日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック 

2016-04-19 01:15:59 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(358)

5.近代から現代へ(宗教改革とその後)

信仰理解の誤りと政治の失態に対する神の報いであったという。キリスト教内部の無力感と異教徒の批判にキリスト教こそローマの国家の滅亡に責任があると、教養のある異教的な貴族たちが農民たちを扇動して非難した。このとき信頼の篤い友人の勧めを受けて立ち上がったのが、キリスト教の大思想家アウグスチヌス(354~430)であった。彼は先ず、キリスト教信徒に向かって語りかけた。キリスト教信仰のご利益に加担する誤った信仰姿勢を質すことからはじめた。彼は、もともとアフリカ人であり、新しい第二のローマ帝国の期待もギリシャ的神話も全面的に無視した。そしてキリスト教的なこの世の国をも全く考えもしない。

極め細かな答を彼のその(ここまで前回) 人生最後の作品「神の国」において語っている。その目的は、まずはローマ帝国の崩壊はキリスト教の責任ではないことを諄々と書き綴るところからはじめている。またキリスト教の後世に残して余りある基本的教理を語るのであった。落胆する多くのキリスト者を励ますために、彼をしてもっと大きな作品を出すように勧めたその友人は、カルタゴの護民官で公証人という公的地位を持つ人であったが、その名はマルセリヌスといった。その「神の国」の書出しは次のとおりである。「わたしの愛する子、マルセリヌスよ、この書においてわたしは神の国の輝かしい想念を陳述しようと企てた。そもそもこの国は二つの領域に属する。一つはこの世における人生の行路であって、そこではこの国は信仰に~(つづく)


聖書研究

2016-04-19 01:13:44 | 大分中央ウィークリー

創世記22章22~24節である。「それからケセド、ハゾ、ピルダッシュ、イドラフ、ベトエルです。」ベトエルはリベカの父となった。ミルカは、アブラハムの兄弟ナホルとの間にこれら八人の子供を産んだ。ナホルの側女で、シウマという女性もまた、テバ、ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。」という。ナホルとミルカとの間に生まれたのは八人の子供たちであった。さらにナホルのそばめレウマに四人の子供が産まれている。 

アブラハムの兄弟ナホルに八人と四人の合計十二人の子供が与えられたことが報告されている。「十二」はイシュマエルの子孫(25・16)、ヤコブの子孫(35・22)にも見られるように聖なる「数」であると共に諸部族の一集団の単位であった。またナホルの孫として「リベカ」(23節)の名だけが挙げられ、24章の予備知識を提供している。 

23章1節である。「サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。」という。アブラハムがサラより十歳年上であるから(17・17)、このとき百三十七歳であった。また息子のイサクはアブラハムの百歳のときに生まれたのであったから(21・5)イサクは三十七歳であった。 

最愛の妻というか、いろいろあったが、サラの忍耐を感謝するアブラハムの思いを記す意味で、恐らく、彼女の死のときを覚えて、その年齢を数えさせているのであろう。もう一つ、わざわざ歳を数えさせるのは、人はその「死」において、さすらいの人の成れの果を迎えるのではなく、さらに確固とした目標を目指していることを確認しているのである。その人の死においてこそ確かな永遠の資産の世継となっていることを現すのであった。彼女の百二十七年は世継と認定された記念の歳である。


牧 会 通 信

2016-04-19 01:08:21 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その7)

◯「傷つけられた霊よ、」とわたしの賢者が答へた。前にわたしの詩の中で見ただけのことを信じることができたら、このものはそなたに手を差伸べはしなかつただろう、

 だが語りはしたがわたしも信じられなかつたのでこのものに折取らせたのだが、わたし自身それを苦痛に思つてゐる。

だがそなたが誰だつたのかこのものに言ふがよい、せめてもの償ひにこのものが戻るのを許されてゐる上の世界で、そなたの名声を回復させてもらふやうに。」(ここまで前回)

◯すると幹は言つた、「そんなに優しい言葉で誘き寄せられると、わたしも黙つてはゐられぬ、餌に釣られてわたしが少し議論に溺れようとも、

煩わしいとは思つてくれるな。わたしはフェデリコ(ローマ皇帝第二世)の心の鍵を二つとも握つてゐたもので、実に巧妙(たくみ)にそれを回して閉ぢたり開(あ)けたりし、(つづく)           

 

◯2016年4月17日は第十六主日、イースター後第三主日という。日聖協「聖書愛読こよみ」は「証人として」という主題である。聖書は、ルカ4・14節「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。」という。イエスご自身も聖書の証人であられたなら、わたしたちも聖書の一人の証人である。 

◯写真は気象庁が「2016年熊本地震」と命名。熊本城にとって初体験、被害甚大、救援を祈る。