カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

20Aug2010

2010-08-20 | 音楽

title: full orange blues (作曲&演奏by aki7tan ・・・take:7月24日2010、ケータイ録音)

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昨日は神宮外苑での花火

2010-08-20 | エッセイ
昨日は、夜になって神宮の外苑で花火大会があった。東京湾花火に引き続き見物に出かけた。雨の心配もないではなかったが幸い少し強まった涼しい風に雲も吹き払われて降られることも無かった。神宮は言ってみれば街中で打ち上げられる花火である。おそらく高く打ち上げる4尺玉などは無かったようだ。その代わり比較的低いところでの色や細やかさに趣向を凝らした花火が多かった。会場に近過ぎて街路樹や建物が邪魔をして部分的にしか見られないということもあった。歩き移動しながらなんとか見ることができた。サンドイッチと稲荷寿司をコンビニで買って立ち見をしながらぱくついた。1時間程であっという間に終わった。時間には驚くほど正確で、始まり、終わりの時間とも数分と違わなかったと思う。今の時代、着火などコンピュータ―で制御されているのだろう。動画(ケータイで撮影)は帰りの表参道あたり。花火を見て家路に就く人やこれからまだ遊ぼうという人など、様々な人が表参道、原宿まで歩くのだった。
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19Aug2010

2010-08-19 | エッセイ
先日、都内を歩いた時に、銀座を通った。通りに面した小さなスペースに水槽がしつらえてあった。サメが泳いでいた。人々が群れ歩くなかで、水槽の中の生き物たちの動きはひと際異質で目を引くのだった。思わずケータイで撮った。銀座で同じ高さの目線で魚を見る機会はあまりないと思った。


                                            

今日(18日)は1週間ぶりに病院へ行った。例の足の病の事でである。病名は正確に言うと蜂窩織炎という。もう通院はしなくてよいと言われたのだがここ2,3日朝起きて鈍い痛みが足先にあり、ぼってりとした感じもあり、もう一度看てもらうだけでも看てもらいに行ったのである。今日病院へ行く時にはあまり痛みはなくなっていた。行くと決めた時には半分は治ってしまっているものなのかもしれない。看護師に、昨日まで鈍い痛みが取れなかったのですが今ここへ来たら痛みが無くなってしまいまして・・・などと、もごもごと言っていたら、大笑いされてしまった。医師も一応看てはくれたが、また痛くなったら来て下さいとのことだった。ほとんど健康体の人間が医師の前に座っているのも何か変な感じだった。しかし、そう思ったのだからそうして良かったと思う。それも治療ということなのだろう。
この病院の待ち合いには退屈しのぎのためテレビと雑誌などが置いてある。テレビは今日は高校野球をやっていた。他の患者が何となく見ていた。病気の事で頭がいっぱいになっている人間のためにはとても必要なことだと思う。後は病人同士の会話なども・・・。先日、その待合で週刊朝日をめくっていて例の山藤章二さんの似顔絵塾(6月4日号)を見た。いつも楽しみなのだ。東国原、ちあきなおみ、土佐礼子などは爆笑ものだった。ほんとにアホか、と言いつつ手足をバタバタとさせて大笑いしたくなるのだ。描いた人に敬意を払わずにはいられない。


                                                                                        
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インドの小物など・・・ 18Aug2010

2010-08-18 | エッセイ

昨日、インドで昔買ってきた革製のバッグを今になって引っ張り出して使っている話をした。革というのは凄いもので四半世紀以上たっていても色あせしないのである。もちろん使っていれば古びていくが、置いてあるだけなら布などと違い風化の度合いが格段に違っていて、色あせるのを免れているのである。今回紐の付け替えなどの作業をしていて初めてじっくりと理解したところだ。カウボーイなどがジーンズと並び革製品を多く使っている姿を思い浮かべたりした。
それにちなんで(ちなむのが好きなのだ)、その同じ時に購入し、バッグパックの底に突っ込んで持って帰って来た革製のクッションも掲載することにした。何というのか知らないが中に詰めるスポンジ、は最近詰めたらしく(私が詰めたのではない・・・)使いだしたのも最近である。これが、手工芸品として実によいのだ。いい感じ。デザインもシンプルで、革もこれは分厚くしっかりしている。使い込んでいくという楽しさが野球のグローブなどに似て、ありそうなのである。いい感じ。ところで、この革は牛の革だと思うがインドでは牛は神様の化身とも考えられているのではなかったか。食べなければ良いということだったか。食文化などの文化というものはもともと多様性があり、例外、特別、などなど満載なのであって、私はインドで時として牛肉も大いに食べていた。外国人のよく出入りする店、例えば三ツ星ホテルのレストランなどでは、料理にビーフを出さないというわけにはさすがにいかないのである。それらを大いに食べていたのである(普段はチキンカレーなど・・・、フィッシュも・・・、笑)。そのようにして文化は繋がり通底するものなのだ。そういえば普通の安カレー屋でもビーフカレーは置いているところが多かったな・・・。
前みそですが、16日付けのblogの東京湾の花火は動画で掲載しているのでぜひご笑覧ください。観客の興奮した声が少しうるさいですけれど・・・。


