民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「花咲き山」 斎藤 隆介 リメイク 2

2012年10月17日 00時49分00秒 | 民話(リメイク by akira)
 「花咲き山」 斉藤隆介  リメイクby akira

 今日は「花咲き山」って、ハナシ やっか。
(花が咲く山 って、書いて、花咲き山だ。)

 おれが ちっちゃい頃、ばあちゃんから 聞いた ハナシだ。

 このハナシには あや っていう子が 出てくる。
おれは このハナシ、イヤっていうほど 聞かされたが、
(ばあちゃん、このハナシが 好きだったからな)
このハナシを聞くたび、この あや って子は ばあちゃんの ことじゃねぇか と思って 聞いてた。

 一度 ばあちゃんに 聞いてみたことがある。
「この あや って子は ばあちゃんの ことじゃねぇのけ?」
ばあちゃん、笑ったきり 答えて くんなかった。

 むかしの ことだそうだ。

 ある 山のふもとに あや っていう子が いたと。

 ある日(のこと)、あやは、おかぁに頼まれて、ワラビを取りに 山に 行ったと。
ところが、夢中になって ワラビをさがしてるうち、いつのまにか 迷子に なっちまったと。
あっちこっち、うろうろしていると、いい 花の香りが してくる 山を 見つけたと。
誘われるように 山に入って行くと、色とりどりの きれいな花が 一面に 咲いているところに 出たと。

 あやが 花に夢中になっていると、後ろから、声が したと。
ふり返ってみると、まっ白の髪を 腰まで伸ばした ばさまが 杖をついて 立っていたと。

 「やまんば!?」・・・あやが 立ちすくんでいると、
「こわがらなくてもいい。おめぇに 話したいことがある。・・・まぁ、そこにすわれ。」
あやが 言われるままに すわると、ばさまも 一緒に すわって、やがて 話し 始めたと。

 「わしは この山に 住む 婆(ばば)だ。(以下 やまんばの独白)
わしのことを やまんば と言って こわがるヤツもいる。
だが、わしは 人が こわがるようなことを したことは ねえ。

 臆病なヤツが 山ん中で わしに出会うと、こわがって 逃げようとする。
まるで 化けモンにでも 出会った ようにな。
 あわてて 逃げっから、転んで 怪我をしたり、中には 崖から 落ちるヤツもいる。
 人は みんな それを、わしの せいに する。
 困ったもんだ。
 
 あや、おめぇは やさしい子だから、わしのこと ちっとも こわく なかんべ。
 なんで おらの名前 知ってんだべ って、顔 してんな。
 わしは なんでも 知っている。
おめぇの 名前も、・・・おめぇが、どうして、この山に 来たのかもな。
おかぁに 頼まれて、ワラビを 取りに 来たんだべ。
 ところが、おめぇは 道に 迷っちまって、この山に来た。

 どうだ、この山は びっくりするくれぇ 一杯 花が咲いているべ。
 どうして、こんなに 一杯 花が咲いているか、知りたくねぇか。
おめぇには 教えてやろう。

 人が ひとつ やさしいことをすると、ひとつ 花が咲く。
この山の花は みんな 人のやさしさが 咲かせたものだ。

 あや、おめぇの 足もとに 咲いている その 赤い花。
その 赤い花は 昨日、おめぇが 咲かせた花だ。

 あや、昨日のこと 覚えているか?
昨日、おめぇは おかぁと 妹のそよと 三人で、祭りで着る 着物を 買いに行ったべ。
そして そよが、「おら、この 赤いべべがほしい。」って、駄々こねて、おかぁを 困らせた時、
おめぇは 言ったべ、「おかぁ、おら、いらねぇから、そよに 買ってやれ。」・・・ってな。

 そん時、その 赤い花が 咲いた。

 おめぇは 家(うち)が貧乏で、二人に 着物を買う 金が ねぇことぐらい 知っている。
だから、おめぇは 自分だって 新しい着物が ほしいのを ガマンして、妹のそよに 譲ってあげた。
おかぁは どんなに ありがたかったか。
そよは どんなに 嬉しかったか。

