音で綴る復帰50年『オキナワンポップス〜沖縄から羽ばたく音楽の力〜』
聴きました
唄の島芸能の島と呼ばれる沖縄からこの50年の間に
多くのアーティストが誕生し
その音楽は県外にとどまらず全国へ広がり
沖縄出身アーティストが活躍する姿は
うちなーんちゅに力を与えてくれました
アーティストコメントも交えながら
オキナワンポップスを振り返って行きたいと思います
本土復帰を迎えた沖縄
ドルから円へとお金が変わり
道路交通も右から左へと変わります
↑↑
1978年7月に開催された
フィンガー5とファンでの沖縄ツアー
沖縄に着いた時は車は右側通行
(外国へ行ったような感じもでした)
帰る日から左側通行に変わり
貴重な体験をさせてもらいました
思い出させてもらいました
沖縄をいっきに変化して行った時代でした
そんな
70年代から80年代の
オキナワンポップスがこちらです
そして繋ぎあわせてご紹介と
どんどん曲がかかりましたが
突然
凄いインパクト
憧れのあの人は罪なことだよ先生
出来るなら個人授業を受けてみたいよ
ってあーちゃんの歌声
聴き惚れてしまいましたよ
曲のあと
フィンガー5も活躍しました
沖縄県民が全国で活躍するということで胸が躍ったものです
も言われ
アーティストコメント代表で
晃さんが
こんばんはフィンガー5の晃です
私たちは返還前にパスポートを持って
鹿児島まで船で行って鹿児島から電車で
東京を目指したって言う
スタートがそう言う形だったのですが
からの始まり
↑↑
で書かせてもらった
フィンガー5とファンでの沖縄ツアー
直行便でなくて
羽田→福岡→那覇と
飛行機を乗り換えてでした
上京当時の晃さんたちに比べたら全然ですが
それでも遠いと感じさせてもらいました
またまた思い出してしまいました
内容が濃くて
全部書かせてもらったら大変なことになり
お伝え出来ないのが残念ですが
『恋のダイヤル6700』のBGMに乗せてでしたが
曲が終わってもまだまだ話して下さってました
ラストの部分を一部だけ
時代も良かったんじゃないかな
結局飢えていたと思う
東京とか日本人が洋楽に
ああいう音楽やっている人いなかったんで
ショッキングだったと思う多分
子供だけでもショックだけど
ああいう音楽を持ち込んだことじたいが
ショッキングだったと思う
だからそれも時代にマッチしたと思うけどね
ヤマトンチュウには負けないから
もうその魂で行っているから
いや凄いねって言わせなかったら
僕らはうちなーんちゅとして恥だね
みんな戦っていたからね必死でしたよ
みんなで試行錯誤で色んなこと考えてましたよ
苦しい環境の方が意外と頑張れるって感じですよね
沖縄民は強い人間の集まりだから
全部それを乗り越えて来ているからね
そういう意味では
うちなーんちゅで生まれて来て良かったなと思います
新しい世代の人も
自分の国の人が出てくるのは
凄く嬉しくてね
チャンプル文化だから
なんでも受け入れてなんでも取りこんで
沖縄風にしてしまうっていう人間たちの
集まりの音楽を日本に
僕には誇りですね
みたいなことを言われてました
そのあとパーソナリティーの男性の方が
晃さんのコメントは感激でしたが
のあとに
ヒット曲を連発
晃さんのハイトーンボイスに本当に痺れた
それからファッション
大きなサングラスそしてベルボトムジーンズが大流行
僕も買ってもらって
アムラーならぬアキラ―でした
フィンガー5は僕らのヒーロー
そして妹の妙子ちゃんも可愛かった
みたいなことを言われ
『学園天国』が流れて終わりました
そして番組は
1990年代
2000年代
現在
までと続きました
何度も何度も晃さんの
心地も良い話声
聴き惚れさせてもらってます