五、「教会とわたしたち」(396) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」から引用(その36)
(25.わたしたちは他の罪を犯すことによって、一つの罪を避けようとすべきではない。)
自殺が憎むべき行為であり、嫌うべき犯罪であるとすれば―事実その通りなのであるが―いったい愚かにもこう言う者はだれであろうか。「のちになって姦淫の罪を犯すことがないように、さあ人殺しをしようではないか」。もしも不義がかく
もはびこり、わたしたちが罪なきことよりも罪を選ぶことになるとしても、(前回はここまで)未来の不確かな姦淫の方が現在の不確かな殺人よりもましではあるまいか。悔悛の秘蹟によって赦される罪〔姦淫〕を犯す方が、救いに至る悔い改
めの余地のないような行為〔殺人や背教〕よりもまだましではあるまいか。わたしがこう言っているのは、男にせよ女にせよ、他人ではなく自分自身が罪を犯すことを避け、また他人の情欲の動きに屈服することを免れるためになら、自分の
命を無理に断っても差し支えないと考える人々に対してである。神に信頼を置き、堅い望みを神にかけ、その助けを得ようと努めるキリスト者に、どのようなものにせよ、肉の欲望に屈服するような恥ずべきことが断じて起こらないように。しか
し、わたしたちの死すべき肉体の中に巣食う不従順な情欲が、わたしたちの意志ではなくそれ自身の法則に従うとしても、決してそれに同意を与えなかった人の場合は、睡眠中にそのような情欲の動きを経験する人の場合ほどにも咎め(つ
づく)(教団出版「神の国」出村彰訳1968)