 おめぇは せつなかったべ。
祭りの 時には、友達 みんなが 新しい 着物を 着てくる。
そん中で、おめぇだけ 一人、古い 着物を 着てんのは つらいもんな。
 だけど、おめぇは 妹のためを思って ガマンした。
おめぇの その やさしい気持ちが、その 赤い花を 咲かせた。

 ここの花は みんな そうして 咲いた。

 ほら、そこに、今 咲こうとしている 白い花が あるべ。
その 白い花は、今、双子の 赤ん坊の あんちゃんが 咲かせようとしている。
 双子の 弟が かぁちゃんの おっぱいを ウクンウクン って 飲んでいる。
もう片っ方の おっぱいも 手でいじくっていて 放さねぇ。

 あんちゃんは ちょっと 先に 生まれただけなのに、
自分は あんちゃん だからって、おっぱいが飲みたいのを ガマンしている。
目に 一杯 涙をためてな・・・。

 ほら、今、こらえきれなくなって、涙が ポトリと 落ちた。
その落ちた涙が その白い花の 葉っぱの上で キラキラ 光っている 露(つゆ)だ。

 自分が したいこと、やりたいことを ガマンする。
目に 一杯 涙をためて ガマンする。
その やさしさと けなげさが ここの花を 咲かせる。

 ウソじゃねぇ、ほんとのことだ・・・。あや、おめぇには わかるな。」(以上 やまんばの独白)

 「うん。」あやは こくりと うなづいたと。(ここからは昔話の語り口調で)
「おめぇの その やさしい気持ち、いつまでも そのままにな。」
ばさまは あやの 頭を やさしく なで、帰り道を 教えてくれたと。

 うちに帰ると、おとぅと おかぁに 山のことを 話したと。
「そんな 一杯に 花が咲いている 山が あるなんて、見たことも 聞いたこともねぇ。
(おおかた)夢でも 見たか、キツネにでも 化かされたんじゃ ねぇのか。」
 本気にしては もらえなかったと。

 それから、あやは、もう一度、あの花が 見たくなって、あの山を 捜しに 行ったと。
だけど、ばさまに 会うことも、あの花を 見ることも できなかったと。

 けれども、あやは、そのあと、
「あっ、今、あの山で おらの花が 咲いた!」って、思うことが あったと。

 おしまい 
 

「”へ”って、こわい」 リメイク by akira

2012年10月15日 00時34分24秒 | 民話(リメイク by akira)
 「”へ”って、こわい」 参考 「屁一つで村中全滅」フジパン、福娘童話集

 今日は ”へ”のハナシ やっか。
”へ”って、なんか わかっか?(尻から 出る ヤツな)

 おれが ばあちゃんから 聞いた ハナシだ。

 へっぴり嫁、せんべいこわい、草刈った、・・・ばあちゃん、”へ”のハナシ 好きだった。
おれら ちっちゃい時、人前では ”へ”しちゃいけねぇ って教わっていたから、
”へ”のハナシは なんか 恥ずかしくて、素直に 聞けなかった。

 ばあちゃん、あっけらかんと 「ブッ!」って やってた。
おれは ばあちゃん 恥ずかしくないんかな って 思いながら 聞いてた。
まだ ちっちゃかった 妹は 転げまわって おもしろがって いた。
それを見て、あっ、妹は まだ ガキなんだな、なんて 思ったもんだ。

 ばあちゃん、たまに 本物の ”へ”の音 させようと いきばったりしたけど、なかなか出なくてな。
今じゃ、なつかしい 思い出だ。・・・(あぁ、ばあちゃんのハナシ、また 聞きてぇな)

 そんな ”へ”のハナシ、やっか。

 むかーしの ことだと。

 ある 小さな 村に、一人の 娘が いてな、
この娘、かわいそうに ”へ”が出る 性分だったと。
出もの 腫れもの ところかまわず って言うけど、
”へ”をしちゃ まずい っていうとこでも ”へ”が出る。
「こんなんじゃ、一生、嫁にいけねぇかも しんねぇな」
親は 心配で しょうがなかったと。

