民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「朝の鏡」 斉藤 隆介

2012年10月05日 11時14分43秒 | 民話(語り)について
 朝の鏡---或いは浦島太郎発見---エッセイ 斉藤隆介 1968年 斉藤隆介全集 第四巻 岩崎書店 

ある朝ひげを剃っていて、私は愕然とした。鬢がまっ白なのである。仔細に見れば顎にざらつく短いひげの中にも白いやつがある。まぎれもない老人の顔である。
 にも拘らず、キョロリと鏡を覗き込んでいる目の幼さはどうか。できていない、未熟な人間の表情である。
けれども稚(おさ)ない好奇心に溢れた新鮮さもないではない。
 そこにあるのは老人の顔と幼児の心。「満五十才」というものであった。少年あるいは青年の時、五十男たちを見て「あいつもあれだけか」と判定し、それら評価の定まった「老人」は員数外にして事を考えた。
 しかしいま私は私を員数外にして事を考えられるのは不服である。自分で自分をそうはできない。なぜなら私は幼児の未熟さを残しているからである。ある時ある事に関しては青年や少年よりも未熟であり、若い。 肉体に新鮮に訪れた老いと、奥に未熟を自覚させられる魂の若さ、或いは稚(おさ)なさ。このふたつの間にひき裂かれるのが「老年」というものの真実の姿なのであろう。
 私はハタと「分かった!「浦島太郎」はこうしてできた!」と思った。

 二
 「太郎」の作者は、住ノ江の浦で子供が亀をいじめている所から話を始めたのではない。
 ある朝、鏡を見て、ハッとわれとわが白髪に驚いた所から話は始まったのだ。「心幼く 頭に白髪」の驚きを正当化するにはパッと白けむりがどうしても必要であり、白けむりは玉手箱にはいっておらねばならず、玉手箱は竜宮の物であらねばならぬ。
 話はこうして逆にできていった。語り手も、作者と同じ驚きと不納得をわが白髪に感じているから炉ばたの孫に力をこめて語ったろう。こうして「太郎」は千年を生きた。
 鶴女房、ものぐさ太郎、カチカチ山、民話・伝説・お伽噺の、命の長いすぐれたものは皆このようにして生まれたものだろうと私は思う。おとながハッと驚き、作らねばならず、語らねばならなかったのである。

 三
 はじめに子供なんぞ、居はしなかった。
 わが魂を震撼した事を独白し、やがてわが愛する身辺のものに、分かってもらおうと力をこめて語ったのである。
 「よい子」にもみ手をして猫なで声で語りかける「童話作家」は逆立ちしていると私は思う。まずもっと自分に聞き、自分に語り、自分に書け。もみ手も作り笑いも猫なで声も不要である。それをやめる事を決心した時にこそ、千年生きる「はなし」の誕生の母胎だけはできたのだ。
 千年生きるかどうかは、その作家の生き方の、志の深浅による。おのれの五体を震撼させる共感を感ぜずに「民話」を「再話」あるいは「創作」している現代の「民話作家」も、そんなものは「再話」でも「創作」でもないのだから、おやめになったほうがよかろう。
 多少、似たげな擬音や方言などを挿入し、おもしろげな筋立てに寄っかかっても、かなしや真紅の命の露でふくらんでいないのだから、自分にもひとにも屁の突ッ張りにもならない。孫に語る老人の真実感と愛情と訴えかけに学ぶがいい。

 四
 「児童文学」の書き手、「民話」の書き手は、言葉の真実と最高の意味で「詩人」でなくてはならない。
 そんな「詩人」が居るか?居る。宮沢賢治。賢治は「子供のため」なんぞに書いていない。必死になって汗を垂らしておのれのため、或いは「私」のために書いた。だから子供のためにも書いたことになるのだ。
 賢治の童話はおとなにだってむずかしい。だから子供にもわかるのだ。子供にこそ分かるのだ。子供にこそ分かると言ってもいい。
 私は「五十才の子供」の顔を、朝の鏡に発見した。ご大層な、エラそうなご託を並べて、「おまえの書いたものは?」と言われると、恥ずかしいが、少なくともそういう姿勢で書いていこうと、私は決心している。
 「民話と児童文学」を書くときの実作体験を書けというご注文に、私は民話も児童文学も書いている覚えはないのでこの一文で釈明した。
 それなら何を書いているかと問われれば「詩を書いているつもりだ」と答えたい。どんな詩か、と問われるなら「<八郎>と<三コ>」とお答えするしかない。まだまだ拙い「詩」である。しかしいつかは賢治の「グスコーブドリの伝記」のようなすばらしい詩を書くつもりだ。方法はこの道筋で良い筈なのだから。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。