旅の6日目ですから、殆ど終盤です。
アルメニアの宿泊したエレバンから朝一番にアララトさんの見えるホルヴィラップ修道院観光にむかった。
ホルヴィラップ修道院の先に大アララト山が見えその左手には富士山を彷彿させる小アララト山がみえる。
荒々しく雪を頂く山々の稜線を見るのも大好きだが、独立峰としての気高くそびえている山もすきである。
旧約聖書のノアの方舟のたどり着いた地と言われるアララト山。
雲に隠れずに見えるだけでも、神の力を感じてしまう。20170605140557
以下は、
ウィキペディアからの引用です。
「アララト山(アララトさん)は、トルコ共和国の東端にある標高5,137mの山であり成層火山である。アルメニア語表記はԱրարատ、ペルシア語表記はآرارات、クルド語表記はÇiyayê Araratで、トルコ語ではアール山(Ağrı Dağı)と呼ぶ。主峰の東南にあたる標高3,896mの頂上を小アララト山(Küçük Ağrı Dağı)と呼んでおり、それに対して標高5,137mの主峰は公式には大アララト山(Büyük Ağrı Dağı)という。アルメニアとの国境から32km、イランとの国境から16kmである。」
この日の目的地はホルヴィラップ修道院ですが、その直前のビュースポットで停車して写真撮影です。
右が大アララト山で標高は前出の通りで、小アララト山が富士山より高い3896mです。
行いが良いのか素晴らしい景色を見る事が出来ました。
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ズームアップした大アララト山です。
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この素晴らしい姿に感動ものでした。
手前は葡萄畑のようでしたから、素朴な中に私達日本人にとっては富士山を感じさせる姿でした。
こちらも、ズームアップしたものです。
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ツバメが沢山舞っていました。
最近はトント見かけなくなったと言っていました。
確かに、街中では見かけなくなりましたが高速道路のSA,PAでは良く見かけます。
今回の酒々井PAでも、沢山の巣がありました。
下の駐車場から30メートル程度丘を登りホルヴィラップ修道院に到着です。
この修道院の名前となったホルヴィラップは、アルメニア語で「深い穴」を意味しています。
4世紀頃にアルメニアへキリスト教を布教する為に訪れた聖グリゴールが14年間地下牢に幽閉されていた場所であったことに由来しているとのこと。
因みに地下に下りる梯子階段の所は混んで居たので写真だけで素通りしました。
二ヶ所ありましたが、どちらも地下に下りる入口の所は大変狭いです。
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アルメニアはキリスト教を最初に国教とした国との事。
アルメニア国王が西暦301年にキリスト教を国教と定め、イタリア(ミラノの勅令)が定めたのはそれより10年以上も遅い西暦313年である。
因みにイタリアが統一されたのは1861年であるから凡そ150年前なのである。
そのため、ミラノの勅令をイタリアの国教を定めた年と読み替えているのである。
ギリシャ正教でもロシア正教でも、イコンが多く飾られている。
アルメニア正教会は他の地域の正教とはどこか雰囲気が違っていた。
添乗員さんに聞いて初めて、エルサレムにもアルメニア正教の地域がある旨教えて頂いた。
それ程、由緒正しき世界初のキリスト教国なのだと納得した。
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個人的にはイコンと言うよりローマカソリック教会で見る宗教画と同じ系譜を感じた。
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でも、ステンドグラスもバラ窓もなく至って質素で重厚感のあるホルヴィラップ修道院である。
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礼拝堂の重厚な木彫りに扉です。
フラッシュを焚かなければ、撮影は可でした。
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写真を撮っても良いか修道僧に確認するとOKとの事で二枚程撮らせて頂いた。
正面のものはピンボケだったのでこちらのを。
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最初に駐車場に到着した時にハトが沢山籠に入れられているのが不思議に思った。
ホルヴィラップ修道院から坂と階段をくだり駐車場に下りて来た。
添乗員さんに「何で沢山のハトが籠にいれられているの」と尋ねると。
添乗員さん曰く「ノアの方舟の洪水の事に由来している。」とのこと。
それでは、飛ばさない手は無いと思い、いくらで飛ばす事が出来るか尋ねると。
一羽に付き2000ドラムとの事でしたが、2000ドラム渡すと2羽手渡してくれました。
値切られると思い2000と言ったのかもしれませんが、全く値段交渉しませんでしたから二羽にしてくれたのかもしれません。
ハトを飛ばす事の意味は『ノアの方舟 ウィキペディアから引用させて頂きます。』
旧約聖書『創世記』による物語の要約は以下の通りである。
神は地上に増えた人々の堕落(墜落)を見て、これを洪水で滅ぼすと「神と共に歩んだ正しい人」であったノア(当時500~600歳)に告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。
箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。箱舟の内と外は木のタールで塗られた。ノアは箱舟を完成させると、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを箱舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとまった。
40日のあと、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。
ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。そこに祭壇を築いて、焼き尽くす献げ物を神に捧げた。神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約した。神はその契約の証として、空に虹をかけた。
大洪水が終わり地上に平和が訪れた事を確認する為にハトを放した故事に習い、平和を願いハトを空に放しました。
平和=PEACEとハトがオリーブの葉をくちばしに挟んでいることが理解できました。
ハトとオリーブの葉ではタバコの
ピースを想いだします。
大学時代以来愛用していたタバコです。
一羽は私が飛ばし、一羽は添乗員さんが仕合せと平和を願い飛ばしました。
あとで、添乗員さんから1000ドラムが戻ってきました。
幸せはご自身のお金で願わねばとの事で、それではと言う事を頂くことにした。
なので、1000ドラムで幸せと世界平和を願う事が出来た。
何時もの事ですが、他の方達は放鳥する方はおりませんでした。
こんな事を書くとまた嫌われますが、何ともはや、ケチというかです。
1000ドラムは日本円では240円程度です。
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ハトに纏わる子供の頃の思い出を。
私が小中学生の頃は伝書バトを飼う事が流行っていた。
流行っていたと言うのは正確性を欠くかもしれないが沢山空を舞っていた。
朝と夕刻、空にハトを放ち、訓練するのである。
巣箱といても最低一畳からそれ以上ある大きなハト小屋である。
二階のベランダや、洗濯ものを干すデッキ等に造られていた。
放たれて伝書バトは巣のあるお宅を中心に円を描き周回するのである。
帰巣本能や飛行速度を訓練する為に朝夕欠かさずに飛ばさなければならない。
大空を飛んでいる間にハト小屋の清掃をするから、伝書バトを飼うと言う事は金銭的な事だけではなく、好きで無ければできない趣味であった。
最近は全くそれを飛ぶ伝書バトを見かける事が無くなってしまった。
見かけるのは、餌やり被害で困ったドバト程度しか見かけなくなってしまった。