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「逸脱の骨太な学究の実像」 野本 寛一

2014年03月19日 00時29分47秒 | 民話の背景(民俗)
 「宮本常一」 岩田 重則 著 河出書房新社   下野新聞 書評 2013年10月13日(日)

 「逸脱の骨太な学究の実像」 野本 寛一(近畿大学名誉教授)

 本書は宮本常一(つねいち)の実像を描き出すことに成功した本格的な評伝である。
サブタイトルに「逸脱の民俗学者」とある。
いったい宮本は何から逸脱したというのか・・・。

 調査項目に縛られた「民族誌」ではなく、自らの生活体験の延長線上にある「生活誌」を宮本は重視した。
地域社会から民俗学的事象だけを切り取って整理する流れに対して承服しなかった。
ここに柳田国男の民俗学からの逸脱があると本書はみる。
 また、民具を生活の場から抽出し、社会的・生活的要素との有機的関連を切り離して資料化した
渋沢敬三系の民具学からの逸脱も指摘する。

 中略

 逸脱を重ねた宮本の軌跡はいかなるもので、どこに到達したのか。
著者は宮本を、聞き書きや文献調査にとどまらず、社会経済史なども踏まえた「総合社会史学」を
完成させた「創造的人文科学者」と見定めている。

 宮本は、長く、深い旅を続けた。
そこからさまざまな伝承や人物像が流布している。
対して、著者は骨太な学究としての実像を浮き彫りにした。

 それができた背景には、著者の粘り強い探求と、ぶれない軸で、関連文献はもとより、
宮本の書き残した文章を細大漏らさず徹底的に分析したことがある。
そして著者自身の近現代史研究・民俗学研究の蓄積が底に流れている。
生活者のまなざしを大切にした宮本の思考こそ、混迷を深めるこの国の現況に必要だと考えさせる一冊だ。

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4 コメント

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宮本先生 (cocoyo)
2014-03-19 21:47:13
ちょっと難しいお話しでした^^

昔々大学で、宮本先生の講義を受けました。
著名な先生だったとは露知らず。

20歳の小娘だった私は、神奈川の山村の農家を一人で訪ねて、民具を見せていただき、お話しを伺って、夏休みのレポートを書きました。

経験を重ねた年齢だったら、もっと多くの事を学びとれたでしょうに、もったいない事をしたなぁと、遠い昔を振り返りましたよ。
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RE宮本先生 (akira)
2014-03-20 00:49:19
 宮本先生に教わったことがあるなんてすごいですね。

 わたしは民話を勉強していて民俗に興味をもち、
宮本さんに出会いました。
学術的な感じがなくて生身の人間を感じました。
研究室にこもっていないで、歩き回って現実をその目で見た自信なんでしょうね。

 cocoyoさんのブログで日本民藝館のことを書いてあるのを読んで、「あれっ、こんなことに興味があるんだ」って思っていたけれど、
学生のとき、そんな経験があったのですね。
(それで絵をやってるわけもわかったけれど)

 益子焼に興味があるのもその延長なのかしら。
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人の営み (cocoyo)
2014-03-20 11:07:03
akiraさんのブログで、あの頃の記憶が蘇ってきました。
宮本先生の初めての講義の日、各地から集まっている学生に、「出身地の祭りの事を、どんなに小さな祭りでもいいから書いてほしい」と白紙の紙を配られました。
生活者のまなざしの掘り起こしですね。

ずっと以前から人の営みに美しさや尊さを感じていたところ、民芸運動を知って興味を持ちました。
生活の為に手作りしたものって美しいですね。
でもまだまだ美しさを見極める目には自信が持てませんが…

そんなわけで、自然と人が溶けあって生活している山里が大好きです。
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RE人の営み (akira)
2014-03-20 12:36:30
 >自然と人が溶けあって生活している山里が大好きです。

 わたしは町育ちなので、田舎の風習とか知らなくて、
民話をやるのに苦労しています。
 そんなこともあって、去年、市民講座で「里山の暮らし」
というのがあったので受講しました。
 館外学習で茂木(知っているかな)の里山に行って
棚田を見たりして、
あぁ、これが日本の原風景なんだなぁ、
って思いを新たにしました。
 でも、こういうことって年をとってみないとわからないですね。

 >生活の為に手作りしたものって美しいですね。

 益子焼に興味があるのは絵からじゃなく、
民芸からだったんですね。
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