五、「教会とわたしたち」(400) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その40)
27.罪を避けるため自殺することは許され
るか
わたしが前に述べたように、人が自らの死を招来する方が有益に思われるただ一つの理由が残されている。(前回はここまで)
それは快楽の誘惑によるにせよ、責めさいなむ苦痛によるにせよ、自らが罪に陥るのを防止するためである。もしこれが自殺の
理由になるならば、最良の策は洗礼を受け、新生の洗いによって清められ、すべての罪の赦しを受けた直後に生命を断つこと
である、と結論せざるを得なくなるであろう。すべての過去が拭い去られたその時こそは、あらゆる将来の罪に対して予防策を講
ずる好機と言うべきである。
もしも自殺によって合法的にこれを果たしうるとしたならば、なぜこの時にしないのか。ひとたび洗礼を受けたそのときに、なぜ
人は自殺をはばかるのか。このように解放されておりながら、なぜ生きながらえ、再びこの世のもろもろの危険に陥るのか。自ら
の生命を断つことによって、これらすべてを避けることがたやすくできるというのに。「危険を愛する者は、その中に陥るであろう」
(シラクの知恵三・二六)と記されているではないか。なぜそのような多くの重大な危険を愛するのだろうか。あるいは、愛するとは
言わないまでも、少なくともこの世に留まることによって、それと直面する冒険をあえてするのか、正当にこの世に別れを告げる
こともできるというのに。
・・・だれかに~(つづく)(「神の国」出村彰訳)