五、「教会とわたしたち」(398) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その38)
26.聖徒の中には違法行為を犯したものがあると言われている。その理由が何であったと信じたらよいのか。
兵士が合法的に立てられた上官の命令に従って人を殺した場合、いかなる国法に照らしても (前回はここまで) 殺人の罪ありとは見なされない。いな、もし彼がそうしなければ、叛逆と命令への不服従のかどによって有罪と宣せられるであ
ろう。しかし、もし彼が自分の意志で、自分の権能に基づいてそうするならば、彼は謀殺の罪に問われるであろう。それゆえに、命令されずに行えば処罰を蒙るその同じ行為も、命令された場合にこれを行わなければ、彼はかえって罰せられ
るであろう。司令官によって命令されたときでさえそうだとすれば、それが創造主御自身によって与えられた場合は、いかばかりであろうか。それゆえに、殺してはならないという誡命を知っている者も、ほかならぬ神がそれを命じられるとき
にはこれを行わなければならない。神の命令をないがしろにしてはならないからである。彼は留意しなければならないのは、神の命令が疑いの余地なく確かかどうかということである。
わたしたち相互の間の交わりを考えても、このような内的な知識に達するであろう。わたしたちはそれに関する情報を持たずしては、何事についても判断を下す権利を主張できない。「いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外
に、だれが知っていようか」(第一コリント二・二一)。(つづく)(「神の国」出村彰訳)