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「アレクサンダー・テクニーク」 小野 ひとみ 

2015年01月23日 01時59分04秒 | 雑学知識
 「アレクサンダー・テクニーク」  小野 ひとみ 著  春秋社  2007年

 「レッスンを始めるまえに」 P-2

 アレクサンダー・テクニークは、体操法でもなく、何かの健康法でもなく、リラクゼーションや瞑想法のたぐいでもありません。
 人が何かをしたいと思ったときに、自分自身を最良の形で使いこなして、やりたいことを実現できる、心身の基本的なコントロール法です。

 私たちの意識(マインド)や身体(ボディ)は、自分自身で知らず知らずのうちに身につけてきた習慣的な動きや、社会や文化の制約にしばられて、本当にやりたいことを見失い、自然で効率的な動きができなくなっているのです。
 アレクサンダー・テクニークは、そんな自分の心身の状況に気づき、改善していくための一つの有効な術(すべ)となるでしょう。

 「ヘンな生き物?」 P-14

 私たちは感覚を五つも持っています。
 視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の五感ですが(実際は<筋感覚>を加えて六感)、私たちは実際にはそういった感覚を十分に使っていない、意識下にはおいていないのです。

 私たち人間というのは、まことに自分勝手な生き物で、自分が気にしたい時に、気にしたいことを気にして生きている生き物と言えるかもしれません。
 肩が凝っているとか、腰が痛いということは、その時になって急に起こることではなく、実際にはずっと前から凝っていたり、何かしらの症状があるはずなのですが、ほかに意識が行っているときには、症状としては実際にあるものでも見過ごしてしまっているのです。

 ハッと気がついたら仕事が立て込んで時間ぎりぎりになっていて、「大変!」と思ってフル回転でいろいろやりはじめると、思うようにいかなくて、初めて身体にも意識がいく。
 それで「あ、肩が凝ってる」と気づく。
 そんなことも多くの人が経験していることではないでしょうか。

 そして、身体としては決して居心地が良いわけではないのに、頭の中で漠然とイメージしている「良い姿勢」に無理に合わせてしまう。
 それで窮屈になっている自分に気がつかない。
 それも不思議なことです。
 私たちは、ボディ(身体)の感覚でいろいろなものが捉えられなくなっていて、マインド(理性と感情)の部分だけで上滑りしてしまって生きているとも言えるかもしれません。

 自然治癒力という言葉がありますが、自然体で生きていれば、少しでも身体に変調があって、「ヘンだな?」ということを感覚で捉えられさえすれば、すぐにそれを直そうとする本能的なシステムが働くはずです。
 でも、現代社会に生きる私たちは、そういったわずかなアラーム、異状を知らせるサインに気がつかなくなっていて、本格的に病気になるとか、大きなケガをするといった、最終的なアラームを受けとって初めて自分の身体の異常に気がつく。
 そんなふうに、生き物としてはかなりヘンな無頓着さで日常を生きていると言えるでしょう。

 「ボディとマインドの乖離」 P-17

 アレクサンダー・テクニークが究極の目的として目指しているのは、このようなボディとマインドの乖離をなくすことです。
 そして、人間が本来もっている感覚を取り戻して、自分が本当に「やりたい」と思ったことに対して、本来の能力を適切に発揮できることを目的にしているのです。

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