私の、ある知り合いの方が共同でblogを掲載しています。http://blog.aoki-juku.net/がそのアドレスです。
今は別のコメントに変わっていますが、以前、野村克也元監督が求めたものが、「変化」である、とそのblogに書かれてありました。意外でした。しかしすぐに納得するところもありました。そこには詳しいことは書かれてなく彼がどういったシチュエーションでそうであったかは不明なので、ここからは、正確なところはさておいて、想像の上での「お話」です。彼の、大リーグに挑戦する日本人選手や日本球界に対する初期の頃の同情してしまうくらい保守的なもの言いからは、想像できない言葉でした。だから「求めたもの」となっているのでしょうか。彼の大リーグに対する少年の様な畏敬の念は、聞いていて微笑ましくもあり、反面、正直少し疎ましいものでもありました。なぜなら、彼の意見はただの意見ではなくて日本球界の重鎮の意見と受け取られるもので、影響力が強いからです。それらをよそに野茂、今ではイチローなど、次々と出て行って活躍しているのは、一野球ファンとしては嬉しい限りです。最近はその野村元監督も冗談半分の様子ではあるもののマスコミの気軽なインタビューに対して、大リーグでの監督に色気を示しているようで、その変わり様、野球界を取り巻く時代の空気の変わり様に敏感に反応してしまうその態度に、笑ってしまいます。それでいいと思うのですが。 野村元監督は自分で、自分は慎重であれこれとよく考えてしまい、長嶋などと比べて地味で目立たなく、保守的であるというような事を言います。(ちなみに私はかつて長嶋の大ファンでした。)しかし、彼が日本のプロ野球でやったことには数々の新しい事がありました。ID野球もその一つです。それまで気合いだの根性だの一辺倒であったものを、データその他の客観的事実を重視したのでした。これはとりもなおさず、とかく雰囲気などで作戦を判断しがちな旧来の日本の野球に疑問を投げかけるものでした。合理的精神、というところでしょう。もちろん情などの良いところさえも排除して、ということでは無いことは、誤解のないようにここで付け加えておきます。ピッチャーの配球に解説者として初めて言及したのも野村元監督だったと聞きました。そうだったかな・・・。そこは私の記憶ではあまりピンときません。ずっと横目で野球を見続けてきた者としては、配球の面白さを初めて一球一球詳しく解説した人として江川卓を挙げたいと思います。野村はキャッチャーであった者の目から見た配球のもう少し大きな全体のところを初めて述べたと言えるかもしれません。いずれにしろ、それまでの解説者といったら熱気はあるものの、野球にめっぽう詳しい気合の入った一ファンといった感じの抜けきれない元選手が大半でした。それもいいのですが、客観性や合理性の感じられる冷静な解説がそれまでほとんど無かった、というところがTVなどで観戦するものとしては少々、物足りなかった訳です。それでも、そういった点で日本のプロ野球界は練習方法などにも比較的早くから、欧米の合理的な考え方を取り入れて来た方だと思います。野球でさえそうなのですから他のスポーツはもっと遅れていたと言えます。
野村元監督が日本プロ野球界に吹き込んだ精神は大きなものだったと思います。日本プロ野球界に対しては変化を求めて頑張り続けたと言えるかもしれません。その彼がこと、大リーグの話になると、急に憧れを持つ野球少年のようになってしまうところが何ともいえず可笑しいわけです。野茂やイチローの様な日本人選手がバンバン活躍すると、強大で歯の立たない、崩れる事のない牙城だと思っていた大リーグに対する自分の夢が壊れる、と子供のような事を言っているようです。そんなはずはない、そんなに簡単に日本人選手が活躍できるほど甘くはないはずだ、との思いが強かっただけに、もう目をこすりつつビックリ、というところだったのではと思います。最近はやっとそれにも慣れて来たのか、先程のインタビューの話などになるわけで、それで笑ってしまうのです。
とにもかくにも日本のプロ野球界は、ここ20年くらいで大きく変わりました。野村元監督が求めた変化とは完全には一致はしないかもしれませんし、あるいは異なるものかもしれませんが、球界全体を変えてしまうような変化は十分にあった訳です。