上山明博 なう。

ノンフィクション 作家・上山明博のブログです
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書評「アジアに生きる──村上政彦著『結交姉妹』」上山明博

2023年10月27日 | 書評
 文字を用いることを許されなかった女性たちがいたことを、浅学をさらすようだが私はこの本を読んではじめて知った。
 中国湖南省江永県の一部の地域に、女性が文字を用いることを良しとしない特異な風習があった。そのため、その地域に生まれ育った女性たちは、文字(男書)に代わって、彼女たちだけが理解できる秘密の文字「女書(にょしょ)」を独自に生み出し、何世代にもわたって密かに受け継いできたという。
 女書が知られるきっかけは、一九五八年に湖南省江永県に住む女性が北京を訪れたことにさかのぼる。彼女が話す言葉は訛りが強く、北京の人びとには理解することができなかった。そのため筆談を試みたが、彼女が書く文字はさらに解読不能で、誰も見たことのないものだった。
 村上政彦著『結交姉妹』(鳥影社)は、女書を作品の主要なモチーフにした、十の短編からなる連作小説だ。
 著者はこれまで、日本と台湾の近現代史を背景に、国語教育の様態を追った『「君が代少年」を探して──台湾人と日本語教育』(平凡社新書)や、小説『台湾聖母』(コールサック社)など、日台両国の歷史の狭間に埋もれた人間ドラマを軽やかな澄んだ筆致で描いてきた。
 近著『結交姉妹』は、女書という新たなモチーフに着想を得た著者が、日本と中国の歷史の深層を、覇者の視点ではなく市井に生きた女性の視座から捉え直し、豊かな想像力によって精緻に編んだもうひとつの物語である。
 女書でつづられた詩歌や回顧録は、男尊女卑の社会のなかで親や夫から虐げられ、労役を強いられてきた女性たちの悲しみや苦しみの数少ない発露であり、それは同時に、彼女たちにとって明日を生きるささやかな糧ともなったろう。
 本書の主題である女書のコンテクストには、日清ならびに日中戦争が厳然としてある。事実、日本軍は女書の使用を禁止し、厳しく取り締まった。無論、解読不能な女書が諜報(スパイ)活動や抗日運動に用いられることを恐れてのことである。
 男たちが陰惨な戦争を長年にわたって繰り広げてきた影で、女たちは女書を介して抑圧された心の裡を伝え合い、文化を後世に密かに守り継いできた。本書に収められた短編小説のいたるところに、日本が中国を侵略したことに対する著者の贖罪の思いと、地域の文化を静かに継承してきた女性たちへの畏敬の念が滲み出る。

  女が女だけに分かる文字を持つ。男たちは剣(つるぎ)で国を建て、文字で民を支配する。
  女たちは文字で繋がって、やがて男たちの国を包んでいく。(大姉口伝)

 著者の村上氏は、連作小説を貫く縦糸に女書を、横糸に盧溝橋事件や南京事件などの歷史の諸相を巧みに織り込みながら、壮大なスケールでアジアの物語を生き生きと描き出すことに成功した。そして、読者である私は、『結交姉妹』を読み進むあいだ、「脱亜」と「興亜」の間で揺れ動いた日本の、近代から現代にいたる波乱の歴史の廻廊を追走した。
 読み終えて、すっかり『結交姉妹』の世界に魅せられた私は、図書館で女書に関する文献を探索し、目当ての図書を借り受けて女書を記した文書をひも解いた。
 すると、砂浜に残された水鳥の足跡のような、軽やかで流麗な無数の象形が目の前に広がった。親や夫に抑圧された暗い歷史があったとは到底思えない、神々しいまでに美しい筆致に胸を打たれた。