             


                                  



                                                                                                      

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JALのことなど・・・  18Aug2010 

2010-08-18 | エッセイ
先日JALについて少し書いた。ごく私的な印象についてである。JALは会社更生法が適用された。方法が手ぬるい感じは否めない。そごうの時もそうだったが責任の所在があいまいなまま決着するのである。これは決着とは普通言わない。アメリカなどでは経営陣は刑事訴訟を受けるのが普通らしい。しかし日本の場合マスコミなどは、その辺を取り上げても結局廻り廻ってそのツケを払わされる大衆の不満の代弁をするはけ口という形になって事を収めてしまう、といった役回りをしてしまうようだ。刑事事件をマスコミがなし崩しに、何も無かった事、にしているようなものだ。では、そこに至るまではどうだったかというとこれもかなりおかしい。TVなどで倒産直前の時期、JALの長年のお得意さんと思しき利用客がマイクを向けられていたが、これなど株主か何かなのか会員にでもなっているようでセレブ気分(えせセレブだが、この国に真のセレブなどいない!?・・・・)を味わわせてもらった上にかなり割安で航空チケットも購入して利用し続けていたようである。これらの割安が赤字期間中もずっと続けられていて、結局それらを銀行などを含めた公的資金投入で補っているということは、何も関係ない人たちがこのセレブ気分の人間の割安分を払ってやっているようなものである。まさにそうなのだ。では放漫な赤字経営を続けていた時、それをどこがチェックするべきだったかというと、本来は出資などをしている株主のはずである。先程のセレブ扱いの連中などもこれに含まれるはずだ。だからもうそこまで考えただけでダメなことは分かってしまうのだ。どうもそもそも、まじめな株主が経営に対し厳しいチェックを入れるという習慣がこの国にはないようなのだ。理不尽なことを言う総会屋に対抗する打たれ強くもたくましい社員という構図の中で、本来、経営にまじめな出資者がもの申すべき株主総会さえ、機能していないこともあるようなのだ。会社側もそれを利用しているとも言える。つまり、総会屋対策で手いっぱいで、まじめな出資者の言い分を聞く暇もない、といった類の利用の仕方である。これで経営に対するチェックは中途半端か、もしくは無い状態で終わるわけだ。これを続けていれば結果は大体想像はつく。JALの場合、株主総会そのものが無いのかもしれない。親方日の丸だからだ。であるなら、今後一時的にテコ入れの人々が入っても結果は同じだろう。ナショナルフラッグが消えるのは大変なこと、などと言っている評論家もいたりするが、そんなものが続いている方が大変なことなのではないのか。監査が入りJALはつぶれ、フラッグが消え、これまで放漫経営をしてきた経営陣には罰則が与えられるのが正常なのではないか。その後日本の空がどうなるかと言われてもそれは分からない。青空が広がるかも。冗談はさておき、「結果的強制的後払い」でセレブ気分の人の割引分を、JALをあまり利用しない人たちがただただ払わされていただけではないのか、あるいはこれからも・・・。
 そしてTVなどに出ている、この国の経済評論家、アナリストと言われる人たちは、これらの事を誰も説明しない。誰も怒っていない。にこやかに毎晩のようにTVで顔見せするのがお仕事のようなのだ。怒っていた人たちはとうの昔に出なくなった。


                                          
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17Aug2010part2・白のゴーヤ

2010-08-17 | エッセイ
  先程・・・

少し小さめのもの


先日blogに載せたものがもうここまで成長している。
長さ10cm余り。


                                              

(今blog制作中に5分程席を外し、戻ってきて投稿ボタンを押したら、投稿できずログインのページが表示された。製作した原稿はすべて失われた。再度作り直したところである。たったこれだけのことで非常に疲労する。そこまでblogの仕組みとして、他人の作業をいじる必要はないと思う。実に腹が立つ。その無用な仕組みを製作した人間はどこまで偉いのだろう。かなり歪んだ性格の持ち主ではないだろうか。これだと苦労して作ったその作業結果がどこのだれかも分からない人間の意思一つで廃塵に帰すことも考えられる。遠隔操作で人の作業をいじることができるとするなら、いずれそれは刑事罰の対象となるだろう。どこの馬の骨にいじられているか分からない、ということは人にかなりのダメージを与えるものなのである)

