「宮本常一」 逸脱の民俗学者 岩田 重則 著
「生活を記す学問の可能性」 安藤礼二(文芸評論家)
本書は、近年再評価が著しい宮本常一の生涯と思想を、貴重な第一次資料に基づきながら概説し、
現在でも色褪(いろあ)せないその可能性を浮き彫りにした労作である。
著者は言う。クロポトキンの『相互扶助論』を読むことから始まった宮本の学問は、
柳田國男の民俗学からも渋沢敬三の民具学からも「逸脱」していた。
「逸脱」はプラスの意味を持っている。
宮本は、客観性を条件とする通常の学問では許されない主観的な記述を決して排除することなく、
人々の「生活誌」を描き続けた。
宮本は常に「私」から語った。
だからこそ、宮本は繰り返し「故郷」周防大島に還(かえ)っていったのである。
そこには学問の抽象化と体系化に抗(あらが)う人々の生活があった。
無数の島々からなる列島に移り住んだ人々は海と山を生活の場とし、
自然の資源を有機的に活用することで生活を成り立たせていた。
「定着」以前に「漂泊」があり、「稲作」以前に「畑作」があり、漁撈(ぎょろう)と狩猟があった。「民具」はそうした生活全体の中から捉え直される必要がある。
宮本は、柳田民俗学と渋沢民具学を内側から食い破ってしまったのだ。
「生活誌」を根幹に据えた宮本の学問を、著者は複眼的な視点からなる「総合社会史」とし、
こう記す。
「総合社会史としての畑作農耕文化の把握は、
たとえば、柳田國男がそうであったような稲作単一農耕文化論の日本文化論に対して、
狩猟・畑作農耕文化を対照的に示すとともに、
さらには、農業以外の漂泊民文化、漁業文化をも提示することにより、
複合文化論(多元的文化論)としての日本文化論をおのずと提出することにもなっていく」
もちろんその過程で、戦争中の宮本の発言が「大日本帝国」を根底から支えた
「根深い次元からの保守主義」に基づいていることを著者は見逃していない。
農村の現実と直結した独自の保守思想を徹底することが戦後の創造的な見解につながっていった。
歴史の暗部をも見据えたフェアな評伝である。
「生活を記す学問の可能性」 安藤礼二(文芸評論家)
本書は、近年再評価が著しい宮本常一の生涯と思想を、貴重な第一次資料に基づきながら概説し、
現在でも色褪(いろあ)せないその可能性を浮き彫りにした労作である。
著者は言う。クロポトキンの『相互扶助論』を読むことから始まった宮本の学問は、
柳田國男の民俗学からも渋沢敬三の民具学からも「逸脱」していた。
「逸脱」はプラスの意味を持っている。
宮本は、客観性を条件とする通常の学問では許されない主観的な記述を決して排除することなく、
人々の「生活誌」を描き続けた。
宮本は常に「私」から語った。
だからこそ、宮本は繰り返し「故郷」周防大島に還(かえ)っていったのである。
そこには学問の抽象化と体系化に抗(あらが)う人々の生活があった。
無数の島々からなる列島に移り住んだ人々は海と山を生活の場とし、
自然の資源を有機的に活用することで生活を成り立たせていた。
「定着」以前に「漂泊」があり、「稲作」以前に「畑作」があり、漁撈(ぎょろう)と狩猟があった。「民具」はそうした生活全体の中から捉え直される必要がある。
宮本は、柳田民俗学と渋沢民具学を内側から食い破ってしまったのだ。
「生活誌」を根幹に据えた宮本の学問を、著者は複眼的な視点からなる「総合社会史」とし、
こう記す。
「総合社会史としての畑作農耕文化の把握は、
たとえば、柳田國男がそうであったような稲作単一農耕文化論の日本文化論に対して、
狩猟・畑作農耕文化を対照的に示すとともに、
さらには、農業以外の漂泊民文化、漁業文化をも提示することにより、
複合文化論(多元的文化論)としての日本文化論をおのずと提出することにもなっていく」
もちろんその過程で、戦争中の宮本の発言が「大日本帝国」を根底から支えた
「根深い次元からの保守主義」に基づいていることを著者は見逃していない。
農村の現実と直結した独自の保守思想を徹底することが戦後の創造的な見解につながっていった。
歴史の暗部をも見据えたフェアな評伝である。
あれっ、知らなかったのか。
わたしは隠してないし、てっきり知っているもんだと思っていました。
どれくらい上かはそのうちわかるでしょう、お楽しみに(笑)
「たろうのおでかけ」紹介ありがとう。
さっそく、図書館に予約入れました。
同じくらいだと勝手に思い込んでおり
仲間意識をもって、かなりカジュアルなコメントを書いていました・・・
となると、PAPA'Sはカジュアルすぎましたね。(ノリに近いので)
たまには砕けたのもいいかなぁと思って紹介したのですが、年上なら若い人が思いつきでやっている印象ですね(^_^;)
この間akiraさんに紹介してもらった目録を時々読んでいるのですが(まだ図書館で借りたままです)、
あまり書店に並ばないような本がたくさん載っているので