村上政彦著『結交姉妹』鳥影社、四六判、280頁


村上政彦サイン「謹呈 上山明博様 2023年9月4日 村上政彦」 

富山新聞・読書面に拙著『北里柴三郎』(青土社)の書評を発見❗

2022年02月23日 | 書評
書評の本文は、じつはすでに京都新聞に掲載された記事と瓜二つで、タイトルが少し違っているだけ。おそらく、共同通信からの配信なんだと思う。評者は、東京農工大学教授で、同大学感染症未来疫学研究センター長の水谷哲也氏。
ところで、生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)が発表した未知のウイルス数の予測によれば、哺乳類や鳥類に眠っている未知のウイルスは約170万種類。そのうち人獣共通感染症は約85万種類と推定されている。
評者の水谷教授は、この次期新興ウイルスの予測をはじめとする新型コロナウイルスの先端的疫学研究を主導する世界的な感染症学者の一人。その水谷先生からご高評いただき、とても光栄です❗


(「爽快な研究者の評伝」評者=水谷哲也 東京農工大教授『北里柴三郎─感染症と闘いつづけた男』上山明博著、青土社・2860円『富山新聞』読書面2022年2月13日)

『北里柴三郎』青土社刊の書評が四国新聞に掲載

2021年12月16日 | 書評
拙著『北里柴三郎』(青土社)の書評が四国新聞に掲載されました。
評者は、東京農工大学教授の水谷哲也氏。同大学の感染症未来疫学研究センター長でもある水谷氏は、新型コロナウイルスの先端的疫学研究や次期新興ウイルスの予測など、注目すべき研究を主導する日本を代表する感染症学者の一人。その水谷氏からご高評いただき、とても光栄に思います。ありがとうございます!


(「命賭した研究者の評伝」評=水谷哲也 東京農工大学教授『北里柴三郎─感染症と闘いつづけた男』上山明博著、青土社『四国新聞』読書面2021年12月12日)

今日の毎日新聞に、拙著『北里柴三郎』の書評が掲載されました。

2021年11月06日 | 書評
今日の毎日新聞の読書面「今週の本棚」に、拙著『北里柴三郎』の書評が掲載されました。
評者は、科学哲学の第一人者で東京大学名誉教授の村上陽一郎氏。じつは私が『北里柴三郎』を書くに当たり、村上氏の名著『ペスト大流行――ヨーロッパ中世の崩壊』(岩波新書、1983年刊)を、幾度も繰り返し読み返し、そのうえで本書の執筆に向かいました。その村上氏から過分のご高評をいただき、幸甚の至りです。ありがとうございます!

「冷遇との闘い 史料で丹念に追う」毎日新聞[今週の本棚]2021年11月6日(土)
▼村上陽一郎・評(東大名誉教授・科学史)『北里柴三郎』上山明博著(青土社・2860円)



関東大震災から95年目の日、朝日新聞に『地震学をつくった男・大森房吉』の書評載る!

2018年09月01日 | 書評
関東大震災から95年目の今日(9月1日)、朝日新聞読書面に『地震学をつくった男・大森房吉』上山明博著、青土社刊の書評が掲載されました。書評記事でありながら、関東大震災時に活躍した地震学者の大森と今村両博士による回顧談で構成されていて、とっても面白く拝読させていただきました。評者の山室恭子(東京工業大学教授)さま、ありがとうございます!


2018年9月1日(土)『朝日新聞』読書面

「文藝春秋12月号」文藝春秋BOOK倶楽部・鼎談書評

2013年11月22日 | 書評
『関東大震災を予知した二人の男 ─大森房吉と今村明恒』上山明博 著、産経新聞出版 刊
(評者=ノンフィクション作家・保阪正康氏、政治学者・片山杜秀氏、歴史学者・山内昌之氏)




「国家と国民の期待を背負った地震学者の信念と葛藤の物語」

 保阪 『関東大震災を予知した二人の男』は、関東大震災前、地震予知に尽力した2人の科学者――大森房吉と今村明恒を描いた、いわゆるノンフィクションノベルです。まずは主人公の2人を紹介しましょう。

