「文章読本 X」 その1 小谷野 敦 中央公論新社 2016年
「はじめに」 P-7
私は『文章読本』を書こうとしているのだが、現代においてこれは蛮勇を要することである。だいたい、私は名文家ではない。むしろ悪文と言われることが多い。だが、ここでは、名文を書く方法について記そうとしているのではない。むしろ、伝えるべきことを正しく伝えようとすると、悪文になりやすい、ということを言い、そのような悪文を勧めようとしているのである。正しく伝えて、なお名文、というのも、可能性としてないではない。だが、一般の人がそんな高度な文章力を身につけられるはずがないのであって、一般の人は、内容が曖昧模糊な名文よりも、内容的には正確な悪文を書くべきだ、と言おうとしているのである。
以下略
「はじめに」 P-7
私は『文章読本』を書こうとしているのだが、現代においてこれは蛮勇を要することである。だいたい、私は名文家ではない。むしろ悪文と言われることが多い。だが、ここでは、名文を書く方法について記そうとしているのではない。むしろ、伝えるべきことを正しく伝えようとすると、悪文になりやすい、ということを言い、そのような悪文を勧めようとしているのである。正しく伝えて、なお名文、というのも、可能性としてないではない。だが、一般の人がそんな高度な文章力を身につけられるはずがないのであって、一般の人は、内容が曖昧模糊な名文よりも、内容的には正確な悪文を書くべきだ、と言おうとしているのである。
以下略