「トンネルのストック効果を整理する」
堀 雅也
本日の講義はトンネルに関してであったが、ストック効果に関しても熱いお話を聞くことが出来たので、この2つの関係について整理したい。
まず、トンネルの役割を大きく2つに分けたい。水底トンネルや山岳トンネルのように地下を通すほかない区間に道路や鉄道を通すものと、地下鉄や山手トンネルなどのように地上の設備と干渉しないように地下に掘るものに分けて、それぞれのストック効果に関して述べる。
前者のトンネルの最大のメリットは、山岳や海洋、湖沼、河川など鉄道を通せない自然地形に遮られることなく、短い距離で結ぶことが可能である点である。この「距離の短さ」は、ただ走行距離が改善するだけでなく、高速で走行する鉄道などにおいては線形の直線化というメリットが存在するのがとても大きい。実際、上越新幹線で制限速度を上げた区間は山岳トンネルの長い下り直線区間であった。いくら車両が改善されようと、カーブが急であれば速度は出せないので、トンネルを掘って線形を改善する事で、数十年単位で所要時間を短縮することが出来る。たとえば、トンネルの建設で1分所要時間が短縮され、1日に3万人が利用しているとすると、50年経てば5.5億分、つまり1000年以上の時間が節約できたこととなる。このように時間で積分したものが恩恵として返ってくるのがストック効果の大切な点である。
また、これは特に道路の場合であるが、山沿いの道路しか無かった地域に、長大なトンネルを掘削して新しい道路が開通する事で、バス網の主要路が形成される事が多々ある。たとえば長野県白馬村から長野市方面へと結ぶ国道406号は北側の鬼無里方面に抜けた後、裾花川沿いを蛇行しながら進んでおり、酷道とも評される低規格の道路であるが、長野五輪前に主要地方道の指定を受けた南方の県道31号、33号、更に日高トンネルを掘削して作った31号バイパスはとても高規格であり、バスは白馬・長野間の45km程度の道のりを1時間20分ほどで結んでいる。松本方面にしか出られない大町・白馬エリアから長野へのアクセスを格段に向上させたこれらの道路により、大町・白馬エリアが長野への通勤圏に、そして大町・白馬エリアが長野から足を延ばす観光圏内になったのである。トンネルの活用によりエリアとエリアが密接になり、経済圏が広がったことで、県や関係市町村、観光業者、通勤客、旅行者などが末永く恩恵を受けられる、これが第二のトンネルによるストック効果である。
一方後者のトンネルの最大のメリットは、都市空間を最大限に活用できる点である。鉄道や道路によって分断された街という表現はしばしば耳にするが、都市部では大きなインフラを境に街の様子までもがガラッと変わっている例が少なくない。京都のように、鉄道が高架化されても未だに南北格差が消えていないと指摘される都市すら存在する。これに対して、地下空間は地上を歩く人の目に見えず、景観保護の上でも役立つ上に、街を分断することもなく、上部の構造物を阻害する事も無い。これを成り立たせているのが他でもない、トンネルである。
地下鉄の発展は東京の街を大きく変貌させた。それまで東京市電改め都電が縦横無尽に走っていたとはいえ、昭和初期までの旧東京市区域しかカバー出来ておらず、その外側はわずかに杉並線や志村線が走っていたのみであった。また、当時はまだ旧郡部が現在の郊外のような様相を呈しており、農村の広がる村も多かったため、都市域が実際に旧市域と然程かけ離れることも無かったため、特に問題は無かった。しかし戦後になって都市部が広がると、さすがに路面電車と地下鉄銀座線、そしてまだ発達していなかった国電ではカバーが出来なくなり、戦後間もない昭和20年代には早くも地下鉄5路線の計画が作られる。
その後も続いた地下鉄の建設とともに発展を遂げ、世界一の都市となった東京であるが、この大都市に地下鉄が不可欠なのは誰が見ても明らかであろう。近年、LRTの発達により都市交通もLRTに任せる機運が高まっているが、それは東京より遥かに小さい都市だから成り立つものである。東京は、トンネルに支えられ、トンネルとともにこれからも発展していくだろう。この発展こそ、ストック効果である。
参考
東京の地下鉄建設の歴史年表 地下鉄博物館
JTB小さな時刻表2022春 JTBパブリッシング 2022年
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