民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「足し算か引き算か」 その7(最終回)

2014年09月17日 00時06分51秒 | 雑学知識
 中島敦と身体のふしぎ ネットより http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/nakajima.html

 「足し算か引き算か」 ―『名人伝』に見る教育 その7

 思うに、「引き算の修行」が目指すものというのは、このすべての意識がどこにも重心がかかることなく、完全にニュートラルな位置にある状態に、任意で入っていけるということではないのだろうか。そう考えていくと

 木偶のごとき顔は更に表情を失い、語ることも稀となり、ついには呼吸の有無さえ疑われるに至った。「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐である。

 という表現が非常に納得がいくのである。つまり、知覚のどこにも意識のウェイトがかからず、何かひとつに焦点化しているわけではない。「力」が身体のどこか一箇所にかかっているわけでもなく、どこかが緊張しているわけでもない。こういう身体が完全にニュートラルな状態のことを言っているのではないかと思うのだ。
 この状態に至って解き放つのが「フォース」なのか「不射之射」なのか、はたまた何も解き放たないのかもしれない。ともかく「名人」の境地というのはこういうものではないかと思うのである。

 こういう状態を「心身脱落」と呼んではダメかしら?