 大森房吉は、明治元(1868)年、福井藩勘定方下役人の家に、8人兄姉の末っ子として生まれます。帝国大学理科大学物理学科(現在の東京大学理学部物理学科)に首席で入学、給費生として地震学の研究を始め、同30年、29歳という若さで地震学教室主任教授となり、同時に震災予防調査会の幹事にも就任します。高性能の「大森式地震計」を発明し、その観測データをもとに地震波を解析、独自に導き出した「大森係数」を用いて、震源までの距離を算出する「大森公式」を発見するなど、“地震学の父”として世界的に有名な科学者でした。

 一方の今村明恒は、明治3年生まれ。薩摩藩士の三男で、同24年、大森と同じく帝国大学理科大学物理学科に入学。卒業後は地震学教室の副手として研究に従事し、同34年、大森教授のもとで助教授に就任します。

 山内 今村は、2歳年上の大森がいたために、ずっと助教授のままなんですね。しかも助教授就任後も無給だった。「無給の万年助教授」なんて学生に陰口を叩かれるシーンがありますが、実際は、薩摩藩出身の縁故のつてを頼り、中央幼年学校(のちの陸軍士官学校予科)など陸軍教授が本官です。今村だってエリートですが、彼に屈折した感覚を与えているのは、どうも鹿児島弁が通じなかったようなんです。だから、彼は地方出身者のために東京弁を解説した本を書いていた。

 片山 そうした不遇のせいもあってか、今村は東京に大地震が起きると予言し、しばしばマスコミにセンセーショナルに取り上げられます。明治39年1月には「今村博士の説き出せる大地震襲来説」(『東京二六新聞』)と大見出しで書かれ物議を醸しました。大森は、その論調を「浮説」として、今村に“これは私の本意ではない”という抗議文を新聞社に送るように諭すのです。また、今村が自説をまとめた本を出版すると、出版社が「東京地方(略)一大激震の襲来」「死傷者の数二十万」などと煽り広告を出して、大騒ぎとなる。そのたびに大森に叱られ、世間からは「ほら吹き」と批判される。ところが、結局、関東大震災が起きると、今村の言っていたことは正しかったとなったんです。

 保阪 それで、後世、この2人の評価も反転しました。要するに、今村は苦難に耐えつつ警鐘を鳴らし続け、予知に成功した叩き上げの一流の学者、それに対して大森は、予知もできず今村を邪魔したエリート学者とされてしまった。そうした定説に一石を投じたのが本書の読みどころでしょう。

 山内 吉村昭さんの『関東大震災』は、この2人をまさに定型化して描いていますね。

 片山 しかし、それは大森に酷でしょうね。大森もやがて来る地震の震源地を相模湾と予見していて、論文として発表もしていた。ただ、時期の予見には慎重で、結果、民衆が目にすることはなかったんです。

 山内 大森も今村も、地震を予見できていた点で、そんなに違いはないという本書の見方は、私も間違っていないと思います。

 今村が「ほら吹き」と批判され、大森が慎重な姿勢をとったのには、実は当時の大学のあり方を踏まえなくてはなりません。当時の帝大教授と、現在の大学教授とを一緒に考えてはいけない。明治の帝国大学とは、まさに国家を代弁する権威の源泉でした。本書でも、関東大震災発生後、海外出張で留守の大森にかわって、今村が緊急の震災予防調査会の議長を務め、事態の収拾にあたる場面があります。帝大教授とは、国家意思を体現しなくてはならない立場だったのです。そうした立場からすれば、国民にいたずらな不安を与えてはならないという大森の考えは当然でしょうね。

 片山 また、本書で印象的だったのが、大森、今村ともに、地震の予知がすぐにでもできるという確信を持っていることです。当時は科学に対する信仰が今以上に強い時代でもあった。

 保阪 そうなんですね。私が連想したのは、福来友吉博士の千里眼事件です。東京帝大の助教授が千里眼の実在を証明しようと、度重なる実験を行い、結局、1913(大正2)年に大学を追われてしまった。この背後にあるのは、科学への懐疑ではなく、むしろ心霊などの現象も科学で解明できるという積極的な科学観だった。

