この感動はなにかに似ている。と、思い出したのは奈良は秋篠寺の伎芸天である。
あの柔和なお姿から醸し出される妙なる調べ。
まさに天の音楽であり、その楽の音はアラベスクのように旋回しながら佇む我らの頭上に降りてくる。
伎芸天の場合、その調べは心象の中に聴こえるわけだが、ピリスの場合は現実の音として鳴らされるのだから、聴衆にとってこんな至福はない。
1曲目K.332の第1楽章こそ、まだ楽器が鳴りきれない恨みがあったが、第2楽章以降はみるみる音に生命が宿っていく。
第3楽章アレグロ・アッサイでは、音たちがなんと生き生きと自由に駆け回ったていたことか。
しかし、一転、2曲目K.333では、ピリスの眼差しは遠い彼岸を見つめる。
まるで、生と死の境界線のむこうとこちら側を行ったり来たりするように、明の中に暗が口を広げ、暗のなかに希望の灯が揺れる。
そして、いつしか、その境目すら姿を消して、歓びと悲しみ、涙と微笑みによる重層的な表現となった。
ピリスは、一般に「明るく、愉しい」と評されるこの作品から、晩年の「魔笛」にも匹敵する深遠な世界を見出した。だからこそ、これを「4つの即興曲」op.142 D935の前に置いたのだろう。
シューベルト「4つの即興曲」op.142 D935は、無念の死を目前に控えたシューベルトの心と肉体の苦しみと美しい生への賛歌の交錯する音楽だからである。
つまり、ピリスは、自らの現役生活の最後に、死を見つめつつ、生の美しさと尊さを歌い上げるプログラムを編んだということになる。
K.333に引きつづき、ピリスはその内面に深く青い海を湛え、眼差しは遠い宇宙の彼方にあった。
シューベルトの悲嘆、魂の慟哭、つかの間の夢と希望・・・。
ピリスはその肉体から余分な運動を削ぎ落とした合理的な奏法、どこまでも音楽的なアーティキュレーションとバランス、自然な呼吸と玉のように美しい音色でもって、シューベルトに献身した。
アンコールは「3つのピアノ曲」第2曲 変ホ長調。
長かった演奏活動を終える自らを労うように、佳き音楽人生への感謝の中にいくばくかの名残惜しさを滲ませながら曲を閉じた。
使用ピアノ:ヤマハ。
2018年4月17日(火)19:00開演 サントリーホール
マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル
モーツァルト: ピアノ・ソナタ 第12番 ヘ長調 K.332
モーツァルト: ピアノ・ソナタ 第13番 変ロ長調 K.333
---- ---- ---- ---- ---- ----
シューベルト:4つの即興曲 Op.142, D935
アンコール
シューベルト:「3つのピアノ曲」第2曲 変ホ長調 D946