五、「教会とわたしたち」(356)
5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
さて、初代教会のオリゲネスが生まれた紀元185年頃、キリスト教はローマ帝国においては、まだ、ごく小さな勢力に過ぎなかったと一般にいわれている。従って、当時のだれもが、その後たった約150年経って、すなわちキリスト教が、313年、ローマ帝国に公認される宗教になっていると予想する人いなかった。ローマ帝国のキリスト教迫害が激しく、その勝利者は帝国側であることを疑う者は、その2~3世紀の社会的.動向の中ではほとんどいなかった。
さらには、前代未聞の驚愕的知らせが、帝国全土を駆け巡った大事件が起こった。(ここまで前回)四一〇年八月二十八日、「永遠の都(ローマ・アエテルナ)」と信じられていたローマ帝国は、こともあろうに、わずか数日で西ゴート族の軍勢によって攻略されてしまった。どうしてこのようにもろくも大帝国が崩壊したのか。多種多様な見解の一つであるが、それはローマ帝国がキリスト教を公認(313)してから始まったという。キリスト教公認によって皇帝礼拝の絶対性を切り崩し、国家内にキリストの神の礼拝をもたらした。暴力的迫害によって殉教したペトロやパウロや多くの殉教者たちを保護の下に置く政策をとった。しかし、それによって従来の国家の、法による軍の権威を内側から切り崩す結果になった。ゴート族のような殺戮、略奪や拉致や虐殺に対しての守りを怠ったといわれている。信仰理解の誤りと政治の失態に対する神の報いであったという。キリスト教内部の無力感と異教徒の批判に(つづく)