 ところが、捨てる神あれば、拾う神あり、ってほんとだな。
ある夏の日 娘が 山を 五つ越えた 村での お祭りに 行った時、
そこで 知り合った 村の 長者の 一人息子に みそめられてな、
ぜひ、嫁に ほしい って 言ってきたと。

 願ってもない話と トントン拍子に 話が進み、いよいよ、娘が 嫁に行く って いう時、
親は、「嫁に行ったら、人のいるとこで ”へ”をしちゃ なんねぇぞ」って、言い聞かせたと。

 さて、祝言の席、娘は ”へ”が したいのを ガマンしていたと。
だけど、”へ”が出る 性分だ。
ガマンにも 限界がある。
娘は とうとう ガマンできなくなって、「プーーッ!」・・・って、やっちまったと。

 一瞬、なにごとかと 空気が とまった。
そして、”へ”をしたのが 嫁さん だってのが わかると、
みんな 嫁さんを 見て、笑いを かみ殺していたと。

 娘は 顔を真っ赤にして 外に飛び出すと、池に 飛び込んで 死んじまったと。

 あわてて 娘を 追いかけた ムコどの、
「やっと 一緒になったのに、”へ”ひとつで 死なせてしまうとは、おわびのしようがない」
池に 飛び込んで 死んじまったと。

 それを見てた 長者の親、
「一人息子に 死なれては、もう 生きてく 張り合いもない」
池に 飛び込んで 死んじまったと。

 今度は 娘の親、
「娘のせいで とんでもないことになった、申し訳ない」
池に 飛び込んで 死んじまったと。

 それから、新郎の親戚、新婦の親戚、みんな、
「やれ、いたわしや」
次から 次へ 池に 飛び込んで 死んじまったと。

 それを聞いた 村のもん、
「長者さまが いなくなっては、この村は やっていけない」
村のもんも 次々と 川に 飛び込んで 死んじまったと。

 そして、とうとう 村には 誰も いなくなっちまったと。

 ”へ”ひとつで 村が全滅、・・・”へ”って こわいね。

おしまい

「民話 ガイドブック」  米屋 陽一

2012年10月13日 00時43分32秒 | 民話(語り)について
 「日本の民話」 日本民話の会 講談社 1991年 ガイドブック 米屋 陽一

 -----語りの場-----

 昔話は、古くは、大歳(おおどし)、正月、祭り、日待ち、月待ち、出産、通夜など、神々と人々が出会う神聖な特別な日、ハレの日に語られていたようです。
そういうハレの日には、ハレのごちそうが用意され、ハレがましい姿で神々の前へ行きました。
語り手は神々の代理者として語り、聞き手も厳粛な気持ちで語りの場にのぞんだようです。

 このような語りの場のなごりが、昔話とともに受け継がれてきました。
語り手によっては、語り始める前に身だしなみをきちんと整えてから、聞き手の前に姿をあらわしたり、
一礼してから語り始めたりしました。
また、かしわ手を一つポンと打って、語り納めた語り手もいました。

 柿の皮をむきながら、ひしゃくを作りながら、収穫したたばこの葉をのばしながら、竹細工・わら仕事をしながら、語ったように、家内労働の場も語りの場になっていました。
 おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんが、子供たちに、寝床、いろり端のようないこいの場でも語りました。

 -----語り始める前に----- 

 昔話の語りの場は、語り手と聞き手がいて、初めて成り立ちます。
いちだんと古い語りでは、語り手がその場にのぞむための宣言を、語り始める前に聞き手に言い渡しました。

 このことをいち早く紹介した早川孝太郎は、「古代村落の研究」(1934年)で、
鹿児島県黒島の例をあげています。
 「さるむかし、ありしかなかりしかしらねども、あったとして聞かねばならぬぞよ。」
という言葉で、「いまから語ることは、ほんとうにあったことか、なかったことかは、私は伝え聞いただけなので知らないけれど、事実あったこととして聞かねばならないそよ」と、語り手は聞き手に強く要求したわけです。