                                          

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17Aug2010

2010-08-17 | エッセイ
25年以上も前にインドへ行った時にお土産で買ってきた巾着型バッグ。使う人がいなくてずっと仕舞ってあったようだ。買った本人がまるで忘れていた。結局、私自身が使うことと相成った。大きさは高さ40cmほど。さすがhand madeの革製 だけあって25年以上たった今でも古びず色あせてもいない。向こうのこういった製品の特徴で、金具、ひもなど、日本製では考えられないようなところが驚くほど貧弱だったりする。そのくせ本体の革の触感などはとても良く好きなのだ。部分部分の耐久性などのバランスが悪いのである。店先で安く売っていて気楽に買う類のもの。今回、使い始めてすぐに紐が切れそうになり、またそれを通してある穴も傷んだ。修繕の材料を昨日買ってきた。フォトはまだ修繕前のもの。

               




                                             


                     
                            修理後・フォトというのは光線の具合で相当質感が
            違って見えることが分かる。とにかく使えるように
            なりました。


                                          



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東京湾近くの風景   14Aug2010

2010-08-16 | エッセイ
◆都内を歩いた◆

■東京湾近辺■

東京湾・勝鬨橋からの風景・夕方7時頃 屋形船(水上バス)が行く



 
東京湾の晴海まで歩いた。花火大会が開催されていた。
最後はもう少し余韻を残して撮りたかった。



同上・隅田川・屋形船が行く・9時PM過ぎ・後ろは東京タワー

■渋谷・原宿辺り■

昼過ぎ


カメラを向けたくなるのだろう、それらしき人がちらほらいる





表参道

■国立新美術館オルセー絵画展(乃木坂)■

歩き疲れて、公園のベンチでしばし休憩。このところベンチに
腰掛けていると恐れもせず、よく鳥が近づいてくる。
このときは子雀が寄って来た。5分余りもいたと思う。
雀を最近見たことが無いことに気付いた。
首をかしげてこちらの様子をうかがっているのが分かる。


国立新美術館



同上内観・「今」の建物は撮影禁止などということはなく、内観でさえ公共建築はもちろん人々にむき出しにしてオープンだ。


エントランスの巨大吹き抜けのスペース





ca~fe space


オルセー美術館の絵画展が開かれていた


人また人・行列


                                           
                                         
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他人のtwitterを読み流して・・・ 13Aug2010

2010-08-13 | エッセイ
他人のtwitterというのを見ていると、これはほとんど、読み手に状況を説明する労力を省いているなと感じる。そこが、最初から書き手はその部分を負っていませんよという暗黙の了解の上で成り立っているところでもあり、新しさといえば言えなくもなく、使い手にとってちょっとした心地良さでもあるようだ。読み手にとっても、状況を読み取ることを強制される訳でもなく、従って状況が分からないからといって相手の事を理解することを勝手に放棄することもできるわけで、そこを始めから前提として成り立っているもののようだ。やはり、そこもちょっと心地よい部分もありそうだ。が、twitterのスタイルのみがコミュニケーションであると思い込むとするなら、例えばそれしか知らない子供たちがそのまま大人になるとするなら、それはかなり危うい世界であるかもしれない。伝わるまで小まめに何度でもやり取りするということが前提で成り立つところだと思うが、そこは最初から放棄されているという特徴があるからだ。そこの、ゆるさがメリットになることも、もちろんありそうだが・・・。

                                          
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噴霧というもの  13Aug2010

2010-08-13 | エッセイ
「噴霧」というものをする機会が多い。スプレー缶がやたらと多くなったと思う。ドラッグストアーへ行くとそう思う。自宅でも多く使っている。
 ゴキジェットプロ(ゴキブリ退治の時の秒殺のもの)、アースジェット(昔からなじみのあるもの。ハエやカに効く)、8x4、育毛剤、サロンパス(筋肉痛、肩こり)、パウダースプレーコロン(香水)、フラグランススプレー(香水)、ダニ退治用スプレー、クレ556(錆止め、精密機械用油)などなど、数えると驚くほどの「噴霧系のもの」が家にあるのだ。まだ他にもあるかもしれない。家電製品のリモコンと同じくらい間違えて手に取る。先日は寝ぼけて育毛剤の代わりにサロンパスを頭に「噴霧」してしまったのであった。驚くべきことに、スースーする感じは同じだった。だが、同じだからよいとはもちろん言えない。頭にスプレーを効かすべき筋肉があるわけでもなし。香りも違うし、なにか、トレーニングジムの更衣室にいる気分になった。

                
                              
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