福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

死の都 終わりました!

2014-03-24 17:47:44 | コンサート


やはり2階席最前列は最高でした。音響面でのバランスが素晴らしい。字幕も見やすく、値段が高いだけあります。

歌手陣は、15日より声が出てましたね。オケも好演してましたが、それだけにキズリンクの指揮には些かの物足りなさも覚えました。

休憩時間に金子建志先生と楽しくお話しできたのも収穫。

ところで、いまは、カーテンコールもそこそこに、上野に向かっています。

東京文化会館に於ける小泉和裕&都響のベートーヴェン&ブルックナー#1の当日券を買うため。

オペラとコンサートの梯子なんて、我ながら若いなぁ。気持ちだけは。



再び、死の都へ

2014-03-24 12:31:49 | コンサート


15日の2日目の公演に引き続き、千秋楽公演を見物してきます。

もともと、岡山から直行の予定が、ホテルをキャンセルし、自宅より向かっているところ。

座席は奮発して2階センター1列目。前回は3階センター。第3幕のみ1階センターに移動しての観劇だったので、音響や視覚的効果の違いも味わいたいと思います。

トレイン・ビューの部屋

2014-03-23 08:41:34 | 旅行




今回の宿泊は、トレイン・ビューの部屋とのこと。特に鉄道オタクでもない自分にはどうでも良いことと思っていたのだが、いざ、窓外の景色を眺めてみると、なかなか楽しい。



車両の型番とかが分かればもっと面白いのだろうけど、結構、色とりどりの電車があるものだと感心するし、複数の電車が同時に現れたりすると、意味もなく興奮するのだから不思議である。また、ゴトゴトといつまで続くのかと思われるほどに沢山の貨車を牽引する貨物列車も風情があってよろしい。



ああ、そういえば、幼少期に1年ほど住んだ生麦の社宅が東海道線の線路近くにあって、よく眺めに行ったことを思い出した。まだ妹も生まれる前だから3歳の頃でもちろん断片的な記憶。転居後も友人を訪ねに行った場所だから記憶が強化されているのだろうけれど、そんな郷愁が今朝の私を喜ばせているに違いない。



トレイン・ビューの部屋の宿泊特典は、「381系高速特急電車やくも」の描かれた入場券レプリカ。チェックインの時には、こんなもん要らないと、内心呟いたものだが、急に愛しく思えてきた。額に飾るほどではないが、大事な本の栞としては使えるかな。

iPadでブルックナーを

2014-03-23 00:41:43 | コーラス、オーケストラ


岡山の宿にて。
iPadのアプリ、HDピアノ。
ブルックナー8番を勉強するには、かなり鍵盤数が足りないようで・・・。

和音を押さえるのに不自由なので、特定のパートを歌ったりしております。ああ、それでも幸せ。目眩く転調の妙はシューベルトとも違うブルックナー独自の世界。まさに、奇跡の音楽!

再投稿 岩城宏之 & NHK交響楽団 によるベートーヴェン交響曲全集

2014-03-21 23:48:25 | レコード、オーディオ
福島章恭HP http://www.akiyasuf.com



去る16日(日)。インバルのマーラー9終演後、高揚した気分のまま馬車道のディスクユニオンへ乗り込んで見つけたもののひとつがこれ。

ベートーヴェン交響曲全集
岩城宏之指揮 NHK交響楽団
日本コロムビア OS-10074/80(7LP)

1968年~69年
厚生年金会館大ホール
杉並公会堂ホール
世田谷区民会館ホール
レコーディング・エンジニア: 若林駿介



もちろん、日本初のベートーヴェン交響曲全集として、存在は知っていたけれど、アナログ盤の現物に出会ったのははじめて。決して音の良くない試聴機を通しても、はじめの10秒で素晴らしさが分かったほど、この全集は特別だ。

帰宅して早々、「エロイカ」に針を降ろしたが、これがいい!
青春の息吹があるというか、未来への希望に溢れているというか。全篇イキイキとした生命力に溢れている。N響のボルテージも高い。日本初のベートーヴェン全集への責任感やら高揚感が反映してか、まるで、アマチュアのようなひたむきさで、作品に挑んでいるのである。どこかに、カイルベルトの木霊が聴こえるようなのも嬉しいはないか。

