サラエボの歴史を映し出してきたミリャツカ川
夕方5時前 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都 サラエボ市内に入る。
「サラエボ」の地名は 「キャラバン・サライ」の「サライ」から。
「サライ」とは「館」とか「城」という意味で「城の町」と。
隊商貿易がさかんであったため 文明の十字路ともいわれてきたが
大国の支配に翻弄されながらも
さまざまな宗教を信仰する多様な民族によって共存してきた。
しかし 1914年 この地でオーストリア皇太子夫妻が暗殺され
それを契機として第一次世界大戦が勃発し
さらに1992年から95年のボスニア紛争により
サラエボは最大の激戦地となり セルビア人が
ボスニア人(モスリム人)やクロアチア人らを攻撃した
民族間の衝突により一般市民を含む1万人以上が
犠牲になったといわれている。
1984年には冬季オリンピックも行われて
我々にもサラエボの名は耳にしてきたが
これから先のツアーは まさに 紛争の跡を巡る旅になっていく。
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