 この言葉は、長い間一例のみで、まぼろしの言葉のようでしたが、昭和40年代になってから同系統の言葉が大隅・薩摩半島などからつぎつぎに報告されました。
山形県最上郡からも、つぎのような言葉が報告されています。
 「トントむがすのさるむがす。あったごんだが、なえごんだったが、トントわがり申さねども、トントむがすァあったごとえして聞かねばなんねェ、え」

 このような昔話に付随する言葉からも、かつての語りの場が単なる娯楽の場としてあったのではなく、「むかしを語る」儀礼的な、神聖な場としてあったのだということが伝わってくるようです。

 -----語り始め-----

 昔話はいくつかの形式にのっとって語りつがれています。
語り手は、語りの開始を意味する特定の言葉を言います。
これを「語り始め」または「発端句」「冒頭句」と呼んでいます。

 語り手は、いつのことだかわからないけれども、とにかく、「むかし」のことだよ、と語り始めるのです。この語り始めの言葉は変化にとみ、各地にさまざまな形で語りつがれています。

 ○むかし、あったずもな(岩手県)
 ○むかし、あったんやってなあ(岐阜県)
 以下、例、省略

 「むかし・・・」という言葉は、語りの場にはなくてはならぬものでした。
それは、現実の世界と異なる世界へ、語り手と聞き手がいっしょに入ることを意味する重要な役割を持つ言葉なのです。
語り手が「むかし・・・」と語り始めると、聞き手は昔話の世界にひきこまれていきます。
そして、いつしか ゆたかな語りの世界で、語り手とともに遊び始めるのです。

 -----語りのリズムとあいづち-----

 昔話は語り物の一種として、形式にのっとってきちんと語りつがれてきました。
語り始め、語り納めの言葉とともに、語りの切れ目切れ目に、「げな」「そうな」など、伝聞をあらわす特定の言葉が使われてきました。
 この言葉は、それぞれの土地の日常の言葉が長い年月のあいだにみがかれ、その土地の独特な語り口になっています。

 ○むかし、爺(じい)と婆があったげな
 ○娘が三人おったそうな
 以下、例、省略
というぐあいに、語り手が語ります。
すると、聞き手はその一句切れごとに、あいづちを打つのです。
「うん」「ふん」「はい」はふつうですが、

 ○「フントコショ」(群馬県)
 ○「ハァーレヤ」(宮城県)
 以下、例、省略
など、独特な、しかも語りの場のみでしか使用されないあいづちを打つのです。

 語り手 むかし、あったてんがの
 聞き手 サァーンスケ
 語り手 じさとばさがあったてんがの
 聞き手 サァーンスケ
 
というふうに、語りはすすんでいきます。
この「・・・てんがの」が「聞いているのか」というあいづちの要求であるならば、
あいづちは「聞いているよ」という返事と言えるでしょう。

 語り手は、あいづちを打たないと語らないのがふつうでした。
また、語りが気に入らないときには、聞き手は「サソヘソデベソ、デングリベソカヤッタ」(新潟県)と、はやしたり、語りが停滞すると、「フンフフフンノフン」(長野県)と言って、話の先をうながしたりしました。

 このように、語り手と聞き手とのやりとりは、両者の心をしっかり結びつけるばかりでなく、語りのリズムをきちんと整えるうえでだいじな役割をはたしているのです。

 -----語り納め-----

 昔話の語りが一つ終わるときに、語り手は「これでおしまい」という意味を示す特定の言葉を言います。これを「語り納め」または「結句」「結末句」と呼んでいます。
これは、語り始めの言葉と対をなすもので、昔話の形式のうえからも重要な言葉として注目されています。

 ○どっとはらい(青森県)
 ○とっぴんぱらりのぷう(秋田県)
 ○いちがさかえもうした(福島県)
 ○しゃみしゃっきり(岐阜県)

