あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

カンボジア紀行(33) 東洋のモナリザ

2014-06-23 | カンボジア紀行

 

中央祠堂へは 進入禁止となっており 

有名な「東洋のモナリザ」評されるデヴァターの像は

第三周壁北側の間から覗かなければ良く見えない。

像の高さ約1.2m 王朝の美術史上もっとも洗練された作品と評価されている。

この像を一躍有名にしたのは 1923年フランスの作家・冒険家である

アンドレ・マルローが この壁面に彫られたデバターに魅せられて

 盗みだしてプノンペンで逮捕された事件がきっかけであった。

その後 マルローはこの顛末を基に小説『王道』を著している。

 しかし この盗掘事件で バンテアイ・スレイは シェムリアップから遠く

 小寺院であるにもかかわらず 人気スポットになってしまった。

でも皮肉なことに 現在は いたずらや盗難を避けるため

立入禁止となっていて 近くに見れないのは残念ですね!

 

 


カンボジア紀行(32) 第二周塔門

2014-06-22 | カンボジア紀行

 

第2周壁の塔門は 容姿と彫刻とともに最も美しいと評され

 カンボジアの紙幣 50リエールの図柄にも採用されている。

 塔門のレリーフは カーラの上に座るヴィシュヌ神が彫られて

塔門の中で最も美しいものだと言われているとの事


 


(資料から 50リエルの一部)



 


カンボジア紀行(31) バンテアイ・スレイ(2)

2014-06-21 | カンボジア紀行

                                     「女性の砦」ではあるが 両側に石灯篭のように「リンガ」が並ぶ参道

 

 アンコールワットの建築物の大部分が“グレー色”に対し

バンテアイ・スレイ は 一転“茶色”で 赤い砂岩により建造されている。

何故 アンコールワットからも遠い地に この小寺院が造られたかは

この寺院を赤色砂岩で建てるため 

この砂岩が採れる土地の近くに建てたことによる。


 それ故 特に 見学のベストタイムは 遺跡に朝日があたる午前中が良く
 
赤く燃えるような寺院を見ることができ 

また 雨に濡れれば朱色は一段と際立って見えるそうだ。

 そんな神秘的な演出が隠されていたとは・・・

幸いに 我々の見学も 朝日のあたる午前中であった。


*「リンガ」は 男性性器を形どっているが シヴァ神の象徴である。 

 


カンボジア紀行(30) バンテアイ・スレイ

2014-06-20 | カンボジア紀行

                                                                                  環濠南東より望む

 

 アンコールワットの見学を終えてホテルに戻り 遅い朝食を摂った後

 アンコールワットの北東

 シムリアップから約40km 車で1時間

世界遺産「バンテアイ・スレイ」へ

バンテアイ・スレイ は アンコール群遺跡の一つで 

シヴァ神とヴイシュヌ神に捧げられたヒンドゥー教の寺院遺跡。


“バンテアイ”は「砦」“ スレイ”は「女」で 「女の砦」を意味する。

967年 ジャヤーヴァルマン5世に仕えていた アンコール王朝摂政役の

王師ヤジュニャヴァラーハにより 建立された。

大部分が赤い砂岩により建造され 周囲が約400mと 規模こそ小さいが

 精巧で深く彫られた美しい彫刻が 全面に施されていることから

 「クメール芸術の至宝」などと評され 観光客から人気がある。

アンコール朝の衰退に伴い 忘れ去られていたが

 1914年に野焼きの中から 再発見された。

 

 

 


カンボジア紀行(29) バルーン

2014-06-19 | カンボジア紀行

 

気球に乗って上空からアンコールワットを眺めることができる

「アンコール・バルーン」が人気があるという。

このバルーン 垂直に200m上昇し 15分間の観覧で 料金は15ドル。

しかし 人数が集まらないと運行しない 

また、風が少しでもあると運休するとのこと。

世界観光地 トルコ・カッパドキア 

エジプト・ルクソールでも見たが 
過去に事故もあった。 

それゆえか ここでは浮遊するのではなく

 紐つきで垂直に乗降するのみとのこと。

乗って上から俯瞰して見たかったが・・・

 


