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企画展『江戸時代の称名寺』 神奈川県立金沢文庫 ※7月25日(日)まで
訪れたいカフェに行きたくて、久しぶりに金沢文庫へ。
ついでに称名寺へ。
門前の「ふみくら茶屋」、好きだったのになぁ。
いつの間にか店じまいしてしまったようで、建物の看板はデイケアサービスになっていた。
この日、上大岡から旧鎌倉街道下ツ道(かなざわ道)を歩いた。
東海道よりも500年前から通っていただけあって、「道の顔」がしっかりしていて歩きやすかった。
(能見堂跡の周辺のハイキングコースは大変だったけど)
歩きながら、「鎌倉幕府が滅んだあと、鎌倉や称名寺ってどうだったのかなぁ。」ということが気になった。
少なくとも鎌倉五山の寺院は(全部じゃないかもしれないけど)現在も立派な建造物が遺っている。
金沢文庫は「金沢八景」の景勝地として、人気はあったようだ。
だけど、称名寺は廃れた感が否めない。
もともと北条実時の屋敷内の持仏堂だったし、幕府滅亡で主を失った後は苦難の道だったようで。
実時から三代にわたって収集した文書も中世の権力者に奪われ、大きな寺院に貸し出しては戻されず、
といった具合に次々と散逸。
さらに江戸時代に入ったら、前田家や水戸家?の歴史書編纂のために古文書を提出させられ、
さらに散逸が進み~
なんか気の毒な気がした。
でも、そういった貸し出しをめぐるやり取りもまた「古文書」となり遺っていくわけで。
遺ったのか、県立の施設となってから改めて収集されたものなのか、
その辺の区別がわからなかったのが残念。
本物か複製なのかはわからなかったけど、足利尊氏の文書もあったなぁ。
ちょっと難しかったけど、鎌倉時代と江戸時代を考えるいい機会になった。
史料は理解できなくても場所に遺された歴史の重みはなんとなーくわかる、ような。
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