東京こども図書館の方々は、いろいろな絵本に触れているのだなと改めて思いました。
そうそう、この間『ぐるんぱのようちえん』の絵を描いている、堀内誠一さんの(この絵本でも絵を担当している)『たろうのおでかけ』という絵本を読んだのですが
これなんか学童でもいいなと思いました。
少し子供っぽい感じがしますが、最後の文章は解放的でいいなと思いましたよ。
伝統を守ろうとするものと伝統を破ろうとするもの。
若いときは伝統なんて古臭いと思うものだけど、
年をとってくると伝統のよさがわかってくる。
>教員の立場とボラの立場では
絵本に対しての温度差がかなりあると感じました。
MAYUさんが温度差を感じているというのは、
自分の考えと相手の考えが違うということですよね。
でも、どちらが正しいかは誰にもわからない。
今は自分の感覚を信じて、
自分のいいと思う方向に進むしかないんでしょうね。
考えの違う人は「あんな風にはなりたくない」と、
反面教師にすればいいんです。
なんだか偉そうなこと言ってるけど、
私の方がだいぶ年上なんで許してね。
そういえば、私が尊敬している読み聞かせやおはなし関係の方たちは、みなさん在野です。
少し話が変わりますが、某研究会に参加したとき、教員の立場とボラの立場では
絵本に対しての温度差がかなりあると感じました。
教員の立場の方と話すと、ちょっと抵抗があって・・・
「教員は人から尊敬される立場にある」「ボラとは別」
と、どこか自分は偉いという意識が強い人が多い感じがするんです。
プライドが高いというか・・・
もちろん全員がそうというわけではないのですが。
私が在野寄りだから、違和感を感じたのかもしれません。
akiraさん、自分の立ち位置や、のちにどんな立場になりたいか
考えるいいきっかけになりました。
こちらこそありがとうございます(笑)
ブログやってって意味があるというもんです。
わたしは、自分がそうだから「在野の研究者」が好きなんです。
宮本さんは大学の教授だから「在野」とは言えないけど、
わたしは宮本さんは「在野」なんじゃないかと思っています。
視線が上から目線ではなく、一般人と同じ目線で見ているような親しみを感じます。
>グリムは残酷な表現が出てくるので
残酷なシーンについてはいろいろな意見がありますね。
さるかに合戦のサルが殺されるのは可哀そうとか、
牛方山姥で馬が殺されるのは残酷だとか。
わたしはずっと伝わってきたハナシはそのまま伝えるという立場をとります。
サルは殺されなきゃならないと。
でも、世の中には可哀そうだからといってサルを殺さなかったりする人がいますね。
そういう人には何をいってもダメなような気がしています。
在野(民間)と研究室(官界)の意見がかみあわないのと一緒ではないかと。
>現場を知らない人の言うことと、現場を知る人の言うことは、温度差があるというか・・・
現場主義は「在野」といえるかな。
現場主義の反対が何かわからないけど、仮に机上主義とすれば、
現場主義の人と机上主義の人は(絶対に、永久に)かみあわないと思ってる。
いい、悪いではなく、たぶん、立ち位置とかの違いですね。
おっ、いろんなことが整理できた。サンキュウ(笑)
「主観的な記述」というのが気になったので・・・
児童文学研究でいうなら、石井桃子とか松岡享子のように、子ども達を前におはなしを語ってきた人は
子ども達の反応などをとても大切にしていますよね。
グリムは残酷な表現が出てくるので、映像の影響を受けている現代っ子に語ることは、躊躇してしまうという声がある一方
松岡さんは、子ども達は残酷なシーンを引きずっていないとおっしゃっていたと聞きました。(聞いた話ですみません)
現場を知らない人の言うことと、現場を知る人の言うことは、温度差があるというか・・・
けれど、私だったらやっぱり現場を知っている人の方が説得力があるなと感じます。
松岡さんのおはなしについての関係の本なんかを読んでいると
とても現場の感覚を大切にされている。
そんなわけで、先日akiraさんが掃海してくださった目録の選書は、文庫の現場をよく知っている方たちの選書なのでとても興味深いです。
こんな絵本が喜ばれるの?と思いがちな絵本が
子ども達には大人気だったりするので・・・
世間はこういった現場で活躍している人の評価は低く
客観的に論じている人への評価が高くなりがちですが
現場の感覚こそ、もっと高く評価されていいと思います。
宮本常一のことから少しそれてしまいましたが
歴史から学ぶことや現場を知ることの重要性があるなと、読み聞かせ関係をしているとつくづく思います。
私が文学研究と距離を置いているのは
文学研究は現場よりも作品分析に力を入れがちなので
もっと子ども達と一緒に楽しむ読み聞かせの方に
重点をおいて作品を楽しんでいきたいと思います。
楽しいだけじゃだめだと言いますが、「楽しい」という感覚はとても大切だと思うので・・・