 


カンボジア紀行(28) ナーガ

2014-06-18 | カンボジア紀行

西参道の入り口ある「ナーガ」

 

  アンコール遺跡には 多くの守護神がいるが
  
特に「ナーガ」が多く見られ 参道の欄干の先端を飾っている。

  
インド神話に起源を持つ「蛇神」で  

5または7の頭を持ち その胴体(欄干)が長く続く。

これは蛇行しながら降水量に応じて 

その姿を変えながら流れる川を表している。


  カンボジアでは ナーガを“水の神”として崇めているのは 

  「世界を覆うっていた海の水を飲み干して大地を生みだした水神として

それにより アンコールの大地は 昔から乾燥地帯であったため

 米作りには欠かせない水を得るため水神であるため。」 と。


  一方 アンコールワットは このナーガと一体となって

 中央祠堂が神々の住むメール山に相当し 

四重の回廊は ナーガの胴体で アンコールを守っているという。


 

 

 

 


カンボジア紀行(27) 首なし仏像

2014-06-17 | カンボジア紀行

 

アンコールワット建立当時は ヒンドゥー教の寺院であったが

16世紀ごろ仏教寺院になり 
千体ほどの仏像が置かれていた。

しかし 今は 首がない仏像がやたらに置かれている。

これは 

 ・ 13世紀の廃仏運動

 ・ 盗掘により海外に流失

 ・ 経年劣化

 ・ 内戦による破壊(ポル・ポト時代)

 
等によるらしい。
 


特に カンボジア内戦時には 原始共産主義をめざしたポルポトが

宗教活動を禁止し 宗教関係者の多くを殺害しており

この時期に 多くの奉納仏は 首を砕かれてしまったようだ。


カンボジア紀行(26) 中央祠塔

2014-06-16 | カンボジア紀行

 

 


第三回廊も十字回廊と同じく「田」の形をしており

沐浴の池の跡も同じく4つある。

また 四隅の祠堂と中心の中央祠堂と計5つの祠堂があり


今も昔もアンコールワットは信仰の場所 

 地元の方々であろう 中にはお身足が悪い方も見受けられたが

中央祠塔まで登り お祈りを捧げていた。
 

一方 第三回廊の連子窓から西方に 参道・西塔門・周壁が遠く見える。
 

   こちらは十字回廊 地元の子供が熱心にお祈りしていた。

 

 


カンボジア紀行(25) 入場規制

2014-06-15 | カンボジア紀行

 

                                                  

 

アンコールワットは カンボジア人にとって神聖な場所であり

毎月4日ほどある「仏教の日」には 

この第三回廊(中央塔)には 登場できないことになっている。


また 悪天候 事故 高官の訪問などでも 登れないこともあるようだ。


加えて 露出が激しい服装でも入れなく 脱帽も義務付けられていると

現地ガイドから事前に説明があり 

ツアー仲間も服装等の点検をしてから出かけている。

第三回廊から外に向け 第2回廊 第1回廊と

遠くに 森林を望むことができる。

アンコールワットが発見まで 

如何に森林の中に埋もれていたかが分かる。

 


カンボジア紀行(24) 第三回廊

2014-06-14 | カンボジア紀行

 

 

第二回廊の内側に一辺60mの正方形 

左右対称の造りになっている 第三回廊が聳え建つ。


その中央祠塔は アンコールワットの中心に位置し 最上部でもある。 


地上から塔頂までの高さは65m(第二回廊からは34m)ある。

しかし 西参道から正面を見ると 5基ある塔堂は前後が重なって3基に見えるが

 カンボジアの国旗にもあるように カンボジアを象徴する部分でもある。

かつて 神が君臨する場所とされ メール山(仏教の須弥山しゅみせん)を象徴しており

王位継承や五穀豊穣の儀式が執り行われていた。

しかし この中央祠塔に行くには 

写真左にある傾斜65度の 急な階段を登らなければならない。

現在は手すりがあって 何とか昇降できるが 

以前はその手すりがなく 昇降に大変難儀したようだ。

 

