「わたしを見かけませんでしたか?」 コーリィ・フォード 浅倉 久志 訳 早川書房 1997年
訳者あとがき P-213
ホテルの入り口などにある回転ドアというやつは、なんとなく敬遠したくなるしろものです。わきでこっそり見物していると、たいていの人がそのそばにある自動ドアのほうを選択しているようですが、これは無意識の恐怖が働いているせいでしょうか。
なにしろ、自動ドアという便利なものができる以前には、こんな悲劇も生まれたらしいからです。
靴下を買おうとデパートの回転ドアへ思い切って飛び込んだ”わたし”は、おなじ仕切りのなかに先客がいるのを発見した。この老紳士、ドアをくぐったことはくぐったものの、外へ飛び出す勇気が出ないままに、先週からここでぐるぐるまわりつづけているという。ふたりでいっしょに飛び出しませんかと”わたし”が誘っても、老紳士は、いや、あなたは前途のある身だからわたしにおかまいなくどうぞ、慣れるとこの暮らしもそんなにわるいもんじゃないですよ、と固辞するばかり。もし妻に会ったらわたしが元気でいると伝えてください、という声を背後に聞きながら、”わたし”がようやく仕切りから脱出してみると、そこはもとの街路の側だった・・・・・。
井上一夫訳編の名アンソロジー『アメリカほら話』(ちくま文庫)に収録されているこの「回転ドア」という短編は、わずか10枚程度の長さの中に、奇抜な設定と誇張のおかしみ、そこはかとない哀愁までを詰め込んだ古典的名作です。1920年代の中ごろにこれを書いたのが、大学を出てまもない新進作家コーリィ・フォードでした。
第一次大戦後、アメリカが未曾有の好景気に湧き、その一方で禁酒法と婦人参政権という大きな社会変動を経験した狂乱の1920年代は、ギャング・エイジであり、ジャズ・エイジであると同時に、アメリカン・ユーモアの黄金時代で、映画や舞台に笑いの世界がひろがっただけでなく、この作品のような、カジュアルともユーモア・スケッチとも呼ばれる「小説とも随筆ともつかぬ、しかし、明らかに笑いを意識して書かれた短文」が全盛をきわめました。
以下略
訳者あとがき P-213
ホテルの入り口などにある回転ドアというやつは、なんとなく敬遠したくなるしろものです。わきでこっそり見物していると、たいていの人がそのそばにある自動ドアのほうを選択しているようですが、これは無意識の恐怖が働いているせいでしょうか。
なにしろ、自動ドアという便利なものができる以前には、こんな悲劇も生まれたらしいからです。
靴下を買おうとデパートの回転ドアへ思い切って飛び込んだ”わたし”は、おなじ仕切りのなかに先客がいるのを発見した。この老紳士、ドアをくぐったことはくぐったものの、外へ飛び出す勇気が出ないままに、先週からここでぐるぐるまわりつづけているという。ふたりでいっしょに飛び出しませんかと”わたし”が誘っても、老紳士は、いや、あなたは前途のある身だからわたしにおかまいなくどうぞ、慣れるとこの暮らしもそんなにわるいもんじゃないですよ、と固辞するばかり。もし妻に会ったらわたしが元気でいると伝えてください、という声を背後に聞きながら、”わたし”がようやく仕切りから脱出してみると、そこはもとの街路の側だった・・・・・。
井上一夫訳編の名アンソロジー『アメリカほら話』(ちくま文庫)に収録されているこの「回転ドア」という短編は、わずか10枚程度の長さの中に、奇抜な設定と誇張のおかしみ、そこはかとない哀愁までを詰め込んだ古典的名作です。1920年代の中ごろにこれを書いたのが、大学を出てまもない新進作家コーリィ・フォードでした。
第一次大戦後、アメリカが未曾有の好景気に湧き、その一方で禁酒法と婦人参政権という大きな社会変動を経験した狂乱の1920年代は、ギャング・エイジであり、ジャズ・エイジであると同時に、アメリカン・ユーモアの黄金時代で、映画や舞台に笑いの世界がひろがっただけでなく、この作品のような、カジュアルともユーモア・スケッチとも呼ばれる「小説とも随筆ともつかぬ、しかし、明らかに笑いを意識して書かれた短文」が全盛をきわめました。
以下略