 これらの語り納めは、二つの系統に分けて考えることもできます。
その一つは、神聖な尊い昔話そのものが語り終わったので、「尊(とうと)払い」「尊かれ」と語り納め、それが、「どっとはらい」「どんどはれ」などに変化したというものです。

 もう一つは、主人公がめでたい結末をむかえたので、その人物の「一期がさかえた」と語り納め、
それが、「いちがさけた」「えっちごさっけ」などに変化したと言うものです。

「子どもに語りを」 桜井 美紀

2012年10月11日 01時02分57秒 | 民話(語り)について
 「子どもに語りを」遠野市での講演 桜井 美紀 2006年 「子どもに昔話を」所載 石井 正己編

 ほーらあー 寝えーろ、ねえーん ねえーろ、
 ほーらあー 寝えーろ、やあー やあー
 寝んー 寝ろー 寝ろー 寝ろー、ほらあー 寝ろー やー やー。(東北地方の眠らせ唄)

 みなさん、眠くおなりになったかも知れませんが、今の歌では「ほーらあー 寝ろー、ほーらー 寝ろー」と、同じ言葉が何度も何度も繰り返されます。「やー やー」というのは赤ん坊のことですね。同じ言葉を何度も繰り返し、メロディはあまり急激に上がったり下がったりしないのです。そして調子がゆっくりしているということ。こういうことが赤ん坊にはとても大事な言葉かけです。声を聞かせながら心を静めさせる、安定させる役割を持っているということなのです。
 これは昔話を聞かせることと同じです。幼い子どもに昔話を語るときは言葉をゆっくり聞かせることが大事なんですね。

 それから昔話の語りの調子には、あるかなきかのよい調子がついています。決して棒読みに読むのではないのですね。
(棒読みのように)「むかしむかしあるところに、お爺さんとお婆さんがありました」(これはわざと棒読みのように言ってみたのですが)、こんなふうには語らないのですね。多分、こちらの方たちは、(歌うような調子をつけて)「むかーし、あったったづもなー」と言うのでしょうか。

 私は子どもの頃、石川県出身の年寄りに昔話をたくさん聞かせてもらいました。たくさんと言っても、その年寄りの一つ覚えみたいに「舌切り雀」を繰り返し繰り返し聞いたのです。その「舌切り雀」の語り方が、「むがーしあったといーねー、じいとばあがあったといーねー」というのです。「昔ありました」というのではなくて、「むかーし」と音を伸ばします。「あったといーねー」というように母音を伸ばします。語尾は「したがやとー」っていうように語られます。

 それは子守唄と同じで、一つ一つの言葉の”母音を伸ばす”声の届け方なのですね。昔話は、とっと、とっとと行かないで、ところどころ子どもの様子を見ながら、ゆっくり語ったり、わざと声をひそめたり、もうこのあたりで寝てしまうなーと思ったら、わざとゆっくりゆっくりするという、そんなやり方をしていました。眠らせ歌を聞かせて眠らせるのとまったく同じだと思うのです。

 私の本には「舌切り雀」のことを書きました。「舌切り雀」は、この地方でも語られていますか?

 いろいろな語り方が各地にあるのですが、私の聞いていた「舌切り雀」は石川県の昔話ですから、婆が雀の舌を切るところは全国のどの地方よりも三倍残酷なのです。婆は雀の舌を切って、羽を切って、尾を切って叩き出すのです。すると爺が帰ってきて、「可哀想になー、可哀想になー」と言って探しに行くのですが、爺は唄を歌っていきます。

 「舌切りすーずめ、どっち行った、羽(は)~切りすーずめ、どっち行った、尾ー切りすーずめ、どっち行った、と言うてったがやとー」と、そんなふうに聞きました。

 これも三回、繰り返します。昔話ですから三ヶ所に行くのですね。最初は牛洗いさまの所へ行き、次は馬洗いさまの所に行き、そしてその後ですが、私が子どものころ聞いていた「舌切り雀」では”おしめ”(おむつのこと)を洗っとる婆がいて、「おしめを洗っとる婆に、婆さま、婆さま、ここを雀が通らなんだかいのー、と言うと、通った、通ったと言う、どっち行ったか教えてくれんかいのー、と言うと、そんならこのおしめの洗い汁、たらい一杯のんだら教えてやろう」(笑い)私が子どもだったころは、洗濯はたらいでやっていましたから、聞いていて、それがどのような洗い汁か分かるんです。

