1年間改修工事のため休館していた武蔵野市民文化会館がリニューアル・オープンした。
再会を祝すのは、4日間にわたるハーゼルベック指揮ウィーン・アカデミー管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会。
その初日、「田園」「7番」を聴いた。
まずは、ホールについて語ろう。改修前と何が変わったのか、気が付いたり、武蔵野市長が挨拶で話していたことを挙げてみる。
客席の椅子と床のカーペットが一新されていた。
トイレも新しくなりシャワートイレも導入された。
2階席へのエレベーターが新設されるなどバリアフリー化が進んでいる。
これは目に見えない部分だが、耐震工事が行われた。
などだが、もっとも演奏に大きな影響があると思われるのは、ステージの床が張り替えられていたことだろう。
木の材質までは判別できなかったが、真新しく白い床は目にも眩しく、適度な厚みもありそうで、見るからに以前より美しく響くような気がする。
上の写真にもあるとおり、ウィーン・アカデミー管弦楽団はピリオド楽器によるオーケストラで、演奏スタイルはベートーヴェンの時代に迫ろうというものである。
これが本当にベートーヴェンの時代に鳴った音か否かは誰にも分からないし、個人的にはまったく違う気もする(根拠はない)。
プログラムの前半は「田園」。
まず、最初に気が付いたのは、ハーゼルベックの指揮の下手くそさ。わたしたちが普通に知っている指揮とは別物だ。
腕の動きもぎこちなく唐突だし、手首がグニャグニャ動くし(タクトは持たない)、立っている足元も安定しない。
さらには、拍も正確ではないし、たとえば3拍子の2拍目、3拍目のタイミングはその指揮からまったく類推することができない。
ただ、ハーゼルベック自身がオルガンの名手ということもあって、その肉体には音楽が宿ってはいるのだろう。その点、同じ指揮が下手でも、新しいトーマス・カントルのゴットホルト・シュヴァルツとは違う。
コンサートマスターを中心に、オーケストラの面々が指揮の向こう側を読み取っては、自発的にアンサンブルしているように見受けられた。そこには確かに音楽が息づいており、棒ばかりが達者で中身のない指揮よりはずっと良いと思った。
「田園」に於いてもっとも成功していたのは第2楽章で、ガット弦による柔らかで雅な響きと素朴な木管の絡み合いが印象的であった。ただ、指揮の拙さから第3楽章「田舎の人々の楽しい集い」のアンサンブルは乱れがちだし、第4楽章「雷雨、嵐」では音響の立体的な構造感が希薄となる。第5楽章「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」も音楽が停滞したり、前のめりになったりと落ち着かないものとなっていたのは残念である。
後半の「7番」はグンと盛り返した。指揮は相変わらずだが、全曲を貫く意志も強く、全体に覇気が満ち、第2楽章のバランス感覚も美しいものであった。「田園」第3楽章のように、頻繁にテンポが変わったりしないため、アンサンブルが乱れにくいのかも知れない。
さらに、アンコールの「8番」第2楽章では、万雷の拍手に気をよくしたのか、あるいは、初日の張り詰めていた心が解放されたのか、愉悦に満ちた自由な音楽となっており、今宵のベスト・パフォーマンスとなった。本来の彼らの持ち味はこういうものなのだろう。
さて、わたしは、ツィクルスの続きは聴くことができない。大阪フィルの創立70周年を記念する定期「カルミナ・ブラーナ」(大植英次指揮)が控えているためである。
明日からのマエストロ稽古~オーケストラ合わせ~ゲネプロ~本番(25&26日)とコンサートの成功に向け、集中していきたい。