 ただ本書が惜しまれるのは、会話などに時代があまり感じられないことですね。個人的なことですが、私の父は横浜にいた中学生のとき、大震災で被災しました。「水をくれ」と訴える行き倒れの中国人に水をあげたら、自警団にぶん殴られたというんです。「なぜ水を飲ますんだ」と。中国人はその場で惨殺され、その後、父は二度と横浜には足を踏み入れませんでした。本書では、自警団に襲われかけた今村が「帝大の今村博士だ」と叫んで難を逃れたとさらっと書かれていますが、そんな簡単な話ではなかったと思うんです。推薦者が言うのもなんですが(笑)。

 山内 歴史状況の説明にリアリティがない欠点はありますが、この地震大国で今後も地震と付き合わねばならない日本人としては、こういう先人がいたということは知っておくべきだと思いますね。

 片山 私は東日本大震災以後、大正期の『震災予防調査会報告』を集めていますが、当時の研究の熱気に驚かされます。今回、私が一番強く感じたのは、大森以来の努力で地震学は長足の進歩を遂げたのに、相変わらず地震予知はできていないという事実ですね。実現が近いと思っていたものがいつまでもできないという点では核融合発電も同じです。核融合までの繋ぎだと称された核分裂発電をいつまでもやって、ついに大事故でしょう。その原因は地震でしょう。いろいろと考えさせられる1冊でした。

(「文藝春秋2013年12月号」文藝春秋BOOK倶楽部・鼎談書評 所載)

 
文藝春秋WEB へ(http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/911)

「国家と国民の期待を背負った地震学者の信念と葛藤の物語」1/3   (「文藝春秋 2013年12月号」所載)

2013年11月13日 | 書評
「文藝春秋」12月号の 「文藝春秋 BOOK倶楽部」の鼎談書評に、「国家と国民の期待を背負った地震学者の信念と葛藤の物語」と題して拙著『関東大震災を予知した二人の男-大森房吉と今村明恒』を取り上げていただきました。
 評者は、ノンフィクション作家の保阪正康氏、政治学者の片山杜秀氏、歴史学者の山内昌之氏の三氏。斯界の第一人者からそれぞれ御高評を頂戴し、光栄に思います。取材執筆にかけた歳月が無駄ではなかったとこの間を顧み、本を出してよかったと実感しました。ありがとうございます!
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「国家と国民の期待を背負った地震学者の信念と葛藤の物語」上山明博著『関東大震災を予知した二人の男 ─大森房吉と今村明恒』(「文藝春秋 2013年12月号」所載)

「国家と国民の期待を背負った地震学者の信念と葛藤の物語」2/3   (「文藝春秋 2013年12月号」所載)

2013年11月13日 | 書評
 本のあとがきで、現在の日本地震学会に対してやや批判的とも受け取れる文章を書いたためか、学会の関係者から多くの御批判を頂戴し、その対応に苦慮していたときだっただけに、今回の書評記事に接しほッと安堵。わけても、吉村昭氏の『関東大震災』以来、定説となった大森と今村の評価に一石を投じたのが本書の読みどころでしょう。という趣旨の発言に、救われた心もちがします。
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「国家と国民の期待を背負った地震学者の信念と葛藤の物語」上山明博著『関東大震災を予知した二人の男 ─大森房吉と今村明恒』(「文藝春秋 2013年12月号」所載)

「国家と国民の期待を背負った地震学者の信念と葛藤の物語」3/3   (「文藝春秋 2013年12月号」所載)

2013年11月13日 | 書評
「帝大の今村博士だ」と叫んで難を逃れた話は、今村の日記に由来します。それが、子供向け科学雑誌の『科学知識』に掲載され、後年今村の著書に所収されています。
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「国家と国民の期待を背負った地震学者の信念と葛藤の物語」上山明博著『関東大震災を予知した二人の男 ─大森房吉と今村明恒』(「文藝春秋 2013年12月号」所載)