登るよりも 下る方が怖いほどだった。


カンボジア紀行(23) 第二回廊

2014-06-13 | カンボジア紀行

 

  

ツアーは 西側の回廊から 第二回廊と第三回廊の間のテラスに出た。

いよいよ 中央祠堂だ。

手前 左右に「経蔵」2棟が建っているが 

櫓が組まれ工事人が働き 修理補修中であった。

経蔵の先には 中央祠堂に上る階段があるが閉鎖されている。

ツアーは その前を通り過ぎ 北東方向へ進む。

第三回廊への搭楼は 階段一か所 人数が制限されているので

順番待ち 当方はその間に

一辺が100mある外壁の内側を一周してみた。

他の回廊より 経蔵のデバターが深く彫られており

 また 連子窓が多く見られる。


カンボジア紀行(22) エコーが響く空間

2014-06-12 | カンボジア紀行

 

  

十字回廊の北側 外側に出っ張った天井の高い部屋がある。

ここは 壁を背にして胸をたたくと その音が大きく反響して返ってくる。

建設当時 ここは その反響の音によって 王への忠誠を試す場所であったとか

また 病気かどうかを調べる場所とか諸説ある。

先客が 既に胸を叩いていた。


また 第一回廊で 野生のサルが突然出没してきて驚く。

サルも 神の使いとして生存しているようだ。

 

 

 

 

 

 

 


カンボジア紀行(21) 沐浴の池

2014-06-11 | カンボジア紀行

 

 

 十字回廊 十字に区切られた中に  4つの「沐浴の池」の跡がある。

今は水はないが 神々に礼拝する前に王が身を清めた神聖な所であったという。

同じ沐浴の池跡は 第三回廊にも4つある。

このような高い場所で どのように水を引き込んだのか 

また石積であるので漏水の恐れはなかったのか?

加えて4つも必要なのかと思うが。


写真でも少々雨水でろうか水がたまっているところ見ると

  そんな心配はいらないようだ。

先にも話題にしたが そもそもアンコールワット全体が「水」に対しての信仰が大きく
 
水を司る者 水利権を持つ者こそ 王たる者に足りることになるのであろう。

 
また 沐浴だけでなく 水にまつわる儀式が行われていたのではないかと。


カンボジア紀行(20) 日本人の落書き

2014-06-10 | カンボジア紀行

 

 

十字回廊の一角の柱に 日本人の落書き 

つまり 森本右近太夫一房の墨書が見られる。


しかし その上からもかなり塗られていて 

何が書いてあるかは 今は読み取ることはできない。

資料によれば 
寛永九年(1632年)の日付と

「ここに仏四体を奉るものなり」とあり

父の菩提を弔うため また老母の後生を祈るために

仏四体を寄贈したと
記されているという。

また これ以外に その周りには

有名無名の日本人たちが書いた落書きが14もあるという。


アンコールワットを見て 仏教の聖地「祇園精舎」と思い

 訪れた人々の手によるもののようだ。


当時は 壮大な仏教寺院であり 
日本にも知られており

右近太夫も 唐天竺の祇園精舎に来たと思ったのかもしれない。


カンボジア紀行(19) 十字回廊

2014-06-09 | カンボジア紀行

 

多くの柱からなる十字回廊

 

 第一回廊と第二回廊の間には高低差があるが

それを繋ぐ回廊が「十字回廊」。


日本語の「田」の字形に回廊が交差しており

囲まれた4つの桝には沐浴池の跡がある。


日本人の落書きがあるのも この回廊である。

回廊はすべて灰色の砂岩でできているが

天井などには彩色の名残があり


細密な彫刻が施してあるのも見える。

一方 柱にも少々色彩が見えるが これは “カビ” とのこと

また 柱の根元が細っているが

 これは 
水分を吸収しやすい砂岩のため 

雨水の影響等を受けて剥離しているため。