民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

森繁久彌「向田邦子」を語る その2

2017年04月02日 00時37分58秒 | 人の紹介(こんな人がいる)
 森繁久彌「向田邦子」を語る その2

 五分間のラジオ番組というものは、キャラクターがはっっきりしていないと良くない。そこから、ある種の『マンネリの魅力』が発生しそれが聴く側を安心させ、固定客を掴むことにつながるのだというのが向田さんの持論なんだな。
 もうひとつ、持論があって、台本作家コールガール論。彼女曰く「電話一本で呼び出されて、ハイハイと注文先のテレビ局に駆けつけ、自分をさらけ出す台本を書く。失業して病気になっても何の保証もない。声が掛かるうちが花なのよ」と・・・

 後年、彼女が手がけた「だいこんの花」というテレビ番組でも、「マンネリでいいの」が口癖でしたなあ。お茶の間の皆さんが途中トイレにたって戻ってきて、「ああ、やっぱりこうなってたか」と納得するのがベストなんだという主義だった。
 それでも私は遠慮なく、万年筆で台本に手を入れました。バー・エスポアールとあったら、バー・ベロベロバアといった具合に、すると、
「余分なアドリブは入れないで。私の書いたとおりにしゃべって頂戴よ」
 と叱られる。

 先月(昭和63年10月)、東京宝塚劇場での「夢見通りの人々」でも、
(ここで最後に、もうひと笑い欲しいな)
 と思うと、私は白楽天とか李白、杜甫の詩を昔、習ってましたいい加減な支那語で適当にアドリブを入れます。観客席はワァと沸く。もちろん、宮本輝さんの原作にそんな台詞はありゃしません。この場でダダーンと強烈なクレッシェンドが欲しいと感じたら本能的に演じてしまうんですね。

 だから、今でも向田さんは「森繁さん、不真面目ひどい」と随分、恨んでいるかもしれません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。