福島章恭HP http://www.akiyasuf.com
インバルのマーラー8番から一夜明けた。
いま、蘇るのは、神秘のコーラス。
「神秘」のピアニシシモからフォルティシシモの頂点に昇りつめたとき、3階席に陣取ったバンダが高らかにファンファーレを奏するのだが、
その3階席へ向けて半身を向けたインバルから発せられるエネルギーがただ事ではなかった。
あの厚い胸板から、赤い気の塊のような球が生まれ出でては、それが会場中に発散された。
第1部の終結こそ、バンダとステージ上のタイミングが合わず、インバルの指揮にも無念が滲んでいたように見えたが、第2部は凄まじい気迫で会場中を圧倒したのである。
この瞬間に立ち会えたことは、大きな財産である。
やはり、指揮は人なのだ。
このような会場の空気を支配する熱いエネルギーを持たずして、どんな小手先のテクニックを磨いたところで何にもならない。
もちろん、綿密なアナリーゼがあり、理にかなったリハーサルがあり、作品への愛があった上での話ではあるが、最後には人なのである。
私も、演奏家の端くれとして、まだまだ力不足ながら、バッハやブルックナーを指揮する相応しい人間に一歩でも近づかなければならぬ、と心に誓った次第である。
インバルのマーラー8番から一夜明けた。
いま、蘇るのは、神秘のコーラス。
「神秘」のピアニシシモからフォルティシシモの頂点に昇りつめたとき、3階席に陣取ったバンダが高らかにファンファーレを奏するのだが、
その3階席へ向けて半身を向けたインバルから発せられるエネルギーがただ事ではなかった。
あの厚い胸板から、赤い気の塊のような球が生まれ出でては、それが会場中に発散された。
第1部の終結こそ、バンダとステージ上のタイミングが合わず、インバルの指揮にも無念が滲んでいたように見えたが、第2部は凄まじい気迫で会場中を圧倒したのである。
この瞬間に立ち会えたことは、大きな財産である。
やはり、指揮は人なのだ。
このような会場の空気を支配する熱いエネルギーを持たずして、どんな小手先のテクニックを磨いたところで何にもならない。
もちろん、綿密なアナリーゼがあり、理にかなったリハーサルがあり、作品への愛があった上での話ではあるが、最後には人なのである。
私も、演奏家の端くれとして、まだまだ力不足ながら、バッハやブルックナーを指揮する相応しい人間に一歩でも近づかなければならぬ、と心に誓った次第である。