最初の論文発表から あっという間に四半世紀の歳月が流れた。
沙織は20年以上エリア5.1内で過ごしていた。エリア5.1という砂漠の
地下空間は膨大な敷地があり、普通の街にあるものは全て揃っていたのだ。
唯一の違いは 空と太陽を直接見られないことぐらいだったが、特殊な装置で
上空からは見えない採光部があって その光が増幅されていて朝昼晩を再現していて
体内時計が狂わないようになっていた。地下は5階まであるが、5階だけは謎の
空間で、それ以外は 研究所 街 そして居住空間があり、朝ちゃんと出勤する
のだった。施設内の移動はリニアカーを使うなど、ありとあらゆる面で最新の
設備がそろっていた。話がそれているので「xタンパク」を巡る話に戻せば
結論としては、完全な無力化ができなかった。しかしながら、緩和する薬の
製造には成功したのだ。数多の薬や遺伝子操作等が発表され、そのたびに騒ぎには
なったが、根治は不可能という事で1000億円の懸賞金はどこも手にすることが
なかった。沙織は20年以上エリア5.1内にいたので死亡したという事になり
その名前も忘れ去られていった。そして彼女はエリア5.1内で結婚し子供も
18歳になっていた。時の流れは全てを風化させてくれたともいえるのだ。
沙織は、日本に残してきた両親のことが気がかりだった。50歳を過ぎた彼女の
両親も沙織は手紙の往復はすることができたが、もちろんエリア5.1内ではない
アメリカ軍の基地を経由してだ。元気にしているのであなたも元気でねと
書いてくれる親の文面を読むたびに、箱根で旅館を営む両親にとっては、いつまでも
両親の愛と気遣いを感じて涙をこぼしながら何度も何度も読み直していたものだ。
自分が「殺人タンパク」という呼称を付けなければ・・・世界が激変する事も
なかったかもしれないと思うのだ。しかし、結果的には世界の殺人の数は大幅に
減ったのだ。一度だけでも良いからアメリカ人の夫と子供を連れて里帰りしたいと
切に思うようになって、最初で最後の帰郷ができることになった。
名前を変えたパスポート等は簡単に用意してくれたし、VIP待遇というアメリカ
政府のお墨付きも貰えた。そして、ある日或る時に厚木に降り立ったのだ。
その頃日本の車は燃料がガソリンではなくなっていたがエリア5.1内ではリニア
自動車に乗り慣れていたせいで、タイヤがある車の運転は予想以上に慣れがなく
違和感がありありだった。厚木から箱根まではゆっくりと走っても2時間。
彼女も彼女の夫も、ハンドル操作自体がうまくいかず、息子が運転をすることに
なった。彼にとっては、遊園地にあるアトラクションのような感覚で喜々として
車を走らせた。慣れない坂の連続がある旧道はやめて箱根ターンパイクを通る
事にした。もうすぐ両親に会える沙織は胸の高まりを覚えた。
息子はRがある事も初めてで、タイヤが軋む音が面白くて仕方がなかったようで
沙織はたびたびスピードを落とさないと危ないと注意していた。その時だった、
車がカーブを曲がり切れずに、道路からはみ出してオーバーランして、回転して
から立ち木に衝突したのだ。息子は即死していたし、沙織は息はあったが車が
変形していて身動きもできず酷い痛みを感じていた。夫だけは軽い怪我ですんだ
ようで、割れたガラスを破り車外にでていた。ギブミーヘルプ沙織は夫に向かって
叫んだ。しかし夫は無表情で息子の死を確認しているかのようだった。
沙織は夫に向かって再び叫んだが、助けるそぶりはみせなかった。さらに、
妙に淡白な表情で息も絶え絶えな沙織に向かってこういった。
「沙織、事故は殺人ではないよな。」
「何言っているの早く助けて」
「助けないとしても これも殺人ではない。」沙織はかなり出血していたので
薄れ行く意識の中で、そういえば夫の血液を調べたときのことを思い出した。
彼は殺人タンパクがあったのだ。だが、薬で無力化していたはずなのに・・。
そして 夫は拳銃を取り出した。息子に1発、そして沙織に銃口を向けた。
「ここで 引き金を引けば沙織の説は証明されるわけだ。グッドラック」
乾いた銃声が響いた。そして、尾行をしていたアメリカ軍関係者に合図して
何事もなかったように、車を回収してその場を去った。
殺人タンパクを無力化できなかった最大の理由はタンパクではなかった。
人間すべてが持つ狩猟時代から脈々と続く闘争本能を打ち消すことができなかった
からである。文化というものは成長する過程で、「本能を打ち消す」ということを
人間が学んでいく過程でもあるといえるのかもしれない。
なお、夫もアメリカ軍の基地内で射殺された。ゆえにエリア5.1は謎の施設と
いわれている。そこからでたものは、帰れないのだ。
お終い
2017/2/11
ふう、決まったぜ!
ところで人が人を殺してはいけない理由は?と聞かれてあなたは即答できますか