大学生,大学院生の学力が低下しているようです。社会的にも言われているし,横浜国大も全般的に言えば例外ではないようです。
ですが,それは一概に学生たちだけのせいではない。「学生のレベルが低下して困っている」などとぼやいているだけでは,人に責任を押し付けているだけで,大学で教育に携わる人間として主体性を発揮しているとは言えません。
学生の英語力が低いのも同じ。英語なんて極論すれば誰でもできるのだけど,残念ながら我が国の教育ではそうなっていない。だからといって,「みんな,英会話スクールに行ってください」では,結局この国をどうしたいのか,何もビジョンが無いと私には見えてしまう。
本当に,一昔前の学生に求められていたことが,今の学生たちにも必要なのでしょうか。時代は確実に変わっているのに,教える側がほとんど変わっておらず,旧来のフィロソフィーを学生に押し付けて,双方不満足に陥っていないか。
英語なんぞ,使える人が使いこなせばよい。もちろん,多くの人が使いこなせるにこしたことはないけど,まずは日本語をしっかりしましょう。もし英語が使えなくたって,その人の価値が無くなるわけでは決してない。そんなことを言う人がいれば,その人こそ,今後の社会を本当に良くしていくことはできないと私は思う。英語なんかできなくたって,その人には大事な役割が必ずあります。
もっと多様な見方をした方がよい。価値観は一つである必要はない。規範は必要だし,お互いを尊重することも大事だけど,個々の力がもっと発揮できるシステム,社会を創り上げていく覚悟が必要である。
日本人の若者の力は決して落ちてません。むしろ,これまでよりももっともっとタフな人間がたくさん出てきます。タフな人たちの次には,クールでタフな世代も台頭してくるでしょう。それに気づいていない,見抜けていないとすると,それは旧来の価値観にとらわれた旧世代です。
今後は,感性を磨きつつ,勉強して,実践することが大事です。これまでよりももっともっと「勉強」しなくてはならないです。私ももちろん,「若者」のつもりなので,その3つを心がけてこの夏を全力疾走したいです。