若林駿介による録音がまた芸術の域にある。物理的な特性が高いとかではなく、演奏家の魂の動きを捉えている点に秀でているのだ。渡邉暁雄&日本フィルとのシベリウスといい、ペーター・マーク&日本フィルとのモーツァルトといい本当に良い仕事を遺している。




発売元の日本コロムビアも気合いが入っており、ボックスの中には解説書のほか、「ハイリゲンシュタットの遺書」のファクシミリと対訳&解説本が付されている。さらには、本来、リハーサル風景の特典レコードもあったようだが、残念ながら、散逸してしまった模様。

昨日の田中希代子ともども、日本の音楽界を開拓した先人たちの偉業に襟を正す機会を持てたことは、私にとって、とても嬉しいことであった。



追記

その後、リハーサル風景LPを含めたセットを見つけ入手。
ただいま手配中。
ただし、解説書、ハイリゲンシュタットの遺書ファクシミリ等はないので、「帯以外は全部揃った」セットと「レコード盤のみ(特典盤除く)」のセットができてしまいました・・・。


本物の感動 ハインツ・マルクス・ゲッチェの「マタイ受難曲」

2014-03-19 01:47:50 | レコード、オーディオ
福島章恭HP http://www.akiyasuf.com

馬車道のディスクユニオンにて購入した今回の本命。
岩城宏之のベートーヴェン、ベルリン・フィルの弦楽器奏者によるヴィヴァルディ以上に大きな感銘を受けたのがこのレコード。




J.S.バッハ「マタイ受難曲」
ハインツ・マルクス・ゲッチェ指揮 ハイデルベルク室内管弦楽団
プファルツ青年合唱団 カイザースラウテルン古典語ギムナジウムの生徒たち
マッティ・ユハニ(福音書記者) フェルトナー・ケーニヒ(イエス)
クリスタ・ジルヴィア・グレシュケ(Sop) オルトルーン・ヴェンケル(Alt)
ディヒター・エレンベック(Ten) ブルース・エイブル(Bass)

独DA CAMERA MAGNA SM94029-32(4LP)
録音1970年



全くの先入観なしに店頭で試聴して、たちまち虜になった。
なんという飾りのない、真摯で素朴な演奏なのであろう。
かといって、決してヘタウマではない。独唱陣は実力者揃いだし、オーケストラも充実している。
ただ、それがプロ的な巧さを誇るのではなく、ひたすら音楽に身を捧げている姿に感銘を受けるのである。
そして、ギムナジウムの生徒や若者たちによるコーラスの無垢さ、至純さは比類がない。

このレコードについて、何か分かることはないかとネットで検索したところ、磯山雅の著作「マタイ受難曲」(東京書籍)に採り上げられていることが分かる。
ということで、書棚からその本を引っ張り出して頁を開くと、なんと私とは全く評価の違うことに驚かされた。

「どっしりとして素朴な、ドイツの田舎風《マタイ》」
「バッハに郷土的誇りを感じる人たちの団結から生まれた、共同体的な説得力を持った演奏と言えようか」

と書き出しこそ、私の印象と重なるのだが、後半に大逆転がある。

「この《マタイ》を愛聴するかと問われれば、私は考え込み、そして、ノーと答える。なぜなら、ここまで確信をもって一つの世界を展開されると、もう、他者の入り込む余地がないからである。
価値に対する謙虚、あるいは自己のよりどころへの反省といったソフィスティケートされた要素が、この演奏からはあまりにも感じられなさすぎる。その意味でこの演奏は、普遍性を欠いている」

演奏への評価は、聴き手の数だけあって良いと思うけれど、この批評は如何なものであろうか?
確信をもって一つの世界を展開することの、どこが悪いのであろうか?
決して、ゲッチェ指揮のこの演奏は、排他的でもなんでもない。
篤い信仰心のもと、ただただ、バッハに向き合い、作品の核心に迫ろうとしているだけだ。
そして、それこそが、唯一、天と交信する道に他ならない。
世界のどこにあっても、あるいはどんな小さな屋根の下からだって、天に通じる道は開かれている。

レオンハルトを最上とするのは良いとして、スタイルが古いことでメンゲルベルクを認めず、
シェルヘンを「一里塚」と評する「進化論的」な価値観こそ、他人が入り込めないものだし、普遍性に欠けるものだと思われてならないのである。

