明鏡   

鏡のごとく

テレビは外で見るもの

2010-09-11 21:38:13 | 小説
 911の事件の時。
 あの日、テレビでビルに飛行機が突っ込んで、なし崩し的に壊れていった映像を何度も何度も繰り返し放映してましたよね。
 それでも、何が起こったか分からなかった。
 テロだと騒いでいたけど。
 亡くなった方、近くで見ていた方にとって、どこかの国のテロリストがやったのであろうが、崩れ落ちる前に崩せとばかりに、持ち主がビルを解体する手間が省けたり保険金をたらふくもらった人達の犯行であろうが。

 生きるか死ぬかの、零地点に限りなく近いところにいた。

 後づけされた理由等でうまりきれないような零の穴が穿たれ、その中に蝋燭の火や、花が投げ込まれたとしても、溶けてなくなるか、腐っていくか、乾いて枯れて粉々に砕けていくかで、もうなにもない。
 テロと戦争とが起こっただけだった。

 亡くなった方たちとその家族や友人の中で、大きな零の疑問が突きつけられたままで。



 確かにそうね。
 そういえば、あなた、以前、経営コンサルタントみたいな仕事をしているとき、「ちゃんこうろう屋」というホイコウロウをうどん麺の上に乗っけたものを主力で売り出している店のメニュー開発とアンケート調査をやっていたでしょ。
 その店の店舗が、あの双子のビルの片割れに入っていたって言ってたわよね。
 
 
 妻が言った。


 ああ、そういえば、そうだった。
 あそこに店の鉄鍋とレジスターが焦げ付いたまま出て来たって聞いたよ。
 「ちゃんこ」とはお相撲さんのごっちゃんからきたのか、昔の人が使っていた差別用語で、今では言葉狩りでほとんど見ることが出来なくなった「ちゃんころ」という外国の人を暗に指す言葉からきたのかは知らないけれど。と店の料理人の古株の人が言ってたな。
 それに、店のオーナーは確か在日の方だと言ってた。
 とても商売が上手だったし、人当たりも良い人だったよ。
 金をどこに流せばいいかよくわかっている。
 金のつくり方を心得ているとでもいおうか。
 商売をやるというのは、そんなに簡単なことではないからね。
 差別してはいけないと言っても、言うやつはいくらでもいる、それを跳ね返す力だって逆に湧いてくるというか。
 そういう人だったね。
 差別をするなと言う戦後の日本教育で培った理念はご立派かもしれんが、差別をされている人の方が、今は優先的に枠があるとかないとか言う公務員になっていたり、テレビや教科書、著作においても優先的に全面に紹介され、引っ張り上げられたりする人が多いってご時世の行く末を少しは考えた方がいいかもしれないな。
 
 これからは、日本人だといって、差別されるようになっていかないとも限らないんだという現実をもっと良く見た方がいい。
 いや、心しておいた方がいい。
 特に、厭なことを言われると、そっぽを向く、夢見がちな、心優しい羊かヤギかうさぎになりたい日本人は。
 いつのまにか、政府や警察、検察や裁判官、報道通信、宗教だって、銀行だって、車作りだって、電化製品だって、学校だって、遊技場だって、競輪競馬モーターボートだって、乗っ取りはほぼ完了しているような。
 能天気なあまりに能天気な、あわれみの目を向けているつもりが、向けられている日本人からしてみればおそろしい世の中なんだということ。
 
 なにもテロだけが戦いではないということ。

 ぼくたちはそんなに危険なのですか。って。

 聴く人もいるかもしれないけど、昔の日本人も、自分たちが危険だなんて思ってもいなかったさ。
 新天地を求めていただけだっていうのが関の山だろう。

 満州に行って、無から作れる札束を発行して何でも出来ると夢見ていたのは、何も日本人の軍部のものや銀行のものばかりじゃない。

 今、日本に生活保護を求めてやってくる中国の人や、キリスト教徒の教会に出入りして、日本の在日の方々に場所と資金を提供されて、タレント活動に勤しんでいるものも多いと言われている韓国人のタレントも多いからね。
 彼らにとっては日本は新天地となりつつあるのだ。
 つてはあるからね。
 大阪を押さえたい人たちなんかは、外国の人が多いというのもあるけどね。
 あそこには立派な造幣局があるから。
 地域主権を掲げて、なおかつ外国人の人が外国人の侭で日本の政治に口を挟むことの出来る、外国人参政権を法律で通そうとしているのが、今ここで起こっている、日本の政治におけるドタバタ劇なんだということ。

 どこかのだれかが、東京事変を起こそうとしているか、大阪事変か、福岡事変かどうかは知らないが。

 とりあえず、生活保護の申請をしておけば、場所は確保してくれる、同胞がいるという訳だから、そういった騒動の後に、日本に介入しようとしている国はいくらでもいるということ。

 内からも、外からもいるということ。

 これが今日本で行われている民主党の掲げた「静かな革命」の大筋ってやつだ。

 血を見ないのではない、血税を啜るのさ。

 日本人の流した動脈だか静脈だかの血をしぼりとるのさ。

 土地と言葉と過去を引き換えにね。

 在日の人の集まりに出たっていってる、ちょっと目つきのおかしな年寄りの政治家が言ってたな。

 そのオーナーの知り合いで、土木関係の大金持ちの人が、政府に食い込んでいてね。
 その人が言うにはね。
 飯が喰えないって言う人を一時世話する施設を作るように、働きかけて金を税金から出させて仮入居施設をつくっているが、なんてことはない。
 自分の仕事で使う土木作業員の人を、優先的に住ませる手はずを整えていたんだから、自分の懐を痛めないで人様の金で物事を動かすのに長けているということかな。


 妻が口を挟んだ。


 それが、目に見える表舞台に出て来て、現実に起こりつつあるとしたら、「水」配達の商売にからんでいる韓国のきれいなアンドロイドみたいなタレントの出ている宣伝を見ると、こわい気がするわね。
 静かに水まで、乗っ取られているようで。
 奥様方は毎日のように、テレビの韓国ドラマで、毒の入った林檎を売るように水を売りさばくアンドロイドのお姫様が出てるドラマで韓国語のお勉強。
 そういえば、学校の教科書にだって、出てきてたわね。
 こんにちわ、こりあ。ありらんだむ。を教えてもらったって。
 学校の教師は、君が代を歌わない代わりにありらんだむをこどもたちに歌わせている。
 自分から、習いたいなら習いにいくのだけれどね。



 テレビだって、俺たちみたいに見たいものがないものにはどうでもいいかもしれないが、どうしてもみたいものがあるなら、どこにでも見に行けるという環境はある。
 選択の自由と言えるかどうかは知らないがね。

 しかし、選択の余地を与えられていないに等しい公の教育で、こどもに毎日のように刷り込む教育というのは、どうかと思うよ。