日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-04-06 00:51:11 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(356)

5.近代から現代へ(宗教改革とその後)

 さて、初代教会のオリゲネスが生まれた紀元185年頃、キリスト教はローマ帝国においては、まだ、ごく小さな勢力に過ぎなかったと一般にいわれている。従って、当時のだれもが、その後たった約150年経って、すなわちキリスト教が、313年、ローマ帝国に公認される宗教になっていると予想する人いなかった。ローマ帝国のキリスト教迫害が激しく、その勝利者は帝国側であることを疑う者は、その2~3世紀の社会的.動向の中ではほとんどいなかった。

さらには、前代未聞の驚愕的知らせが、帝国全土を駆け巡った大事件が起こった。(ここまで前回)四一〇年八月二十八日、「永遠の都(ローマ・アエテルナ)」と信じられていたローマ帝国は、こともあろうに、わずか数日で西ゴート族の軍勢によって攻略されてしまった。どうしてこのようにもろくも大帝国が崩壊したのか。多種多様な見解の一つであるが、それはローマ帝国がキリスト教を公認(313)してから始まったという。キリスト教公認によって皇帝礼拝の絶対性を切り崩し、国家内にキリストの神の礼拝をもたらした。暴力的迫害によって殉教したペトロやパウロや多くの殉教者たちを保護の下に置く政策をとった。しかし、それによって従来の国家の、法による軍の権威を内側から切り崩す結果になった。ゴート族のような殺戮、略奪や拉致や虐殺に対しての守りを怠ったといわれている。信仰理解の誤りと政治の失態に対する神の報いであったという。キリスト教内部の無力感と異教徒の批判に(つづく)


聖書研究

2016-04-06 00:41:44 | 大分中央ウィークリー

創世記22章20節である。「これらのことの後で、アブラハムに知らせが届いた。『ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルとの間に子供を産みました。~』」という。「知らせが届いた」というが、その「知らせ」がどこからなのかを不明である。恐らく、旅人か隊商から聞いたものであろう。「知らせ」は「ミルカも~子供を産みました。」であった。 

「ミルカもまた、」と。11章27~29節によると、「テラの系図はつぎのとおりである。テラにはアブラハム、ナホル、ハランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んだ。アブラムとナホルはそれぞれ妻をめとった。アブラハムの妻の名はサライ、ナホルの妻の名はミルカといった。ミルカはハランの娘である。」という。遠くカルデアの「知らせ」であった。 

21節である。「長男はウツ、その弟はブズ、次はアラムの父ケムエル、」という。この三人の名は、その後の五人との間にいくらかの区別があるように見える。その三番目が、「アラムの父ケムエル」と説明されている。10章22節に「セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャド、ルド、アラムであった。」となっていて、アラムの父はセムということになって、この節と一致しない。 

一般にアラム族はメソポタミヤと北部シリヤ地方に住み着いたセム族の主要な部族であるとするのが定説であるから、「父ケムエル」は何かの間違いか、「先祖ケムエル」と読みかえる人もいる。いずれにしても、アブラハムの兄弟ナホルとミルカとの間に生まれた三男「アラム」は、預言者ホセアの時代(前732)には「アラムの野」としての地域名に残っている。彼と彼の一族の働きが大きかったといえるであろう。


牧 会 通 信

2016-04-06 00:31:53 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その5)

◯それで師は言つた、「どれでもこれらの大木の一つの小枝を折り取るならば、そなたの考へもすつかり切落されるだらう。」

それでわたしが手を少し前へ差出して、大きな茨から小枝を摘取ると、その幹が叫んだ、「なぜわたしを折るのだ?」

それから吹き出る血でどす黒くなつたが、またかう言ひ出した、「なぜわたしを裂くのだ?まつたく憐みの心がないのか?(ここまで前回)

◯わたしらは人間だつたのだ、いまは茨の木にされているが、たとへわたしらが蛇の霊だとしても、もつと憐み深く取扱つて然るべきなのだ。」

生木が片端から燃やされると、他の端から樹液がジュージューしたたり、中から出る空気のためにプスプスいふものだが、

そのやうに折られた枝から同時に言葉と血が吹き出たので、わたしは小枝を落として恐れるもののやうに立ちすくんだ。(つづく)           

 

◯2016年4月3日は第十四主日、イースター後第一主日という。日聖協「聖書愛読こよみ」は「復活の信仰の成長」という主題である。Ⅰペトロ2章1~5節で、その2節、「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。」といいます。「生まれたばかりの」というのは、洗礼を受けて間もないキリスト者を想定している。ここで「霊の」とは、神の霊という意味でない。ロマ12章1節の「自分の体を~献げなさい」というような生活の方法の奨励である。

 ◯写真は、3月27日、イースター礼拝後後、上野ヶ丘墓地公園の教会墓地で、故益井宣夫兄と故益井美智子姉の遺骨埋葬式をご遺族益井一好御一家4人と共に行いました。