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「声が生まれる」 話すことへ その3 竹内 敏晴

2016年12月21日 00時06分32秒 | 朗読・発声
 「声が生まれる」聞く力・話す力  竹内 敏晴  中公新書  2007年

 話すことへ――つかまり立ち その3 P-28

 息を吐かない人々②――若い女性たちのからだと声

 20代から30代前半にかけての若い女性の中には、人と向かいあうと声が出ない、うまく話せない、と訴える人が少なくない。相手のことばを聞き取るにも余裕がない、怖いのです、と言う。

 レッスンの場でその人たちに会ってみると、その姿勢の特徴の一つは、床に座る時はほとんどが三角座りすることだ。今から10数年前の大学生たちがその頂点だったと思うが、レッスンの場(教室)に入ったとたんわたしは棒立ちになったことがある。ほとんど全員がピタッと壁にくっついて両膝を抱えこみ、長い髪をぱらりと前に垂らしてまるで顔を見せず、俯向いたまま小首を傾けて小指で前髪を横にずらすとその陰からちらと斜めにこちらを見る。動こうとする気配も見せない。問いかけに答えて声を出すと、かぼそくカン高く頭のてっぺんから洩れてくるような声だ。

 (中略)

 膝をそろえて抱え込んだまま息を入れてみれば、腹部は圧迫されて動かせないから、息は胸郭だけを持ち上げてしなければならない。かぼそい息しか入ってこない。三角座りとは、手も足も出せず息さえひそめていなくてはならない。即ちあらゆる表現の可能性を封じ込めてしまう姿勢なのだ。これを無自覚に子どもたちに強制しているのが日本の公立学校教育の、公式に議論されることのない、学童のからだ操作の基盤になっている。

 幼稚園から数えれば15年ばかりもこの姿勢に馴染んだ若い人たち、特に女性には、こうしているのがいちばん落ち着くのですという人が少なくない。このまま立てば、話す時もおなかはペコン。胸は落ち込み背は曲がりっぱなしで、息が出入りしているとも見えない(もちろんこれは、勤める企業の上下関係における礼儀作法に始まる、さまざまな社会慣習に対するかの女の順応全体の姿なのだが、三角座りがその基盤をなしている有様はまざまざと見て取れると思う)

 まずは座り方から気づいてみよう。あぐらか正座(ただし古来の定法のように両膝の間をこぶし一つ空けて)をし、お臍の下に手を当ててぐいと押し、そこに力を入れて固くしてみる。そこをふくらませるように息を入れて、吐く。奥歯をひろげ前歯を開けて、息が、前に立つわたしまでとどくように。これがわたしの行う、息の勢いを取りもどす第一歩だ。

 竹内敏晴 1925年(大正14年)、東京に生まれる。東京大学文学部卒業。演出家。劇団ぶどうの会、代々木小劇場を経て、1972年竹内演劇研究所を開設。教育に携わる一方、「からだとことばのレッスン」(竹内レッスン)にもとづく演劇創造、人間関係の気づきと変容、障害者教育に打ち込む。

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