まだ第一印象ではあるが、少なくとも私は、このレコードを、リヒター旧録音よりも上位に置きたいと思っている。
それほどに、この「マタイ」は凄い。

因みに、レーベルにはモノーラル録音のような記号(M+33+▽)が記されているけれど、歴としたステレオ録音であることを付記しておく。



ベルリン・フィルの強者どもによる超弩級のヴィヴァルディ

2014-03-17 10:26:48 | レコード、オーディオ


昨日、岩城宏之のベートーヴェン全集とともに手にしたレコードボックス。

ヴィヴァルディ コンチェルト・グロッソ集 op.3 nn.1 - 12「調和の幻想」

ベルリン・フィルハーモニー
コンサートマスター: レオン・シュピーラー , トーマス・ブランディス
独DG 2740 221/2709 100(3LP)
録音 : 1979年 録音技師: ギュンター・ヘルマンス

70年代末、カラヤン時代完熟期のベルリン・フィルの弦楽奏者たちによる豪華なヴィヴァルディ。全12曲の半数、6曲ずつをシュピーラーとブランディスがトップを分け合っている。この2人のデュエットなどもあって鳥肌もの。兎にも角にも超弩級の音がする。コンティヌオはエバーハルト・フィンケ(vc)とホルスト・ゲーベル(cem)のコンビだ。

まるで、チャイコフスキーの弦楽セレナーデを聴くかのような豊穣な響き。古楽器に慣れた耳には、ヴィヴァルディにしてはサウンドが立派過ぎるのではと気後れするだろうが、気にすることはない。これで良いのだ。
弦楽器の奏法、機能美をトコトン追求するとこうなります、といった風情こそが堪らない魅力なのだから。

ベルリン・フィルの強者どもが、カラヤンという親方抜きで、実に嬉しそうに伸びやかに合奏を楽しんでいるのが伝わってくる。カラヤンは、オーケストラのプレイヤーたちが自らの指揮より目立つことを好まないから、かつてこれほど彼らがクローズアップされた録音はなかったのではないか?

実は、この演奏。レコードの発売直後、FM放送からのエアチェックテープを愛聴していたこともあったのだが、こうしてオリジナルのレコードで聴くと、当然ながらカセット・テープとは情報量と生々しさが全く違う。当時はただの爽やかなバロック音楽という認証しか持てないでいたものだが。
録音も極上。グラモフォンのアナログ録音のクオリティは相当に高かったことを再確認。

というわけで、久々の再会は実に幸せなものであった!

空前絶後のマーラー9番 インバル&都響 横浜みなとみらい公演

2014-03-17 01:00:55 | コンサート
福島章恭HP http://www.akiyasuf.com



インバル&都響のマーラー9の2日目(於・横浜みなとみらい大ホール)。
期待を遥かに上回る空前絶後の名演であった。

まず我が座席だが、前回の8番が1階であったのに対し、3階センターであったことは既報の通り。
音は断然今回の方が良かった。金管セクションも極めて立体的に聴こえたし、木管の綾も美しい。弦に限っては、響きがライヴになりすぎて輪郭のボヤケてしまう難はあったが、頭上を通り過ぎるよりは100倍良い。

天使の舞い降りたのは、第1楽章コーダ直前のフルート。第1フルートの永遠の調べが、彼岸への扉を開いた。
この瞬間から、音楽は彼岸と此岸の境界線にある垣根を超え、世界が一変した。

もちろん、それまでも立派なパフォーマンスだった。
ただ余りに純音楽的で、バーンスタインやバルビローリとは言わなくても、もっとインバルの生々しい魂の叫び声を聴きたい、と思ったりしたものだ。
ところが、ここからは、奇跡の瞬間の連続であった。

第2楽章のレントラーでは、原初的なリズムの躍動があった。
ただの舞曲ではなく、人間の魂の故郷を訪ねるような音楽である。
テンポを上げた粗野な部分の迫力も凄まじく、息をもつかせない。

このまま一気に後半へなだれ込むかと思いきや、第3楽章を前にインバルは一旦舞台袖に退場。
オーケストラがチューニングを済ましても、なお時間を持て余すほど長い空白に、
「せっかく、盛り上がったのに、集中が切れたらどうするのか?」
と心配したほどである。