 私に話してくれた年寄りは、このように言ってました。
「おしめを洗っとる婆が、このおしめの洗い汁、たらい一杯飲んだら教えてやろうちゅうた。ほうしると、爺は、ちゅう、ちゅうーと飲んだがやーとー」
 そう言って、話を進めました。私は聞きながら、なんだか汚いなと思いながらも「それから、それから?」と、この話を何度も何度も聞きました。

 私は「舌切り雀」の中の「したーきり、すーずめ」の唄を赤ん坊のころから、その人が亡くなる年まで、何百遍聞いたか分からないのです。その調子が耳に残っていまして、自分の子どもを育てるときに、また思い出したのです。そう言えば、こんな話を聞いたなと思いながら、覚えているところだけを語りました。その後、昔話資料を調べ、欠落した部分を補い、自分の子どものほかにも、地域の語りの活動で語るようにいたしました。

「現代に生きる語りの魅力」 桜井 美紀

2012年10月09日 01時15分18秒 | 民話(語り)について
 「昔話と語りの現在」 桜井 美紀 著 久山社 1998年

 四 現代に生きる語りの魅力 (Pー41)

 前略

 イギリス人のロビン・ウィリアムソンはハープを奏でて、ケルトの伝説の語りを二時間かけて語りました。楽器を抱えて登場する語り手が多かったのも、プロの語り手が、いかにお客を楽しませるかという、ストーリーテラー本来のあり方を見る思いがしました。

 世界の語りの祭りに出かけるたびに、プロの語り手の語りの技術と芸術を、心底、思い知らされます。語りというコミュニケーションで、聞き手の心をどのようにつかむのか。聞き手の心を、語りの内容にどう巻き込むのかということなのです。聞き手の心を自由自在に動かし、感動させるのが語り手の芸術といえます。語りの芸術の魅力は、語る人の魅力に裏打ちされます。語り手には、あふれるばかりの魅力が必要だと思います。語り手が口を開いたとたん、聞き手がハッとするほどの、語り手としての魅力が要求されるのを、私自身は特に感じます。それが語り手の生命でもありましょう。生きた人間のことばが、人間らしい気持ちを育てます。語り手の生き生きとした語りが、現代社会の荒廃した精神の隙間を埋めることができるなら、こんなに素晴らしいことはありません。日本の「新しい語り手」たちが、現代社会に機能する語りの文化で、人の幸せをつないでいくためには、学ぶことがたくさんあるのを感じました。

 中略

 語り手のもう一つの使命は、つくり出すことです。心の中に情景を描き、それをことばに出して伝えることなのです。語り手という立場からは、昔話の再話は、口で語る再話を重視しなければならないと思っています。聞き手に直接届けられることばは、文字から離れた語り手のことばであるのが望ましいと、私は考えています。語り手は自分自身の語り口を持ち、自分の語り方をつくり出すということです。新しい語り手の使命は、古い昔話や物語を学びながら、自分のオリジナルの作品を語ることも含まれます。ですから私も、自分のオリジナル作品を必ず語るようにしております。

 現代の合理化が進む世の中で、今日ほど、空想力、想像力の求められる時代はかつてありませんでした。人間が人間らしくあるために、心の世界を豊かに保たなくてはならないのです。心をこめてことばを届け、世の中の人間関係を良くしていきたいと、ボランティアによる語りの活動が、日本中で今、力強く繰り広げられていることも、お伝えしなければなりません。現代社会の中で昔話を語る「語りのルネッサンス」が興(おこ)っているのです。昔話が現代に機能する可能性は大であることを申し上げて、終わりとさせていただきたいと思います。