日本の北にあるとされた「イスラ・デ・プラタ」(銀の島)。近年になりそれはこの建物のことを差すことが定説となっている。
サッポアラビアのフクズミブにある銀色のモスク。そこはニチハーム教の聖地である。フクズミブはタヌキクスからの東方地下交易路の終着地であったが、すでに先住の人々によってコンサ教が理解されていた。
そしてサッポロアラビアはイエス=ジャビットへの崇拝も篤い国だったのである。しかしアンチ巨人を称する集団がいくつかの勢力にジャビット信者排斥運動への協力を呼びかけたものの、ついに協力者は現れなかった。
そこに突如として現れたのがニチハーム教、そしてヒルマン=トルコである・・・
彼らは大天使として熊の神「ジブリスキー」を崇拝することが許された。そしてそれまで右で崇拝するならわしのあったモスクでの礼拝を左側で崇拝するように改めた。
預言者ヒルマンドはジャビット崇拝のジャイアンツ教を「ジャビットは単なるでくの坊、虚しき塵の塊」と批判、サッポアラビアの若者たちはニチハーム教の信徒へと改宗していった。
彼らはタカダ、シンジョーらカリフの力を借りて徐々に信徒を増やしていった。一方のジャイアンツ教は聖地マルヤレムをもヒルマン=トルコに奪われた。その地を奪回する昼一時軍が出撃したが失敗に終わった。この段階で「もはやサッポアラビアにジャイアンツ教の信者はいなくなった」と言わしめるほどになったのである。
しかもこの頃ジャイアンツ教の大本である東ドーム帝国は深刻な不況にあえいでいた。さらに2004年にはストライキが発生、2005年には他国の宣戦布告が相次ぎ兵器購入をめぐる問題がさらなる社会不安を掻き立てていた。
この頃イナ・バトゥータは「レール&ホテルパック」政策により島民信徒の交通路を整備することに成功した。これは鉄道路と宿泊のためのモスクを一部公費負担するという画期的な戦略であった。バトゥータ自ら政策を連呼し、島民はサッポアラビアからの島内旅行を楽しめるようになったと言う。
そしてヒルマン=トルコは最大の敵となるオチムール帝国との決戦に臨む。赤旗を掲げたシンジョー率いる赤腕兵、ペルシャ皇太子のダルビッシュ、鎌ヶ谷の地で育成されたイェニヒチョリらの機動兵らはオチムール帝国を破り、ついに世界の支配権を握った。
こうしてヒルマン=トルコは銀の島にその威厳を保つことに成功したのである。
・・・ざっとこんな風にやりましたけど。
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斉藤 晃
フリオ・ニール
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