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「八郎の方法」 斎藤 隆介 

2012年11月01日 00時07分52秒 | 民話(語り)について
 「八郎の方法」 斎藤 隆介  斎藤隆介全集 第一巻

 「八郎」は二十年前に書かれた。
発表されたのは「人民文学」というおとなの雑誌である。
 文体は全編秋田弁のナレーションで、内容は八郎潟の形成由来、伝来の形成民話はほかにあり、
私のは全くの創作であった。
 形を民話ふうにしたので、はじめ秋田民話の再話と誤認された。
 原話があるのにこういう創作をするのはけしからんと叱る人もあり、
東京生まれの私がわざわざ秋田弁で書いたのに、また「標準語」に直して教科書にのせた人もあった。
 いずれも賛成しかねる。

 伝承民話は、いま伝承されている形を出来るだけ忠実に、正確に記録し保存されなければならぬ。
それは大切な仕事だが、私の仕事ではない。
 伝承民話を踏まえて、それに重なり、作家の個性を通じて向こう側へ通過し、
新しいものをつけ加える再話の仕事も大切だ。
しかし、それも私の主たる仕事ではない。

 私の仕事は創作民話だ。
 「創作民話」とは耳に熟さない言葉だが、
今はこの言葉を使うしかその作家の姿勢を表明出来ないので意識的に使われはじめたのだと思う。
 面倒な学問的規定もあろうが、私は、「民話」とは、民衆が作り伝えて来た話、と考えて用を足している。

 戦後に、「民話」ブーム」が起こったのは、民主主義、主権在民などという言葉が大きく叫ばれ、
憲法にまで明記された社会情勢から生まれたものだ。
 異民族の占領下に置かれた民族の独立を思う心も無関係ではあるまい。
 開闢依頼、法的にも初めて人民自身が、自身の運命をきりひらいてゆかねばならぬ権利と自覚を持った時、われわれの祖先はどう暮らしどう生き、何を感じ何を考えていたかを、
その伝承の話に探ろうとしたのは当然のことであろう。
 これは、民話を趣味的民芸品あつかいや、ゲテ物として珍重する態度や、
封建日本を恋うるアナクロニズムとは正反対のみずみずしいものだ。

 だから私のいう「創作民話」は、伝承民話の豊かさと力を受け継ぎながら、
それを超える積極的で意思的な姿勢をはっきり持たねばならぬと考えている。
 従来の社会を変革して、人民のための社会を建設しようとする意欲を持たねばならない。
そのたたかいに参加する中で自己の変革もやり遂げてゆくのだ。

 社会変革の中での自己変革-----。
これが自分の「創作民話」に課している私の中心課題だ。
 革命的ロマンチシズムの追求と言ってもいい。
「八郎」はその第一作であった。
 この文学的追求をクッキリと原点で行おうと思った時、私は童話の世界へ来た。

 日本には、まだ真に「国民文学」と呼べるような作品が無いのではないか。
作ってゆかねばならぬのではないか。
 ロマンチシズムの要素を欠いて、特に現代で革命的ロマンチシズムの要素を欠いて、
これからの国民文学と呼べるようなものが完成されようとは思われない。

 その時われわれのいる童話のジャンルの意味は大きい。
 「メルヘン」といい、「民話」といい、もと、子どものものであると共におとなのものでもあった。
 敗戦の大変動から四半世紀を経た七十年代というこの激動の時に、
どの方向をめざしてどう生きるべきかを、新しい民話として創り出してゆきたい。

 併せて、「方言」の問題も考えざるを得ない。
共通語の役割を不充分に果たしながら、標準道徳を流しこむ道具にもされている「標準語」が、
国民の九割が生活の中で日常使用している地域語を蔑視しているのは不当だ。

 地域語が尊重され、そこから出発してやがて真に美しい日本共通語の完成することが願われる。
 「八郎」が全編秋田弁で書かれているのは、秋田弁の豊かさと詩情にひかれ、
そのおのずとにじみ出る生活感にひかれたものだが、以上のような願いも含まれていたのであった。

 

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