ところが、再開後の第3楽章ロンド=ブルレスケもオーケストラの集中力は途切れなかった。
流石プロだ、と賞賛するのは簡単だが、指揮者ともども、休息とともに益々のエネルギー感でもって音楽に臨む様は圧巻。
諧謔という名の魂の乱舞に打ちのめされた感じがした。

そして、結論ともいうべきフィナーレ。
インバルの指揮は、拍を明確に、しかも縦に力強く打つ指揮スタイル。
この息の長い歌に溢れた第4楽章ではどうだろう? と興味深く見ていたが、何のことはない。都響の弦楽セクションは、その打点と打点の間を自発的なカンタービレで埋めてゆく。
まさに全身全霊を音楽に捧げるインバル指揮の下、オーケストラがひとつの巨大な生き物のように呼吸していた。
クライマックスに至る122小節からの4小節間、「たくさんの弓の返しで」と指示された第1および第2ヴァイオリンの高弦の輝きが天を染め上げるとき、
インバルの指揮が横型に転じては、凄絶なまでの効果を生んでいた。ここへきて、マーラーの心の叫びとインバルのそれが共鳴し、ひとつになった。

やがて、コントラバスを除いた弦だけが残り、音楽は死への歩を進める。
生を惜しみように、決して悟ることなく、しかし、夢見るように、音楽は、徐々に徐々に、その瞬間に近づいてゆく。
ここで、客席に大きなトラブルの発生したのは無念ではあったけれど、インバルも都響も些かも集中力を欠くことなく、会場の空気を支配しつづけた。
そして、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロによる変ニ長調の開離した長三和音が黄泉の空へと吸い込まれていったあとの静寂にこそ、演奏芸術の究極があったのだ。

先週の「8番」も素晴らしかったが、ここまで深い感銘ではなかった。
もしかすると、座席の違いかも知れないけれど、どうも、それだけではなかったような気はしている。
インバルと都響によるマーラー。7月の「10番」は、2公演ともに仕事と重なり聴くことが出来ないため聴き納めとなるかも知れない。
この「9番」から得たものは、我が残された音楽人生への糧となるほど大きなものであった。
殊に、愛知祝祭オーケストラとともにブルックナー第8番を演奏する前に、特上のマーラー「8番」「9番」に立ち会えたことは幸運であったと言えるだろう。
天の配剤に感謝をしたい。

 


演奏会場の命綱

2014-03-16 19:47:50 | コンサート
インバル&都響のマーラー9は、空前絶後の名演だった。それについては稿を改めるが、まずは僕の命綱の話。

とにかく、高い所が恐怖。
昨年、ミラノ・スカラ座「ファルスタッフ」を東京文化会館の4階で観たときも肝を冷やしたが、みなとみらいの3階も、すみだトリフォニーの2階ほどではないものの、かなりの高さ。1列目に平然と座している人びとの気が知れない。手摺りに肘を乗せて下を覗く人が居たりすると、自分が下に落ちるような錯覚に陥ってヒヤヒヤするし、転けた勢いで、そのまま1階に転落したらどうしようと思うと、階段を降りるのにも腰が引けてしまう。

前にも書いたが、3列目というのは僕にはギリギリ。座ってからも、どうにも落ち着かない。ところが、今回は運良く通路側の座席だったため、右手に手摺りがあった。そこで、ウエストポーチのベルトを緩めては、身体を手摺りに固定することに成功。ようやく、ステージに集中する体勢をとることが出来た。



これなら、万一、自分に飛び降りたい衝動が起こってもブレーキがかかる。高所恐怖症とは、ただ高いからなのではなく、自分が下に吸い込まれてしまいそうなことが恐怖なのだ。

ところが、今日は演奏が余りに素晴らしかったため、第2楽章が終わったとき、このベルトを解いた。演奏に集中することで精神が落ち着いて、飛び降りる心配が全くなくなったからだ。

それほどまでに、今日のマーラー9は素晴らしかったのである(笑)。


高いぞ。

2014-03-16 14:48:31 | コンサート


開演15分前。
みなとみらいホール3階席。かなり、高い。3列目は、高所恐怖症の僕にはギリギリ。1列目だったら、失神、否、失禁必至だ。

しかし、音響は1階より遥かに良さそうな予感。期待しよう。




みなとみらい駅着。開演30分前。
流石に今日は、クイーンズスクエアのシャッターが開いていました(笑)。