は、創建当時のまま残っているそうです。

6 井戸の上には竹が組まれて蓋がされています。つるべ式の井戸のようですが一番原始的な方法です。

7     廁屋をでたところにある、手水です。こちらも風情があります。

下の香炉?は、丁子風炉で防臭に用いたそうです。

8  一階、奥棟に「寒村庵」があります。ここは、重要文化財ではありません。(日本茶生活からの借用です。)

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10      ここで、庭を眺めながらお抹茶とお菓子を、腰掛けて頂きました。

カウンターは、足をおろせる掘りこたつ式です。

11 寒村庵から中庭を眺めながら抹茶を頂きます。

12 日本の粋を感じさせる丸窓には竹細工が良く似合います。

13   葉っぱは、椿ですが、お菓子は桜をイメージしています。

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15   幼い頃我が家にも着物を懸けておく二つ折りに出来る衣桁(いこう)がありました。帯が掛けられています。

16 お茶屋として使用されたいた頃の資料などが展示されています。こちらは一階です。

17   芸妓さんが、お化粧など、お座敷にでる準備をしていた部屋です。今は、漆器、金工、焼き物など、当時の品々が展示されています。

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19   帳場です。芸妓名、時間などを記帳し、精算は、後日だそうです。

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